2003年3月2日

「ついてくるもの」 ルカによる福音書9:57〜62

 “一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。“

 箴言29:18に「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」とあります。幻とは夢とか目的とか目標を表すと思われますが、人が何かをやる時に必要なことはゴールを定めるということではないでしょうか?そして、その究極のゴールとは神の導き、神との正しい関係を持つということです。 ただ、がむしゃらに立ち働いても目標のない人生、拠り所のない人生は空しいものです。先日、毎日新聞のコラムに、最近の日本の若者たちが好きな言葉は「棚からぼた餅」、嫌いな言葉は「石の上にも三年」である、という文章がありました。その内容は、地方の政治が政府からの援助に頼り、地道で堅実な地方政治を怠り、それこそたなぼた式の財政政策を今日まで続けてきたことに対する批判でした。若者のことを言う前に振り返らなければならないことがあります。幻という言葉のもう一つの意味には、秩序とか順序というものがあります。何をするにも物事には優先順位というものがあります。その順序をたがえると後に続くものが狂って間違って来るのです。

 昨日韓国で、1919年に起こった3・1独立運動を記念して盧武鉉大統領は、「これからは、権力におもねる者はこれ以上いるところはなく、ひたすら誠実に仕事をし、正々堂々と勝負する人たちが成功する時代が開かれるだろう。・・幾つかの権力機関はこれまで政権に奉仕し、内部の秩序が崩れたり、国民の信頼を失ったりした」と指摘したうえで、権力機関は国民のための機関に生まれ変わらなければならないと演説しました。一国のリーダーの幻は大切なものです。正しい幻がなければ民は堕落すると言われように。

 イエスさまの幻とは、神を信じる者が「神の国」とその義とを第一とするようになることでした。人生の優先順位を定める姿勢と態度を厳しく求められたのです。鋤に手をかけてから後ろを顧みる者とは、信じていると言いながら、信じる前と同じ優先順位で生きる者のことを言います。それは、本来受けるはずの神の祝福と恵みとを拒否して生きることなのです。神は神を信頼し、共に歩む者たちに豊かなものを与えてくださり、神のみこころを求め、第一とする者にはこの世の必要は全てついて来るものとして与えて下さいます。