2004年12月26日

「はっきりと」 ハバクク書2:1〜3

 わたしは歩哨の部署につき砦の上に立って見張り神がわたしに何を語りわたしの訴えに何と答えられるかを見よう。主はわたしに答えて、言われた。「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように板の上にはっきりと記せ。定められた時のためにもうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。

 紀元前586年、アッシリヤを滅ぼしたバビロニアは南王国、ユダを侵略しエルサレムは陥落しました。ハバククはその前のエレミヤと重なる時期、イスラエルの民の救いと神の言とを伝えた預言者でした。彼が活躍した時代、イスラエル人はその存亡の危機にありました。彼の言葉は神への訴えから始まります。「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのにいつまで、あなたは聞いてくださらないのか。わたしが、あなたに『不法』と訴えているのにあなたは助けてくださらない。どうして、あなたはわたしに災いを見させ労苦に目を留めさせられるのか。暴虐と不法がわたしの前にあり争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。律法は無力となり正義はいつまでも示されない。神に逆らう者が正しい人を取り囲む。たとえ、正義が示されても曲げられてしまう。」ハバククの嘆きはそればかりではありませんでした。それは、神のご自分の民への仕打ちに対する嘆きでした。何故、神はご自身が選んだ民を他国の手に渡し、苦しめられるのか。

 試練や苦しみの中にある人にとって、現実は厳しいものです。世の中が絶望的な状況に陥れば陥るほど、神を信じ、信頼して生きることは困難となるものです。しかし、神はハバククに対してもそうであったように、今を生きる私たちにも、人生の意味と目的を明確に持つためには主の言とその約束にかたく立つことを求めておられるのです。キリスト者で作家のC・Sルイスが「幸福の定義」につきこのように言いました。「車はガソリンで走るようにできているのであって、それ以外のものでは走れない。神は人間という機械が神によって走るように設計されている。私たちは、他に頼るものはない。だから信仰を度外視し、私たちのやり方で幸せにして下さいと神に願うのは正しくない。神がご自身と無関係に幸せや平和を私たちに下さるなどということは、ありえない。そのようなものは存在しないのだから。」と。

 ハバククに与えられた「幻」とは、神の言、民を救いと正しい道へと導く恵みの言、そしてもう一つは救い主到来の約束の言です。「あなたは御自分の民を救い油注がれた者を救うために出て行かれた。(3:13)」たとえどんなことがあっても、本当の幸いを得るために私たち人間ができることは創造主なる神とその言を信じることです。そればかりでなく神ご自身が私たちの救いのために神の座を降り、私たちの生活の座に来て下さるという神の救いのご計画を信じることです。今を生きる私たちも、当時の選民イスラエルと何ら変わりありません。試練や苦労があるといつでも信仰を捨て、神を捨て、手っ取り早い救いに走ることのできる者です。しかし、神はハバククに言われました。「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように板の上にはっきりと記せ。」と。忘れたり無くしたり、諦めたりしないようはっきりと心に刻み付けなさいと言うのです。それ以外に人生の目的と希望、生きる勇気を与えられるものは無いのだと言うのです。今年、世界は様々な事件、事故、自然災害、そして戦争、紛争に見舞われました。新しい年に向うあなたを支え、あなたの基準となる、心に記されているものは何でしょうか?