2002年2月3日

「幻を見、夢を語る人」使徒言行録2:17〜21

 本日の聖書の箇所は、ペンテコステ、すなわち復活の後、昇天され、聖霊を待つようにとのイエスさまの言われた言葉が実現するという画期的な出来事を記録した所です。イースター、ペンテコステにはまだ早いと思われるかもしれませんが、イエスに躓いてしまった一番弟子のペテロが聖霊注がれ変えられて大胆に語ったところから、今私たちに必要なメッセージとして考えてみたいと思います。

 使徒ペテロは預言者ヨエルの言葉を引用して、イエスさまの到来により、この世の終わりの時が始まっていることを語りました。目で見えるものが全てであった時代、人間の力で達成しようとしていた救いの時代が終わりを告げ、神の恵みの福音による救いがもたらされる時代が始まったことを彼は語るのです。神は全ての人に神の霊、すなわちイエス・キリストが救い主であり、信じる者の主であられることを証する霊を注いでくださったと言うのです。そして、聖霊注がれた者達に与えられるしるしについてこう言いました。「あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る・・・主の名を呼び求める者は皆、救われる。」

 人は歳をとるとだんだん頑固になり、唯物的になるといいます。自分のことを省みても、若いときより理想が低くなり、夢がなくなってきたように思います。活力なくなり、情熱も冷めてきたような気がします。もちろん、そうでない人も多くいらっしゃると思いますが、歳をとるというのはある意味ではそういうことなのかもしれません。しかし、そんな老いを身に受けた者たちにさえ神は終わりの日に聖霊を注ぎ、夢、すなわち見えるものを超えた希望を与えると言われるのです。

 第二次世界大戦中、オランダの時計職人一家、テン・ブーム家は、ナチス・ドイツから激しい迫害を受け始めたユダヤ人をかくま匿い、逃亡を助けていましたが、遂に1944年2月28日、ゲシュタポによって一家は逮捕され、刑務所に送られてしまいます。後に娘のコリーによって記された本「私の隠れ家」は、彼らの極限の生活の中で示された神の希望について教えてくれます。その時すでに50歳を超えていたコリーとその姉ベッツィーは悲惨な状況の中でも決して神の視点を失うことなく、時には迫害者であるドイツ人のためにとりなしの祈りをもって試練に耐えたのです。その年の冬、姉ベッツィーは天に召されますが、妹のコリーに、どんな悲惨で暗い状況の中にも神は共にいてくださることを多くの人々に伝えるようにとの遺言を残しました。そして、一人だけ生き残ったコリーさんは不思議なことに手続きのミスで収容所から釈放され、姉の遺言通り91歳で召される1983年まで60カ国以上の国を訪れ、神の愛を伝え続けて生きたのでした。

 福音に生きた父、カスパー・テン・ブーム、娘のベッツィーとコリーも決して若くはありませんでした。しかし、彼らは聖霊注がれてどんな時にも神の視点に立って物事を見、神の言葉を語る人々でした。コリーさんは言います。「強い信仰がなくても、強い神さまに対する信仰があればいいのです。」

 神を信じる者が見る幻、夢とは、福音によって救われる多くの人々と共に最後には全てのことに勝利し、永遠の命と喜びと平安の座につくことなのです。