2003年5月25日

「あなたたちの願い」  マタイ福音書20章29節〜34

 “一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った。そのとき、二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。”

 先日、ある教会の集会で「メイクアウィッシュ」(願い事をする)というボランティア団体についてのチラシを見ました。身近でその活動を見たり聞いたりしたことはありませんでしたが、以前テレビの番組でその働きを知りました。アメリカのアリゾナ州のクリスくんという7歳の男の子が白血病にかかり、余命いくばくもないことを知った地域の人たちが、彼の夢であった警察官になることを叶えてあげたことがその働きの始まりだったそうです。だれにでも夢や希望や願いがありますが、難病を患った子ども達にはそれを実現する時間がありません。そうした、3歳〜18歳未満の難病と闘っている子ども達の夢を叶えてあげようと始まったのが“Make a wish”です。 1980年に始まった働きも現在では本部をアリゾナ州のフェニックスに置き、80の拠点、支部20カ国に及んでいるそうです。多くの子ども達がその活動により、夢が叶えられ、天に召されていきました。しかし、中には夢叶うことなく亡くなった子ども達もたくさんいます。

 「何をしてほしいのか」イエスは二人の盲人の叫びに足を止め、お聞きになりました。エリコからエルサレムに向かう途上、イエスさまを「主よ、ダビデの子よ」と呼んだ人はいませんでした。噂で聞いていた、力ある業をなし、驚くべき言葉を語るイエスさまが近くを通られていることを知った二人は自分達の人生を賭けてイエスに呼ばわったのです。イエスさまを立ち止まらせるほど熱心で切実な願いが夢が、そしてそれを叶えて下さると信じる信仰がこの私に本当にあるのかを思わせる出来事です。私達になりふりかまわない切実なる願い事があるでしょうか?しかも、急に問われて即答するだけの願いが熟しているでしょうか?それに先立つ箇所でイエスさまはゼベダイの息子たちの母に同じ質問をされました。母親はイエスがイスラエルの王、権力者となった暁には、自分の息子たちを右大臣、左大臣にして欲しいと願ったのでした。するとイエスさまはおっしゃいました。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。」ヤコブとヨハネの母が望んだことはこの世に関したことでした。しかし、イエスさまが向かっておられたのは十字架への道、罪の贖いのための犠牲への道であり霊に関することでした。

 それに対し、二人の盲人の願いは目が見えるようになること、新しい人生とその目標が与えられることでした。五体満足でも人生の意味とその目標を定めて生きている人は少ないものです。魂の救いを望み見る霊の目を開いて歩んでいる人も少ないと思います。そこで、二人の盲人はイエスに触れていただくとたちどころに目が見えるようになり、イエスに従った、とあります。“Make a wish”イエスさま流に言えば 「何をしてほしいのか」。それは、私たちへの神さまからの問いであると同時に、神が私達に与えようとして止まない、私達に本当に必要な「永遠の命」「死に勝つ力」そして、「罪の赦し」を切望せよとの神の問いかけだと思うのです。