2002年6月9日

「何がありますか?」列王記下4:1〜4

紀元前931年、イスラエルの王国は彼らの不信仰のゆえに北王国イスラエルと南王国ユダに分裂し、しかも北王国はその200年後アッシリアにより滅ぼされてしまいました。サウロ王、ダビデ王、そして息子のソロモン王と受け継がれた神の民の国を救おうと預言者(神の言葉を取り次ぐ者)たちは歴代の王たちに神の言葉を伝えますが目に見えぬ神に聞き従う王はわずかしかいませんでした。そんな中、後に滅んだイスラエル王国を救うためにエリヤとその後継者エリシャに神は大いなる力を与えられました。神は、預言者として遣わされた彼らを通して、神が生きて働く神であられることを証しされました。

 エリシャがその働きを不思議な奇跡の業をもって開始した頃、彼のもとに同じ預言者仲間の妻の一人が助けを求めてやってきました。彼女は夫を無くし、生活苦から借金し、その形(カタ)に子供二人を奴隷として取られようとしていたのです。その訴えを聞くとエリシャは言いました。「何をしてあげられるだろうか。あなたの家に何があるのか言いなさい。」

 どうしようもなく行き詰まった時、自分の力でどうすることもできないような困難に出会った時、その時こそ私たちが生きておられる神と出会う時です。未亡人はエリシャに答えます。「油の壷一つのほか、何もありません。」おそらく、彼女の家にあるものといえば、わずかに残った油だけが財産と言えるものだったのでしょう。しかし、エリシャは彼女に近所からできるだけたくさんの空の器を借りてこさせます。そして、集めた壷に残った油を注ぎなさいと勧めます。すると、不思議なことに油はなくならず、集めた器すべてを満たし、器がなくなると油は止みました。彼女と子供たちはその油を売って借金を返し、その残りで生活を続けることができたのです。

 イエスさまが福音を語り始められた時、最初になさった奇跡は、婚礼の席で無くなったお祝いのワインを空の水がめに水を満たして上等のワインに変えて人々に与えることでした。また、イエスさまについてきた5千人(男の数だけで)の人々の空腹を満たすため、わずかパン五つと魚二匹を感謝し祈って後裂いて分け与えるとすべての人が食べて満腹したと記録されています(マタイ14:13)。これらの出来事は、神さまが私たちの小さな日常の営みにさえ深い関心を持っていてくださることを現しています。そして、神さまより私たちに与えられている、わずかとしか思えないようなものを信じて差し出すことにより、神さまが大いなることを私たちにしてくださることをも現しています。しかし、私たちはわずかなものさえも惜しみ、神に差し出そうとしません。

 こんな話を聞きました。升に栗をもう入らないと思える程一杯に入れても、小豆など小さな豆はゆすり叩いて入れるといくらか入る。それでもう入らないかというと、そこにごまや米を入れてみるとまだ何とか入る。もうだめだと思うと塩や小麦粉などが隙間を埋めるまで入り込む。いよいよもう何も入らないとあきらめると、何と水や油といった液体がまだ入る・・・・。たとえ私たちが困難に遭遇し行き詰まったとしても神には道があります。大切なことは、神を信頼する決心をし、従ってみることです。未亡人に対し、エリシャは油を注ぐとき、「家の戸を閉じて子供たちと一緒に閉じこもりなさい。」と言いました。それは、雑念から離れ、神を信頼する信仰に立つことを表します。神の奇跡には、行き詰まった私たちの心を変えさせる力があり、道があることを教えてくれます。「あなたに何をしてあげられるだろうか。あなたに何があるのか言いなさい。」神はあなたに信じる信仰をもたらす奇跡を起こすために今日も問い掛けておられます。