2004年3月28日

「誰の手で」 ヨハネによる福音書2:13〜22

 “ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。”

 共観福音書と言われる、マタイ、マルコ、ルカ、による各福音書はイエスさまの宮清めの出来事を受難前のエルサレム入場直後の事として記しています。しかし、ヨハネはこの出来事をイエスさまの伝道開始直後のこととしています。ヨハネはイエスさまのこの行為がユダヤの権力者達から訴えられる口実となったことを説明することよりも、主イエスの伝道活動を貫く精神を説明することに重きを置いていると考えられます。ある意味で、このイエスさまの意外とも思える過激な行動は、今生きる私達の宗教に対する態度や姿勢にも一石を投じる行為だったと言えます。もし、東京の下町にある浅草寺、戦前はお稲荷様も弁天様もお地蔵様もありとあらゆる末社が境内にまつられていたこの寺の境内で起きたらどうでしょう。観音様が鞭や棒きれを振るい、仲見世の店の品々をひっくり返し、鳩を追い払い、社務所を荒し、おみくじ箱を放り出し、そして「このような物はここから運び出せ。わたしの境内を商売の家としてはならない。」などと言われたら、お参りに来ている人達はどう反応したでしょうか。

 一般的に、イエスさまの宮清めの出来事は、当時のユダヤ教の形だけになってしまった信仰を糾弾し、イエスこそ真の救い主であることを宣言する出来事であったと理解されています。しかし、そればかりではなく、この出来事は聖所、神礼拝の場所を開放する出来事でもありました。共観福音書では過越の祭りのためにエルサレムに上られたイエスを人々はダビデの子、救い主として大歓迎したと記録しています。しかし、イエスさまの荒々しい宮清めの行為はそんな人々の躓きとなりました。それでもイエスさまを喜んで出迎えてくれたのは、目の見えない人々や足の不自由な人々、そして子どもたちだけでした。それは、イスラエルの第2代目の王、ダビデがエルサレムを攻略し、自身の町を作った時からのならわしで、そのような人々は宮での礼拝を禁止されていたからなのです。イスラエルの人々は知らなかったのです。捧げられるべきは犠牲の動物たちや神殿税、さまざまな儀式などではなく、真心からの感謝と祈り、神への悔い改めであり、全ての人が神礼拝に招かれていたことを。イエスさまは形ある神殿、すなわち儀式の宗教から、罪を清める犠牲としての十字架の死を通して真実の神礼拝へと宗教そのものを改革されたのです。それは、人が作った神殿から神の手によって建てられた救いの神殿による革命でした。