2003年2月2日

「遣わしたのは神」 創世記45:3〜8

 “ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。”

 旧約聖書の中でも有名な、信仰の人アブラハムの孫ヤコブとその子供たちとの間に起こった出来事から今日は学んでまいります。ヤコブの12人の子供たちの中でもとりわけ彼が愛したラケルの子ヨセフは、特に父親に愛されそれが原因で兄弟に妬まれてしまします。そればかりか、親兄弟が彼にひざまずくというヨセフが見た夢をめぐって、兄弟達の怒りを買い、彼は殺されそうになります。しかし、穴に落とされた彼は、イシュマエル人の隊商に売られてエジプトに奴隷として連れていかれました。ところが彼は神に守られ、その知恵と信仰とによりエジプト王の信頼を得、指導者となっていきました。そして、エジプトからカナン地方一帯に起こった飢饉により、ヤコブの夢解きは現実のものとなり、何も知らない彼の兄弟たちはエジプトの死んでしまったと思っていた指導者ヤコブの元に助けを求めにやって来たのです。

 麗しい家族愛を表すこの出来事は、家族というものの絆の深さを物語っています。しかし、よく読んでみると、ヤコブの家族は決して強い絆で結ばれていたとは言いがたいのです。家族は、その関係があまりに近しいが故に、その関係は危ういのです。ヤコブも彼の夢一つで親兄弟との絆を失ってしまいました。人間を中心として築かれる人間関係は、たとえ家族関係と言えども案外脆いものではないでしょうか。しかし、ヨセフに起きた出来事を通して私たちが知るのは、私たちの複雑な人間関係の中に神のご存在を認めることができるなら、新しい関係が与えられるということです。そして、神との信頼関係を通して正しい人間関係がもたらされるということです。兄弟からひどい仕打ちをされたヤコブを見ても、彼は自分を捨てた兄弟に対して憤り、報復をしてもおかしくない状況でした。また、彼自身、奴隷としての身の上を悲しみ、人生を恨んで生きても不思議ではありませんでした。しかし、ヤコブはその全ての出来事に主の眼差しがあり、自分の身に起きたさまざまな不幸な出来事が、一つの目的のために計画されたことを自分の家族との再会を通して悟ったのです。その神のご計画とは、全てのものを大いなる救いに至らせることでした。私たちと私たちの人生に対する神のご計画を知るとき、過去を悔やんだり、互いに責め合ったりする必要はありません。私たちが神を知り、神を認め、神との関係を第一とするなら、私たち自身が神の目的のために互いに遣わされた者同士であることを知るのです。主イエスさまが私たちの罪の贖いのために遣わされたように、私たちも私たちの人間関係の不都合の中に救いの秘密が隠されていることを伝えるために派遣されているのです。そして、遣わしてくださったのは救いの計画者、神ご自身です。

 イエスさまは言われました。「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」(ヨハネ6:38-40)