かごめの追試も、無事に終わった。
は、楓の家の中で制服を脱ぎ、かごめに持ってきてもらったジーンズとTシャツに着がえた。
脱いだ制服はハンガーにかけておいた。楓の家に学生鞄と一緒に置いといてもらうつもりだ。
制服のポケットから取り出した水晶のペンダントを、ちょっと考えた末、は首にかけることにした。
「かごめちゃんの服とはずいぶん違うんだね」
の着がえを見ていた珊瑚は、少し驚いたように言った。
「だって、制服だと動きづらいもん。ていうか、かごめちゃん、なんでずっと制服のままなの?」
の質問に、かごめは苦笑いした。
「そりゃあ、やっぱり、制服が好きだから、かな」
「へー。あたし、制服大嫌い」
スニーカーの靴紐を結びなおしながら、は言った。
「そうなの? 東雲の制服ってかわいいのに」
「……でもさ、制服着てる限り、あたしってば生徒でしかないんだもん」
そう言い捨てると、はリュックを持って外へ出た。
いろいろな化学物質で汚染されているらしい現代からみると、やはりこの時代の空気は爽やかだ。は深呼吸した。まだ空気中に朝露の匂いが残っている。
中空に昇った太陽が、木や家々の影を濃くしはじめている。出発日和なのは間違いなさそうだった。
(帽子や日焼け止めクリームも必要だったかも……)
「、そのかっこうで行くのか?」
いつの間にか近くにいた七宝が、素っ頓狂な声をあげた。
「変わった服じゃのう。まるで珊瑚の戦闘服みたいじゃ。昨日までのせーふくのほうがいいんじゃないのか?」
(戦闘服って、なに?)
が苦笑いしていると、後ろから落ち着いた、深みのある声が聞こえた。
「いやいや、七宝。制服とやらもよかったが、これはまたこれで、美しい体の線が……」
そして、のお尻に触れる手。
は、弥勒の頬を平手打ちした。
「その声で、スケベなこと言わないでよね!」
弥勒は、赤くなった頬をおさえていたが、と視線があうと意味ありげにニヤリと笑った。その表情を見てしまうと、の顔のほうが弥勒の頬以上に赤くなってしまう。
(どうして、あんなちょっとした表情までそっくりなのよ)
「支度できたのか? 出発するぞ」
あとからやってきた犬夜叉が、ぶっきらぼうに言った。
村を出ると、そこからは荒涼たる野原、といった風景だった。遠くのほうに、山が青く霞んで見える。時折草むらから野鳥が飛び出したりした。
車や電車に慣れている足が、ただ歩くというだけなのに、思っていた以上に辛い。しかも現代のような舗装された平坦な道ではないのだ。
歩くたびに舞い上がる埃、すぐに靴に入りこんでくる小石。そして、容赦なく照りつけてくる太陽。
最初はピクニック気分で、物珍しげにキョロキョロしていたも、だんだんと無口になり、みんなの後ろをとぼとぼ歩くようになってきた。
「、大丈夫ですか?」
弥勒の問いにも、は無言で首を縦に振った。小一時間ほど前に「疲れた」と言ったとき、犬夜叉に思いっきり罵られたので、意地でももう疲れたとは言わないつもりだった。
は、前方を犬夜叉と並んで歩くかごめをあきれた目つきで眺めた。
(どうして制服姿で、あの靴で、あんなに平気な顔でずっと歩いてられるんだろう……。女子中学生パワー、侮りがたしだわ)
そのとき、犬夜叉の犬耳がピクリと動いた。弥勒、珊瑚、雲母にも、さっと緊張が走る。
「妖怪か?」
その瞬間、は首筋にちくりとした痛みを感じた。
「おまえたち、動くんじゃないよ。この娘の首が飛ぶよ」
の後ろに立っていたのは、よりも大きな蟷螂【かまきり】だった。鋭い緑色の鎌をの首に当てている。
「こいつ、妖怪蟷螂か……」
犬夜叉は鉄砕牙を、弥勒は錫杖を握りなおしたが、が人質にとられているので、すぐには手出しできない。
「そこで黙って見ておいで。私が、四魂のかけらごと、この娘を喰らうところをな!」
蟷螂はそう叫ぶと、の首に口を近づけた。そのとき、鎌の先がの首から離れた。
(今だ!)
