2004年10月24日

「信頼」 エフェソの信徒への手紙4:1〜6

 そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

 エフェソの教会に宛てて書かれたというこの手紙は、一つ教会だけに向けられたというよりはむしろ、小アジアに建てられた発展途上にある教会に回覧するために書かれたと理解されています。当時、まだ安定していなかった教会の群れは、グノーシス主義者やユダヤ主義者によってその信仰の根元を揺るがされていました。そこで、使徒パウロが信徒たちに願ったことは、救いの原理に堅く立ち、霊によって一致することでした。教会は神の恵みによって救われた者たちが呼び集められたところです。ある意味、傷を持った者、社会から捨てられてしまったような人、弱い人などが集える場所でもあります。イエスさまは「天の父は、悪い者の上にも、良い者の上にも、太陽を昇らせ正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる。」と言われました。そのように多様な人々が一致するために必要なことは、人間的な考え方や価値観による一致ではなく、イエスさまの十字架と復活を通して現された神の愛と恵みにあって一つとなることです。

 ゴルフというスポーツは意外と歴史は古く、初期のボールはフェザリーと呼ばれ、羽毛と皮でできていたそうです。水で濡らした帽子一杯の羽毛を、同じく水に浸したボール型に縫い合わせた皮袋の中に詰め込み縫って閉じたものだったそうです。羽毛は乾くと膨らみ、皮は縮み、堅いボールができたのです。しかし、19世紀に入るとマレーシアなどからゴムが輸入され、きれいでなめらかなゴムボールが使われるようになったそうです。しかし、意外なことにそれは皮のボールよりも飛ばなかったのです。ところが、ある人が、ゴムボールに傷を付けると良く飛ぶことに気が付きました。今では、お馴染みの小さな凹みがたくさんあるゴルフボールですが、実はその凹みはボールに揚力を与え、凹みのないボールに比べて2倍以上の飛距離が出るのだそうです。表面的には傷ついたボールであったものが、きれいなボールより高く遠くまで飛ぶというのは不思議なものです。

 教会は、さまざまな人々が主の恵みによって集められたところです。傷を持った者もそうでない者も、等しく主の愛によって一つとされているところです。ディンプルと呼ばれるゴルフボールの凹みは元々は傷でした。どんな傷や弱さを持った者たちであったとしても、主にあってはディンプル(えくぼ)と呼ばれる、より高く遠くへ飛ぶ、優れた主の救いのご計画のための道具となるのです。主の恵みと慈しみとを土台とする信頼関係、霊による一致、それが私たち教会に求められていることです。