2004年8月15日

「赦しなさい。そうすれば、」 ルカによる福音書6:37〜38

 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。

 いつもけんかばかりしている幼い兄妹たちも、その中の一人でも病気になったりすると本当に心配し互いを思いやる気持ちが芽生えるものです。そんな普通の兄妹や親子、家族の絆が戦争によって断たれることが今でも世界中で起こっています。日本でも59年前の沖縄、渡嘉敷島で悲惨の極みと言える出来事が起きました。現沖縄キリスト教短期大学名誉教授、金城重明先生はその生き証人として戦争の罪を訴え続けておられます。戦争末期の1945年3月27日、米軍の上陸作戦を受け、軍の命令により渡嘉敷島民は集団自決を迫られ、家族が手りゅう弾などで自決するという痛ましい末路を辿らされました。当時16歳だった金城先生は不発に終わった手りゅう弾自決を受け、お兄さんと一緒に母を、そして弟妹の命を絶ちました。愛する大切な家族を手にかけた兄弟は死に場所を探す途中、出会った人に自害を止められ、罪の重荷と戦争への憎しみを胸に生きていくことになりました。渡嘉敷島では329人の尊い命が集団自決で失われました。沖縄では他にも軍の命令により沖縄高等女学校生徒、教師を含め240人が医療奉仕に向かい、凄惨な最後を遂げました。日本では唯一の戦場と化した島で、世界でも類を見ない一般市民の命が多く失われました。金城先生はその後、聖書と出会い、イエス・キリストの十字架による救いを受け入れ、キリストの証し人として歩んでこられました。自ら、母を、弟妹の命を奪った先生が自分を、そして自分達を自決に追いやった日本軍を許せるはずはありません。しかし、十字架にかかり全ての人間の罪のために死んでくださり、復活を遂げてくださったキリストの愛は先生に罪の赦しと平安とをもたらしたと言います。

 9月号の「いのちのことば」という小冊子にスティーブン・メティカフ宣教師の戦争体験のレポートが載っていました。中国雲南省で宣教師の子として生まれたメティカフ先生は太平洋戦争勃発と共に日本軍の民間人収容所に入れられてしまいます。当時14歳だった先生は日本軍の中国人に対する横暴と暴力に、次第に憎しみを募らせていきます。しかし、彼のいた収容所には元オリンピック選手(第8回パリ大会)のエリック・リデル宣教師がいました。彼もまた、この世の栄光を捨てて中国伝道に携わっていたのです。彼が開いていたバイブルクラスで「自分の敵を愛しなさい」というイエスの教えは、ただの理想かそれとも現実的な教えかという議論が持ち上がったと言います。少年たちの意見が、それは理想で、日本兵を愛することなどできないという結論に傾き始めた時、リデルはこう言ったそうです。「僕もそう思っていた。でも、イエスのそのことばには『迫害する者のために祈りなさい』という続きがある。愛せなくても、祈ることならできるはず。」リデルはメティカフ少年に「憎む時、君は君中心の人間になる。祈る時、君は神中心の人間になる。」と教えたと言います。リデルはその後収容所で亡くなり、メティカフ少年は彼からもらったランニングシューズを胸に帰国、そしてあれほど憎んだ日本人の魂の救いのために1952年に来日、それ以来日本で宣教し続けてこられました。

 「赦しなさい」というイエスの言葉は、平和を実現するために直面しなければならない、自分と神との関係を表します。神との個人的な平和の関係がなければ世界の平和も無いのです。「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。」そこに真実の平和を作る者の戦いがあり、祈りの戦いがあるのです。