2004年5月23日

「あなたの名を呼ぶ神」 イザヤ書43:1,2

“ヤコブよ、あなたを創造された主はイスラエルよ、あなたを造られた主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず炎はあなたに燃えつかない。”

 信仰は、目に見えぬ、しかし存在される神の呼びかけに答えるところから始まるといわれます。旧約聖書におけるイスラエルの信仰の父、アブラハムも75歳になったとき、神の呼びかけに答え、生まれ故郷を後に、約束の地カナンを目指して出発しました。元の名をアブラム(父の名は高められる、の意)と言われた彼は、それまでのもの全てを捨てて180度違う人生の旅に出たのです。そして、神は彼の信仰のゆえに新しい名、アブラハム(多くの国民の父)という名を与えられました。また、その孫、ヤコブも神の祝福を受けイスラエル(神は闘われる)の名を受けました。

 河合隼雄さんのエッセイ「こころの処方箋」で“一番生じやすいのは180度の変化である”というのがありました。人は皆変わりたいと願う存在であり、他者に対しても変わることを願う存在のようです。人の変化に関わる職業に携わってこられた氏は、意外と人が変わろうと決心した時には20度と言わず、30度と言わず、180度変わってしまうことが多いというのです。たとえば断酒をするのにちょっとづつやる人はあまりいません。決心した時きっぱりとやめる。「つまり、何かの方向付けの力が働いているとき、逆転してしまう方が少し変えるよりはまだやりやすいのである。」と言うのです。しかも、たとえ誘惑に負けてまた180度転換して飲み始めたとしても、180度変わった経験が本当に変わっていくことへの助けとなっていくと言うのです。

 新約聖書では、イエス・キリストの愛弟子ペトロがこの変化を体験しています。ケファ(岩)と呼ばれた彼はイエスさまの受難のとき、イエスを裏切り、他の弟子たちと共に逃げ去ってしました。しかし、復活の主は恵みによって彼に新しい名、ペトロ(岩盤)を与えてくださり、死をも顧みない伝道者と変えて下さいました。また、クリスチャンを迫害し、キリストの名に背を向けていたサウロも主の憐れみにより回心しパウロとしてキリストの福音を宣べ伝える者と変えられました。聖書の中には他にも主にその名を呼ばれ、180度の変化をして生きた人々が記されています。「わたしの僕ヤコブのためにわたしの選んだイスラエルのためにわたしはあなたの名を呼び、称号を与えたがあなたは知らなかった。わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。わたしはあなたに力を与えたがあなたは知らなかった。」(イザヤ45:4,5) 神は私たちが変わるために、私たちの名を呼んで下さいます。それは、私たちの性格や状況を変えるための呼びかけではなく、私たちの霊が生きるものとなるための呼びかけ、私たちの本当の身分、神の子と呼ばれる称号を与えるための呼びかけです。復活後のイエスさまが疑り深いトマスに言われた、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」との言葉は、私たちが本来の自分に立ち返り、本来の人生を取り戻す180度の変換をもたらす神の呼びかけなのです。20度でも30度でもなく、180度の変化、キリストを信じる信仰をあなたも受け取ってみてはいかがでしょう。恵みによって清くされた者として「感謝」という応答をもって生きていくこと、そこに神の報いは大きいのです。