2004年12月12日

「降りてこられた神」 マルコによる福音書12:28〜34

 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

 クリスマスが近づきました。クリスマスとはキリストを礼拝する日という意味であり、イエスさまがこの世に赤ちゃんとして生まれてくださったことを喜び祝う日です。そればかりでなく、クリスマスに私たちは知るのです。神が、私たちに求めるよりは与える神であり、従わせるよりはお手本を示して下さる方であることを。そして、救いに導いてくださる方であることを。

 第一に、神は「心を尽くし」私たちを愛して下さいました。“神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。”(ヨハネ3:16)神は神の愛を一人子を通して示して下さいました。第二に、神は「精神を尽くし」人の前にへりくだって下さいました。 “キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。”(ピリピ2:8)神は、誇りも見栄も面子も私たちのために捨てて下さいました。第三に、神は「思いを尽くし」救いの計画を立てて下さいました。“それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ。”(イザヤ7:14)

 神が人となり、しかもか弱い赤ちゃんとして生まれ、私たちと同じ苦しみ悩みを分かち合われた。そんな救いの計画、誰が立てることができるでしょう。第四に、神は「力を尽くし」私たちを愛して下さいました。“愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。”(1ヨハネ4:7)神はご自身の全能なる力を捨て、私たちの罪のために命を捨てて下さいました。先に私たちを愛されたのは神です。先に私たち歩み寄って下さったのは神です。そして、神は私たちが神に謝る先に罪の贖いの供え物としてみ子イエスさまを私たちに与えて下さいました。そのしるし、クリスマスがまたやって来ます。