2004年2月22日

「手を添えて」 詩篇37:23〜29

 “主は人の一歩一歩を定め御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。若いときにも老いた今も、わたしは見ていない、主に従う人が捨てられ子孫がパンを乞うのを。生涯、憐れんで貸し与えた人には祝福がその子孫に及ぶ。悪を避け、善を行えばとこしえに、住み続けることができる。主は正義を愛される。主の慈しみに生きる人を見捨てることなくとこしえに見守り主に逆らう者の子孫を断たれる。主に従う人は地を継ぎいつまでも、そこに住み続ける。

 ヘブル語のアルファベット順で歌われていく、この詩篇37編は「神さまを中心に置いた生活の法則」とさえ言える言葉です。イスラエルの人々はこの法則を胸に刻み、異教の人々と関わりながら生きていく上での基準としていました。その法則は世の中がどうあろうとも今も変わりません。一節から読みますと、「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。」とあります。昔から、世渡り上手はいたものです。真面目に一所懸命生きる人が報われず、不正を行ったり、悪事を働く者が得をするような世界がこの世です。私たちもつい、皆がやっていることだもの、と不正への誘惑を受け入れてしまいそうになることがあるものです。しかし、ダビデは歌います。「主に信頼し、善を行い、地に住み着き、信仰を糧とせ」と。今も昔も、実に正しく生き難い世の中です。しかし、主なる神を信じ、従う者に神は間違いなく報いてくださるとこの法則は私たちに教えてくれるのです。

 4節以降もダビデは「主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らいあなたの正しさを光のようにあなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる。沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や悪だくみをする者のことでいら立つな。怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。悪事を謀る者は断たれ主に望みをおく人は、地を継ぐ。」と歌うのです。この世の基準に振り回わされず、神さまを中心にした生活を送るなら、平安なる生涯と報いとを当たり前のように私たちは神さまからいただくことができるのです。そして、もしも試練に会って倒れるようなことがあったとしても、主は私たちを見捨てられず、その手を添えて私たちの歩みを支えて下さるのです。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(1ペテロ1:7)