2002年6月2日

「私たちの改革」第二コリント書5:16〜21

伝道者パウロはフィリピ(ピリピ)の教会に宛てた手紙の結びの言葉として、「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」と語りました。先週、ラジオを聞いていると、或るご夫妻から届いた手紙を番組の中で紹介していました。長く連れ添ったそのご夫妻がいつも心に留めて忘れずにいることは、お互いに「この人は自分を選んでくれた人」という意識を持っていることだということでした。とかく、私たちは自分を中心に置きがちで、結婚にしても何にしても、「自分が選んだ」という意識を持ってしまうものです。私はそのご夫妻の徳の高さを感じるとともに、夫婦関係の勘どころを教わったような気がします。

 イエスさまはヨハネの福音書15章で、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」と言われました。聖書によれば、人生にとって最も大事なことは、永遠の命を得ること、すなわち、唯一のまことの神と、神がお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。そして、神さまを知り、信じることも実際は、私たちが神さまを信じることによって始まったのではなく、神さまが先に存在してくださっており、私たちに信じる道を与えてくださったことにより始まっていることを覚えなければなりません。

 今日の聖書の箇所でパウロは、イエスさまを知った以上、これからは肉によって神を、キリストを、知ることはしないと言います。パウロの言う「肉」とは、人間中心の知恵や知識であり、生まれながら神無しに生きている存在のことを言います。しかし、その「肉」がイエス・キリストに結ばれることによってまったく新しく創造された存在となるのだとパウロは言うのです。この世の新しい理論やアイデア、決心や意思の力によって造り変えられるのではなく、イエスさまの福音によって新しい創造が起こるのだというのです。

 誰しも自分自身に、身の周りで、そして地域で、国で、新しい改革が必要なことは分かっています。しかし、本当の意味での改革は、私たちが創造主によって生かされてあるという認識無しにありません。しかも、その神が私たちと和解することを望んでおられることを知らなければ私たちに平和は無いとさえ言えると思うのです。「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。(5:18-20)」

 クリスチャンは、そして、教会は実にその為に存在しています。人間が、自分の力で成すことのできなかった魂の救いという大事業を、神ご自身が成してくださったこと、それが福音です。神がご自身をまず改革され、人となられ、人間の全ての罪を負ってくださり、十字架に死に、よみがえって救いの完成を私たちにもたらしてくださったのです。それは、私たちが選んだ救いの道ではなく、神が私たちに備えてくださった恵みの救いの道です。その大改革を神は私たちの心の内に求めておられます。