2004年1月11日

「キリストを宣べ伝え」 コリント人への第二の手紙 4章1節〜6節

 “こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。”

 大晦日から新年へと、私は神の私たちへのご配慮とご計画とを味わうことができました。よく、肉親の死は自分自身の死への自覚を促すと言いますが、父の闘病とその死を通して私は自分自身の死よりも、生きることの意味を自覚させられました。長い厳しい闘病生活の末、私の父は今年の元旦、天に召されていきました。父はある意味ごく常識的な価値観、自分なりな人生観を持った人でした。頑固でワンマンなところがあり、自分のやりたいことを思い通りやり遂げた人でした。その分、家族や周りの人たちに負担をかけて生きていたのだと思います。一昨年の夏、病床にて父はキリストにある罪の赦しと贖いを信じ、償うことのできない父の罪をイエスさまが身代わりとなり十字架に死に、三日の後甦ってくださったという福音を受け入れ、洗礼を受けました。それまでの父は自分の業績や名誉を重んじ、普通だれでもそうであるように、自分を誇りたい人でした。しかし、クリスチャンとなってからの父は、感謝の人となっていきました。それは、病気がそうさせたということでも、悟りを得たということでもなく、自分が生かされているという自覚によるものだったと思います。それまで、人が自分にしてくれることは当たり前、当然のことと思っていた父は、神に赦されていること、愛されていることを体で感じ、人を通して与えられる助けの手に心から感謝できるようになったのです。そして、父は自分がまだ会ったことのない人々から祈られていることに大きな感謝と感動とを覚えていました。

 その生涯で父は、一度も教会に行くことはなく、礼拝を守ることもできませんでした。また、クリスマスを教会でお祝いすることもできませんでした。辛い闘病生活の中で励まし、希望、支えとなっていた夢、郷里の土地に教会を建て、教会を中心とした町を作ることも叶いませんでした。しかし、父との約束通りに果たすことのできたキリスト教式の葬儀を通して、私は父の願いは全て叶ったと確信するのです。クリスチャンのほとんどいない故郷の小さな町で行われた葬儀、葬儀社さえ一度も行ったことのないキリスト教式の葬儀に会葬者は驚き戸惑われたに違いありません。読経もお焼香さえない葬儀であるにも関わらず、慣れない讃美歌を一生懸命歌おうとして下さったお年寄りたち、初めて聞くキリストの福音、そして祈りを聞いて下さった人々、そこはさながら教会であり、礼拝堂でした。父の願いは叶いました。『この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。』(ヘブル11:13)私たちの生きる意味、それはキリストを宣べ伝え、キリストに生きるところにあります。讃美歌に送られ父は満足げに息を引き取りその生涯を終え、天に凱旋して参りました。