2004年12月19日

「和解のしるし、キリスト・イエス」 コリントの信徒人へ手紙二 5:21

 恵子・ホームズさんが主催する「アガペ」(無償の愛を意味する、元極東軍事捕虜とその家族を慰問し、日本人との和解の架け橋となることを目的とする)という団体があります。現在は、イギリスをはじめ、オーストラリアなど世界各地域にその活動は及んでいます。戦後間もなく公開された映画「戦場に架ける橋」で知られた第二次世界大戦中、タイの泰緬鉄道建設に従事させられた英軍捕虜のうち300人は、その後三重県紀和町(旧入鹿村)にあった捕虜収容所に収監され、銅山で働かされ、内16名が死亡、戦後彼らは解放されました。恵子さんは戦後、紀和町で生まれ、大学進学のために上京し、そこで英国人ホームズ氏と知り合い結婚、二児をもうけ、その後夫を突然の事故で亡くされました。彼女は夫の死後、その人生の目的を求め神に祈る中、地元にある英軍兵士の墓が立派な花園になっているのを知り、感動し、埋葬されていた兵士の家族探しと元捕虜たちとの和解の架け橋となることを示されます。入鹿にある英軍兵士の墓のことや元英軍捕虜との交流を記したパンフレット「片隅に咲く小さな英国」を手に、恵子さんは初めてロンドンで行われた全国捕虜大会に出席しました。予想通り、日本から来た恵子さんに対する参加者の態度はかたくななものでした。

 しかし、熱心な恵子さんのとりなしに、人々は「極東軍事捕虜とその家族のための和解の旅」ツアー参加に心を向けて行きました。「日本に行けば、自分の心の中で続いている日本との戦争を終わらせることができるのではないか。憎しみや怒りから解放されるのではないか。」そして、「戦友のお墓を丁重に守ってくれている日本の人たちに感謝したい。」との思いからその計画は動き始め、和解への旅は始まったのです。その働きは神の良しとされるところとなり、多くの元極東軍事捕虜のみならず、当時彼らを支配していた元日本兵にも悔い改めと解放の恵みが与えられたのです。恵子ホームズさんは敵国同士としてわだかまりを持ち続けていたこの不幸で悲しい出来事に巻き込まれた人々の和解の架け橋となり今もその活動を続けておられます。昨年は青山にて127名の元極東軍事捕虜、日本人関係者を招きレセプションが開かれました。ゲストとしてオーストラリアからヤン・ラフ・オハーンさんが立ち、戦中インドネシアで受けた日本軍による陵辱、女性として許すことのできない罪と受けた深い傷について証言をしました。恵子さんは彼女を前に出席していた日本人に彼女に対する謝罪を願いました。すると、一人また一人と50名の日本人が彼女に心から手を取って謝罪したのです。すると、ヤンさんの身に不思議なことが起りました。彼女は叫びました。「私は癒されていく。癒されていく。この私が日本人を抱きしめるなんてそんなことが想像できたでしょうか!」

 恵子さんがその活動を始めるときこんな声が聞こえたと言います。「私が恵子を愛しているように、ここにいる人たちを私は愛している。私が恵子のために十字架上で死んだように、私は彼らのためにも新だのであ。でも、私は、よみがえり、今も働いているよ。」と。「許すこと」と「謝ること」とどちらが簡単でしょう?どちらも難しいことです。しかし、神は私たちの罪を赦すために人となってこの世に生まれて下さいました。謝らなければならない私たち人間より先に私たちに歩み寄って下さったのです。そして、和解の架け橋としてイエスさまを与えて下さいました。聖書は言います。「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」そして、イエスさまの十字架の犠牲によって私たちは赦され癒されるのです。クリスマスは、その和解のしるし、キリスト・イエスさまがお生まれになった記念の日です。