は近づいてきた蟷螂の頭を、両手でしっかり掴んで捻った。同時に、蟷螂の腹を思い切り蹴り上げた。
「な、なにっ!」
思いもかけない反撃に、蟷螂は怯んだ。蟷螂の首は、直角に曲がったままだった。
「散魂鉄爪!」
あっけなく、妖怪蟷螂は黒い霧となって消えた。
「おめえ、意外とやるじゃねえか」
犬夜叉が振り返って笑いかけると、は真っ青な顔をしていた。
「おい……」
「あたし、手洗ってくる」
犬夜叉が何か言うより先に、は近くの小川へ走っていった。
小川はまるで銀の針を集めて流したように、日の光にキラキラと輝いていた。
(こ、怖かった……)
は手を洗うと、そのまま膝を抱えてうずくまった。
もともと、は虫を怖がってキャーキャーと叫ぶような性質ではなかった。小さな蝿すら怖がって大騒ぎしていたのは、亡くなった母親だった。
母親があまりにも怖がるので、部屋に紛れ込んできた蝿やゴキブリを叩き潰して始末するのは、いつの間にかの役目になっていた。
でも、だって虫が怖くないわけではないのだ。
右足のスニーカーのつま先に、緑色の体液が染み付いているのに気づいて、は慌てて靴をはいたままの右足を川の水に突っ込んだ。
(キャーキャー言って、誰かの助けをあてにできれば苦労はないのに)
は頭を振った。ただでさえ沈みがちな気持ちが、母親のことなんか思い出すとますます萎えてくる。
(誰かの助けをあてにするわけにはいかない。あたしが、四魂のかけらを渡さないって決めたんだから。自分で頑張るしかないんだ)
は、そっと首から下げた水晶を握った。
「ちゃん、大丈夫?」
かごめたちもやってきた。は、なんとか苦笑いを浮かべてみせる。
「うん、大丈夫」
「ついでだから、このままここで少し休憩しましょう」
そう言って、の隣に座り込んだのは弥勒だ。
「なっ、だってまだいくらも進んでねえじゃねえか!」
「おまえの体力に合わせていたら、我々の身がもちません。なあ、」
犬夜叉の文句もあっさり流し、弥勒はに微笑みかけた。
「じゃあ、おやつでも食べましょうか」
「わーい、おやつじゃ、おやつじゃ!」
不機嫌そうな顔の犬夜叉にはかまわず、かごめも七宝も休憩モードに入っている。珊瑚も腰をかがめると、雲母に小川の水を飲ませた。
「……仕方ねーな」
そう呟くと、犬夜叉も草原の上にごろりと横になった。
青い空には、いつの間にか白い雲も浮かび、どこからか雲雀の声も聞こえてくる。ついさっき、妖怪に襲われたとは思えないほど、のどかだった。
「、無理をすることはないんですよ」
川の流れに目を向けたまま、静かな声で弥勒が言った。
「無理?」
同じように、も川を見つめたままだった。
「おまえは普通の娘です。我々のように、妖怪との戦いに慣れた者とは違う。もっと皆を頼りなさい。私でも、珊瑚でも、かごめ様や七宝でも。犬夜叉だって、口は悪いが、必ずおまえのことは助けてくれますよ」
「……口が悪い、は余計だろうが」
「ちゃん、何も気にすることないんだよ。あたしは妖怪退治が生業なんだし」
「そうよ、ちゃん。こっちの世界に連れてきちゃったのは、あたしの責任だし……」
「気にするな、。いざとなったら、おらが守ってやる!」
犬夜叉が、珊瑚が、かごめが、七宝が、次々にに言った。
(いいの? あたし、助けてもらっても……)
「……ありがとう」
涙目になりかけた表情を見られたくなくて、は小川の水で勢いよく顔を洗った。
「なんですか、突然?」
「別に。暑かったから」
は、ポケットからハンカチを取り出して顔を拭った。
「布はある、というわけですか」
弥勒は残念そうに言った。
(もしもハンカチがなかったら、また唇で拭うとか言い出すつもりだったのか?)
の疑惑の視線をよそに、ふと弥勒は真剣な表情になった。
「、首筋に赤いものが……」
が首筋に手をやると、微かに血がついていた。蟷螂にやられたんだろう。でも、さほど痛みも感じない、些細な傷だ。
「大丈夫。こんなの唾でもつけときゃ治るって」
「傷を甘くみてはいけませんよ。ちょっと見せてください」
弥勒の顔が、の首元に接近した。首筋に、弥勒の息を感じる。
やばいかも、と思った時は遅かった。温かい唇が、の首筋をなぞった。そして、熱く濡れた舌が傷口をくすぐる。
しかし、それはほんの短い時間だった。の首から唇を離した弥勒は、満足そうにニヤリとした。
「私が唾をつけておきましたからね。すぐに治りますよ」
「……こ、このエロ坊主!」
は両手で小川の水をすくうと、弥勒にぶっかけた。
「水でもかぶって反省しなさい!!」
「わっ、、冷たいですよ!」
真っ赤な顔をして水をかけると、笑いながら逃げ惑う弥勒を見ながら、一行は溜め息をついた。
「まったく法師さまったら、懲りないんだから」
「きっと、弥勒さまはちゃんを和ませてあげようとしてるのよ……たぶん」
「けっ。いつものスケベじゃねーか」
「アホじゃ」
いつの間にか水のかけあいになっていて、も弥勒もびしょ濡れになってしまった。
でも、天気もいいし、このままでも乾くだろう。
青い空を背景に、茶色い埃っぽい道は、まだまだ先へ続いている。
は、ちらりと弥勒を見た。弥勒は何事もなかったように、かごめや珊瑚と話をしている。
(スケベだけど、一緒にいると楽しいし、ほっとする……)
そう思えるようになった自分が、には意外だった。
照りつける太陽の下、歩き続けるのも、そう悪いことじゃないかもしれない。
この人と、この人たちと、一緒なら。
ずっと疑問でした。かごめちゃんのセーラー服w
だって、制服ってすごく動きづらい。
私も制服は大嫌いでした。
かわいくなかったし、家で洗濯もできないw