2004年10月10日

「与えられた1日、どう生きますか」 マタイによる福音書5:13〜16

 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。あなたがたの光を人々の前で輝かしなさい。」

 塩の効果というのは、私たちの日常生活のあらゆるところで用いられています。例えば料理です。ほんの少しの塩を入れただけで、その料理を味のある美味しいものに仕上げる隠し味である。また鮮度を長持ちさせるための防腐剤として用いられたり、殺菌作用もある。このように塩の果たす役割は非常に大きい。イエス様は私たち一人一人に「あなたは地の塩であり、世の光である。」と言われております。これは私たちが神様から与えられた信仰を通して日常生活の中で塩の役目を果たしているか、世の光として人々の前で神の栄光をあらわしているか、と言う問いかけでもあります。私たちは日曜日に教会に来て礼拝を捧げます。誰が見てもクリスチャンです。

 では月曜日から土曜日までの6日間はどうでしょう。家庭や職場や学校にいるときの皆さんはどうでしょう。もしかしたら日曜日だけのクリスチャンになっていないでしょうか。言葉では今日1日与えられて感謝というが、心からそう思うなら残りの6日間もクリスチャンでなければなりませんし、1日1日が大切な日となるのです。私たちは生きるといことが習慣になっていますので、朝の目覚めが奇跡だとは思わない、いつも明日があり、1年後があり、10年後があると思う。しかし明日があるという保証はどこにもないのです。ならば与えられた1日、どう生きますか。 私たちが神様から与えられた日々を歩むのに大切なことは「人生、何年生きたか、何をしたか」が問題ではなく、「人生どう生きたか、どんな心でしたか」が問題なのです。

 さて今、私たちを取り巻いている社会を見て、これがまともな社会だと思っている人は誰もいないと思う。不正、詐欺、殺人、戦争などが日々テレビや新聞を賑わしている。そのあまりの多さに私たち自身、そういうものに慣れてしまい、あまり驚かなくなった。一方まったく無関心な人も多い、身近なところで殺人が行われ、戦争によって1週間で数百人の命が奪われている、このような世の中にあって今、本当に必要とされているのはキリストの風味なのです。ではその風味を一体だれが持ち運び味付けをするのか、それは私たち一人一人なのです。それぞれが「地の塩」となり、「世の光」となるのです。私は地の塩にも世の光にもなれません、という人がいるでしょう。決して無理をしたり背伸びをする必要はありません。それぞれが今のままで良いのです。その中で「地の塩・世の光」となれるのです。何故ならば神が与えられた1日であり、神が共におられる1日だからです。感謝