2003年8月17日

「私の共感者」 ローマ人への手紙12章12節〜18節

 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」

 今から32年ほど前、画期的な本が出版されました。土居健郎さんの“「甘え」の構造”です。日本人独特の人間関係のありようから、日本人の心の構造を探求したものでした。出版30周年を記念して、土居さんは講演の中で、日本人の精神病理のすそ野が非常に拡大、多様化してきており、その原因は個人よりもやはり今日の社会の「異常性」に求めざるをえないと語りました。日本人は、第二次世界大戦後、欧米化の中で暗黙のうちに「自立」を求め合ってしまい、人間が本来持っている言葉にすることができない自然な「甘え」を排除してきた結果、健全なコミュニケーションができなくなってきたのではないかと言うのです。自らクリスチャンでもある土井さんは、「甘え」は排除されるものではなく、むしろ聖書の中でイエスさまも「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」また、神のことを「アッバ、父よ」と語られるように、正常な依存関係が人間の心の成長にはかかせないものであると言っておられます。

 20世紀、世界における精神分析の基礎を築いた、ジグムント・フロイトに学び、同じくユダヤ人であったハインツ・コフートは、「自己心理学」という分野を開拓しました。それまでフロイト流の伝統的な精神分析の世界では、「自己愛」や「依存」は否定的に考えられ、(西欧のキリスト教主義文化の影響からか)自他愛、すなわち自分を捨てて他者を愛することに価値があり自我を確立し自立していくことが目的とされていました。しかし、コフートは、人間が自分がかわいい、自分を大切にしたいと思う心理は自然なもので受け入れるべきであり、むしろ自分と相手との関係を通して成熟した依存関係を目指すことを目標としたのです。それは、自分が感じたり考えたりしていることを信じ、同じように相手の感じ方や考え方を相手の立場に立って共感し認め合って互いの「自己」を成熟させていくというものでした。満たされた「自己」は相手との成熟した関係に向かうとコフートは考えたのです。そして、彼は「共感」という道具を使って、病んでしまった人々に代わって内省し、癒される道を共に探って行ったのです。

 自分自身がまず満たされないで、人は他者に向かって開かれていくでしょうか?「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ことができるでしょうか? ザアカイという徴税人は、金持ちゆえに、仕事そのものや風貌から、孤独で心を閉じた人だったと思われます。しかし、彼がイエスさまに出会い、イエスさまが深い共感をもって彼に語りかけられた時、彼は変えられてしまいました。ザアカイは言いました「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」このように、「自己」が満たされた人は素直に自分の非を認め、健全な悔い改めと、新しい基準に立った生活に歩むようになると思います。主イエスは、私たちの究極の共感者として、私たちの「自分を愛する心」を支え満たしてくださり、周りの人たちの共感者となるよう送り出して下さることでしょう。