2003年9月7日

「魂のホームレス」 マタイによる福音書9:35〜38

「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」

 文化庁宗教年鑑によれば、クリスチャンの人口は全体の0.87%であるとのことです。長い間日本の教会の課題となっている数字です。日本の人口の99%の方達にある意味、福音が伝えられていないのかもしれません。しかし、それは数の問題ではなく、むしろ1%にも満たないかもしれませんが、イエスさまを信じるクリスチャンの姿勢の問題なのかもしれません。旧約聖書の民数記13章以降に、奴隷の地エジプトから帰還したイスラエルの民が約束の地カナンに入る直前、12人の斥候を送って様子を探らせる出来事が記録されています。40日後、彼らは偵察を終え、モーセや人々に報告しました。彼らのうちの10人までもの斥候はカナンに入ることに反対でした。彼らよりも強い民族が住み着いているのが分かったからだと言うのです。そして全体はそれを聞くと声を上げて叫び、夜通し泣き言を言ったと言います。しかし、斥候のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブはひれ伏していたモーセとアロン、イスラエルの人々の前で言いました。「我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えて下さるであろう。恐れてはならない。主が我々と共におられる。」

 先月、中高生を中心に教会の何人かの人たちは横浜寿町にあるカナンキリスト教会を訪ねました。カナン教会は長い間、ホームレスの方達への伝道の重荷を負って活動を続けている教会です。皆、その活動に感銘を受けて帰って来ました。ここにもヨシュアやカレブがいると私は思いました。焼け石に水、と思えるような働きをひるむことなく恐れることなく続ける信仰が私たちには必要です。そして、私たちクリスチャンが自覚しなければならないことは、信じる者たちを養っていてくださる方が誰であるかをいつも忘れずにいることです。ホームレスという言葉は「住む家を失った」という意味と、動物たちで言えば「飼い主をなくした」という意味があります。実はホームレスの方達は、住む家が無いことはもとより、しかるべき働き場や雇い主がいない。霊の安らぎの場、憩わせてくださる方がいないということです。それは、ホームレスの方達だけの問題ではありません。

 イエスが群集を見られると、彼らは飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれていたのです。弱っていたのは、本当の飼い主に飼われていなかったからです。み言葉を語り病気や患いをいやす主に飼われていなかったからです。イエスさまはそんな彼らを憐れんで言われました。「働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」大切なことは祈ることです。主は真実の働き手を私たちの中から送ってくださいます。