2004年9月26日

「こぼれ種の信仰」 マタイ13:1〜9

 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」

 ある園芸農家が春の出荷を目指してハウス栽培の花の種を秋に蒔きました。種はしばらくして目を出し、成長を始めました。しかし、その冬、時ならぬ台風なみの嵐がその辺一体を襲い、ハウスの一部が損壊してしまいました。お湯を張り巡らせたそのハウスも一晩で苗が全滅してしまいました。春に差し掛かり、水ぬるむ頃、農家の方はハウスのわき道に芽を出した花が育っていることに気がついたそうです。記憶を辿ってみると、その花の芽は嵐で壊れたハウスに蒔く時に用意した種から育ったものだと分かりました。ハウスに持ち込む時、誤って種をこぼしてしまっていたのです。・・・あるご夫婦が倦怠期を迎えたのか、仲がうまく行かなくなったと言います。奥さんのクリスチャンの友人が、二人で教会に行ってみればと勧めてくれました。奥さんは友人の「ご主人、変わるわよ」という言葉に、ご主人を連れて教会に通いたいと思いましたが、ご主人は嫌だと言います。そこで、自分だけでもと通い始めた奥さんは、教会で聞いた聖書の言葉をご主人に教えてあげようと毎週、ご主人に話しかけました。でもご主人は反発して真面目に聞く様子もありませんでした。奥さんは相変わらず、ご主人が、聖書の言葉で変えられやしないかと語り続けたと言います。そして、何ヶ月も経ったある日、奥さんが風邪をひいて教会をお休みした日、寝床から起きてきた奥さんは、ご主人がいないことに気がつきました。ほどなくご主人は、微笑みながら家に帰ってきました。何とその日ご主人は、教会に出かけ、洗礼の決心までしてきたと言うのです。

 よく、大人は礼拝メッセージを聞いているようで聞いておらず、子どもは聞いていないようで聞いていると言います。「耳のある者は聞きなさい。」というイエスさまの言葉は、私たちの魂の耳に向けられた言葉です。求め、聞き従う心の耳のことです。夫婦仲の悪かったご主人は、仕事関係で人知れず悩み、困難に直面しているとき、奥さんが習い覚えてきた聖書の言葉に心の耳を傾け、求めていたのです。悟るとはそういうことです。どんなに素晴らしい救いの言葉の種も、それを受ける土地が豊かでなければ実を結ぶことはできません。心を開き、神の口から出る一つ一つの言葉に聞いていきたいと思います。