2003年10月12日

「あなたに欠けているもの」 マルコ10:17〜22

 イエスさまが旅に出ようとされると、金持ちの男の人が走りよってきて、ひざまずき、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねました。「何をすれば」つまり自分の力で頑張って、あと少し善い行いをすれば永遠の命を得ることができると考えていました。しかし、イエスさまは「あなたに欠けているものが一つある。行って持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば天に富を積むことになる。それからわたしに従ってきなさい。」と言われました。この男は、悲しみながら立ち去りました。たくさんの財産を持っていたからだと記されています。「持っているものをみな売り払い」というイエスさまの言葉は無謀なものでしょうか。イエスさまのおっしゃる財産とは、自分のお金だけでなく、名誉、地位、学歴、この世の常識など神さまの愛を受け入れることを妨げているものすべてを言っているのだと思います。たくさんの財産をもつことがよくないと言っておられるのではなく、それによって神さまの愛を受けることから不自由になっていることを問題とされているのです。

 夏にある教会員のご主人から、ミニトマトの苗を分けて頂きました。おいしいトマトを作るためには「芽かき」という作業が必要だと教えて頂きました。葉っぱの付け根から出る新芽をすべて摘み取り捨てる。そうすると養分がトマトの実に十分行き渡り、おいしいトマトができるというのです。大切なものを得るために捨てることが必要なのです。なかなか私たちは自分にまとわりついているものを捨てきれません。しかし、だからといってこの金持ちの男のように悲しみながら立ち去ってしまえば、神さまの愛を知ることは出来ません。すべてを捨てきれない状態にあっても、神さまは私たちを愛してくださっているのですから、そのままの姿で、弱い自分のままで神さまに助けてくださいと委ねていくとき、神さまは答えてくださいます。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコ10:27)とおっしゃいました。すごい言葉です。自分では何も出来ない弱いもので神様に依り頼む以外ないと知ったとき、人間には出来ないことでも、神さまは答えてくださるのです。永遠の命が与えられるのです。感謝という以外ありません。私たちは、礼拝や各祈り会などで、ご自身、またはご家族が辛い病気だったり、介護に関わっておられたり、本当に苦しい思いの中で命と向き合っている方のことを覚えてお祈りしています。どうしたらいいのかと、もがいたり頑張ったりしても人間は弱く、何も出来ません。しかし、「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできる。」その神さまを信じ委ねていくなかで最善の導きが与えられることを確信しています。小田牧師が心臓に痛みを覚え、救急車で病院に運ばれ、カテーテルの手術をされましたが、このような大変な出来事の中で、神さまは人知では計り知れない最善の道を示してくださったことに感謝せずにはおれません。

 私たちは、富、名誉、地位、知識、学歴、世の中の常識など神様の愛を受け入れることを妨げているしがらみを背負っています。それを自分の力で取り除こうとしてもできるものではありません。しかし神さまにはそれが出来ます。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」といわれたイエスさまに信頼し、弱い自分をそのまま愛してくださる神様に委ね、生かされる者となりたいと思います。