2002年7月21日

「無条件の愛」マタイによる福音書5:21〜26

 今、教会では十戒の教えについて学びを続けています。私はその学びを、旧約聖書や聖書全体を学び始める上で大切な心得を身につけるための学びと考えています。そして、十戒の戒めこそが神の無条件(犠牲)の愛とその目的である全人類の魂の救いという神のご計画を下敷きにして読み解かなければならない大切な神さまからのメッセージだと考えています。膨大なページに及び、やはり特殊な文章としか言えない聖書を読み解くのは大変難しいことです。しかし、私は聖書のどんな箇所でもたとえ難しく、厳しく、また恵みに満ちた文章であったとしてもその背後に神の無条件の愛があることを心得て読むことができるなら、深い神のみこころを知ることができるようになると信じています。まるで金太郎飴を折ると、折ったところどこでも金太郎の顔が出て来るように、聖書のどのページを開いてもそこには神の無条件の愛という顔を土台とした神のメッセージを読むことができると思います。

 今、学んでいる十戒の箇所は第6戒、「殺してはならない」という箇所です。ご存知のようにこの戒めは、ただ単に人を殺してはならないという意味に留まらず、どんな人であっても他者の存在を否定したり無視してはならないことを教えています。それは、誰よりも、心の中でひそかなる殺人を犯してしまうほど私は凶悪な存在であることと、そんな私を神が愛し慈しんでくださっていることとに気付かせてくれる戒めです。心の中にある悪い思いはどんなに隠そうとも表に現れてきます。そして、他者に対して言うのです。「ばか」「愚か者」と。私たちの弱さはその愛にあります。人間の愛は限界のある愛なのです。ある条件の中でしか人を自分をそして神さまを愛することしかできない不完全な愛なのです。そして、限度を超えると耐えられなくなって愛することをご破算にして内的、外的殺人を犯してしまうのです。しかし、イエスさまはそんな状況の中にも和解の道、良い選択の道があることを教えて下さるのです。人との軋轢や不和があるとき、そのままに放置せず仲直りをしなさい、責められるところがあるならば和解しなさいとおっしゃるのです。

 ビル・ブライト博士という人が友人に、仕事仲間でありながら互いに嫌い合っていた二人の弁護士があったそうです。一方の弁護士がクリスチャンになり、彼の元に来て言ったそうです。「さあ、クリスチャンになったけれど、いったい私は何をすればいい?」ブライト博士は言いました。「仲間の弁護士に赦して欲しいと言う事、そして、彼を愛しますということ。」弁護士は答えました。「それだけはできない!大嫌いなんだ。」二人はそれから祈りました。神の無条件の愛で愛されていることに感謝しました。翌朝、彼は相手の弁護士に博士が勧めた通り心から告白したのです。すると相手の弁護士はとても驚き、自分にも悪い点があったことを認めて、赦しを請いながら言いました。「私もクリスチャンになりたいが、どうしたらいいか教えて欲しい。」

 神の戒めは、命令と従属という一方通行のものではなく、神の無条件の愛を土台としたより良い選択とより良い関係の道にある命の交流であることをこの出来事は教えてくれると思います。私は、イエス・キリストを通して表された神の無条件の愛を全人格的に知ることこそが私たちの生きる全ての目的とさえ言えると信じています。