2002年11月17日

「主の愛に触れて」ルカによる福音書22:31〜34

 ある美術評論家が評論家として、人の絵の見方に興味があり2歳になる自分の子どもに、レオナルド・ダ・ヴィンチのあの有名な絵「最後の晩餐」を見せて、いったいその子が何と言うか試してみたそうです。数えるほどしか語彙がない子どもが言いそうなことを色々想像してみたそうですが、何とその子はこう言ったそうです。「ごはん!」

 私たちの命は、命の移動によって支えられていると思います。私たちが毎日食べている食べ物は、どれも命あるものばかりです。そんな命をいただきながら私たちは生きながらえているのです。小さな子どもでさえも食べることの大切さは体で知っている基本的なことです。さて、ひるがえって私たちの霊的な命の支えはどうなのかと考えさせられます。先週、私は所用で名古屋と京都を訪ねました。特に京都はある方のお見舞いが目的でした。横須賀長沢の浅野牧師が京都のバプテスト病院で療養なさっているのを見舞うために京都まで足を伸ばしました。残念ながら先生は病状が悪く面会は叶いませんでしたが、奥様にはお会いすることができ、祈りつつ夜の京都を後にしました。帰りの道、思い出したことがありました。先生はお加減が悪い中にも横須賀の教会の礼拝のために説教の準備を欠かさずしておられたそうです。名古屋の病院におられる時には通いで礼拝を守っておられたのですが、最近は病状の悪化とともに、ご子息のおられる京都の病院に転院せざるをえなかったのです。そんな先生のお働きを見るにつけ、実に礼拝のメッセージというものは、霊的な命の移動ではないかと思わされました。自分の命を削って神の言葉を手渡す作業が宣教ということなのかもしれません。寿命という概念を抜きにして考えてみますと、本当に福音に仕えるということは命を手渡していくことだと思われます。自分も果して、自分の命を削りながらメッセージに向かっているか考えさせられました。神の言葉の取次ぎという命の手渡しによって説教者は日々の霊的命を人々に分かち合っているのかもしれません。

 さて、イエスさまの一番弟子と目されたペトロは誰よりもイエスさまを愛し、イエスさまに従う忠実な弟子のはずでした。いつもイエスさまのお気に入りでありたかったでしょうし、自分でもそのために努力していたペトロだったと思います。しかし、イエスさまに危機が迫るころペトロはイエスさまへの忠誠を誓います。「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」

それは、彼の誠意一杯のイエスさまへの愛の表現でした。しかし、イエスは言われました。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」ペトロは心外だったに違いありません。どんなことがあろうとも自分はイエスと共にあるという固い決意が彼にはあったに違いありません。しかし、イエスさまが弟子のユダに裏切られ、祭司長たちや律法学者たちに捕らえられると、他の弟子たちも皆逃げ去ってしまいました。そして、こともあろうに一番弟子のペトロでさえもイエスを見捨て、人々の訴えに、イエスとは何の関係もないと否んだのです。彼が三度イエスを否む前に鶏が鳴きました。主イエスは振り向いてペトロを見つめられると、ペトロはイエスの予告を思い出し、彼は外に出て、激しく泣いたと福音書は記録しています。ペトロが泣いたのは、イエスの目が彼を責めていたからではありませんでした。そうではなく、彼の弱さを知った上で、主が彼を赦しておられるのがペトロには痛いほどよく解ったからです。良い子でいたかった彼は、自分の人間的な誓いの弱さを思い知り、良い子なれなかったにもかかわらず、主に受け入れられていたことを知ったのです。命の流れには痛みと犠牲が伴います。本当の愛に触れ、命の流れに触れたとき、人は変えられるのです。イエスさまの愛の大きさ、深さという未知なるものに触れたとき人は激しく泣くのではないのでしょうか。私も昔、自分の罪を赦してくださるというイエスの愛に触れたとき激しく泣いたことがあります。それは、自分の力によらない神の力が支配する未知なる世界があることを知ったことによります。