2004年10月3日

「神さまの約束」 コリントの信徒への手紙一 10:13

 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

神さまは、イエスさまをこの世に送ってくださり、私たちに救いをもたらしてくださいました。にもかかわらず、テロ、戦争が後を絶たず、飢餓、苦難、不安、悲しみが絶えません。どのように理解したらいいのか、救いなどないのではと思ってしまいたくなるようなことが多くあります。しかし、このような試練にあった場合でも、神さまはそれに立ち向かっていく力を私たちに与えてくださることを約束してくださっています。また「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」(ヘブル13:5)と、決して私たちを神さまは捨てることをしないと約束をしてくださっています。

 ルカによる福音書18:1〜8に「やもめと裁判官のたとえ」が記されています。自分が絶対で神を神としない、人を人として重んじない裁判官のところにひとりのやもめがやってきました。そして「相手を裁いて、わたしを守ってください」と懇願します。夫のいないこのやもめは、当時社会的に地位が低く、無力な存在でした。1度や2度の訴えなら、裁判官はうるさいといって適当にあしらったと思います。しかしこのやもめは粘り強く何度も何度も足を運んで、正しい裁きを行ってほしいと頼んだのです。これには、さすがにこの裁判官も根負けし、早く裁判をしてしまえば悩まされなくて済む、そう思って裁判をして片付けてしまったというのです。イエスさまはなぜこのようなたとえ話をされたのでしょうか。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。」とイエスさまは言われます。イエスさまは、どんなに苦しいことがあても失望せずに祈りつづけなさい、そうすれば神さまは人知を越えてその祈りを聞いて下さると約束してくださっているのです。病者の祈りという作者不明の詩があります。

 「大事をなそうとして力を与えて欲しいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと弱さを授かった/より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた/幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった/(中略)/求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞きとげられた/神の意に沿わぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた/私はあらゆる人生の中でもっとも豊かに祝福されたのだ」

 祈りの答えがいつ、どのような形で与えられるか、それは神さましかわかりません。また私たちの求める答が神さまの御旨でないかもしれません。しかし、人の知恵を越えて働かれる神さまのすばらしい恵みが、私たち一人一人に必ず与えられることを神さまは約束してくださっています。この神さまに信頼し、感謝して従って行く者でありたいと祈ります。