2005年1月23日

「夜明け前」 エペソの信徒への手紙4:11〜13

 「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」

 宇宙が出来、地球の形成は約47億年前から始まったと言われています。そこで、地球の年齢を一年という時間に換算すると、人類の記録された歴史を4000年程と仮定すると一年で言えば12月31日の午後11時59分35秒程になるそうです。人類の歴史が刻まれ始めてからわずか25秒程となり、人の平均的な一生を80年程とすると一年で言えばわずか0.5秒となります。また、仮に人生70年を3で割るとおよそ24になります。そこで自分の年齢を3で割ると一日に換算された自分の今の時間が分かります。たとえば51歳の私の人生の時刻は17時となります。あくまで便宜的で簡単な換算ですが、その年齢の人生における位置、意味、その年齢でなすべきことなどを考えさせる換算法です。若い人など一日に換算しても時間は始まったばかりで、まだまだたっぷりと終わりまでは時間があると思ってしまうかも知れません。しかし、ある程度年齢を重ねた人にとっては、自分の人生の残り時間がそれほど無いことに気がつかされます。確かに、「死」は今日明日の時間の延長線上ではなく真近にあると、災害のことなどを考えれば言えるのですが、自分の人生の意味を考える時、人生における成熟、成長ということを思わざるをえません。いったい自分は何故生まれ、何のために生きているのかを考えることは、決して無駄なことではありません。そこで知らなければならないことは、私たちの存在と人生に意味を与えることのできる力ある方、創造主を覚えることです。絶対者なる方の存在があって初めて全てのことに意味付けがなされます。そうでなければ全てのものは相対的なもので、自己満足こそが人生最高の目的となってしまいます。

 イエス・キリストにあって新しい命を得た使徒パウロは、人の成熟につきこう語りました。「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(2コリント4:16) パウロの言う成熟とは、神との関係の中にあって、人生の本当の目的に生きていくことです。本当の目的とは、私たちがキリストに似た者となり、神の愛によって全ての人が一つとなり、罪から救われ、永遠の命に生きる者となることです。成長するには時間を必要とし、忍耐力が求められます。古い習慣や価値観、道徳観、考え方を新しい基準によって修正していくには時間がかかり、忍耐が求められます。そして、痛みが伴います。救いの本当の意味を理解するにも時間がかかります。しかし、神はそのために、一人一人に賜物を与えて下さっています。詩篇130篇「わたしは主に望みをおき、私の魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。わたしの魂は主を待ち望みます。見張りが朝を待つにもまして。」一日のうちで一番暗い時は夜明け前だと言われます。人は、神のご計画を中心とした人生に自分の人生を修正していくとき、試練と暗闇を通らされます。しかし、もし私たちが望めば、暗い夜は終わりを告げ、必ず新しい夜明けが来ることを私たちは知っています。神の恵みは、人生の残りの時間に関係なく、主に信頼し、主を人生の中心に置いた人には平安と義の実を結ばせてくれます。