2003年3月9日

「本当の戦い」 コリント人への手紙第二 10:3〜6

“わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。”

 今、私たちの住む世界に今までとは違った意味での戦争の危機が訪れています。アメリカ、イギリスを中心とした国々とイラクとの関係は最悪の局面を迎えていると思われます。ヤコブの手紙の著者ヤコブはその中で、人間の間に起こる戦いや争いは人間自身の内部で争い合う欲望が原因だと言います。そして、人の貪欲さが人の罪の深さを表していることを語ります。アウグスチヌスはまた、「罪が生じるのは、少しの価値しかないものを人生のゴールであるかのように追い求めるです。お金であっても力であっても、必要以上にもとめるならそこに罪が生じます。」と言っています。戦争の底流に流れるのは正義でも愛でもありません、ヤコブが「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。(1:15)」というように、人間の罪そのものです。本当の戦いとは、壊されようとしている関係を脅かす、どんな誘惑や力に対しても抵抗し、人の力による解決ではなく、神の導きを待つ戦いです。

 私が若いころ、ベトナム戦争反対を訴えた運動や歌が流行りました。戦争反対、戦争の悲惨さを訴える歌が歌われ、体制と真っ向からぶつかるものが多かったです。しかし、最近の若者たちの反戦への眼差しは私たちのそれとは違っているようです。先日ニュース番組で見たSMAPの「世界に一つだけの花」という歌は「もし、世界のすべての人が、あるがままの自分を好きになれたら戦争なんてなくなる」というメッセージを含んだものでした。槙原敬之作詞のその詩は、人は皆一人一人違い、争って一番になる必要はなく、皆がそれぞれOnly Oneの存在であり、それぞれ違った種の花を咲かせることだけに一生懸命になればいい という意味のものでした。今、世界でも唯一の、戦争による紛争解決を放棄した憲法を持ち、被爆者を今も抱える日本人には世界に対して大きな責任があると思います。特にクリスチャンにはその責任は重いのです。主イエスは、人の罪を贖うために、たとえ人からののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになった(1ペテロ2:23)と言います。どんな理不尽な国や力に対しても同じ性質のもので立ち向かう歴史を人間はこれ以上繰り返してはならないと思います。むしろ、「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。(ヘブライ12:4)」と言われるように、勇気をもって私たち一人一人の中にある罪との戦いに目を向け、祈りと対話による解決の道を得る戦いをしなければならないのです。