2003年6月8日

「命のイースト菌」 マタイによる福音書13章32節〜33節

“イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」”

 今日はペンテコステ、聖霊が信仰者たちの上に降り、教会が聖霊の働きによって生まれた記念日です。イエスさまが語られる「天国」は、どこか遠くにある所でも、死んだ後に行く所でもなく、『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。(ルカ17:21)と言われました。その言葉は、天国の存在が、今福音に生きる私たちと、それを分かちあう人々との関係の中にあることを教えてくれます。しかし、先立つ箇所でイエスさまは毒麦のたとえを用い、神を信じて生きる者たちの間に「偽善」という恐るべき毒麦が存在することも教えて下さいました。からし種やパン種といった目に見えぬほどの小さなものですが、その小さな種が土に蒔かれたり、パン生地にまぜると成長し膨らむように、信じる者たちの働きは大きな影響を周りに与え、その存在が世界に入り込み、生きて働くなら大きく成長するとイエスさまはおっしゃいます。

 パン生地をこね、イースト菌を混ぜ、寝かせておくとその生地が大きく膨らんでくるように、私たちの行動や理念が世の中の運動となり、世界を変える大きな力となることがあります。皆が親切でやさしく、いい人になることを目指せば、世の中平和になるのかもしれません。「いい人菌」が伝染することによって世の中から争い事がなくなるかもしれません。しかし、聖書は人がいい人になることによって平和がもたらされたり、天国に行けるとは言っていません。マタイ19章によれば、ある青年がイエスさまの所に来て、永遠の命を得るための方法を尋ねました。自分は決まりを守っているし、とりたてて悪いことをしたこともない、自分で言うのもなんだけれども自分はわりといい人だと思う、他に何か欠けてますか?と聞いたのです。するとイエスさまは答えました。「行って、持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」彼は悲しみながら立ち去りました。たくさんの財産を持っていたからです。「偽善」とはうわべだけを飾って正しいように、あるいは善人のように自分を見せかけることです。そして、クリスチャンにとっての偽善とは、人の救いが人の行い、律法の行いによってもたらされるように教え、信じさせることです。イエスさまも、使徒パウロも律法学者やファリサイ人たちというパン種に気をつけなさいと注意されました。イエスは救い主と告白する信仰を与える、聖霊のパン種以外にこの世に救いと平和をもたらすものはありません。そして、そのパン種は神の力と支配によって大きく成長させられ、福音は今日まで教会を通して広がり続けているのです。