ONE

 
 人の立ち上がる微かな気配で、は目を覚ました。
 ほのかに月明りが射しこむ狭い小屋の中、の目に映ったのは、今しも小屋から出て行こうとしている弥勒の姿だった。
(弥勒さま?)
 弥勒が戸の外に姿を消すのを確かめて、はゆっくりと身を起こした。かごめや珊瑚や七宝は、すやすやと寝息を立てている。小さなついたての向こう側で、犬夜叉もまだ眠っているようだ。
(弥勒さま、誰か女の人のところに行くのかしら……)
 はみんなを起こさないように、そっと戸口から外に出た。
 もう夜明けも近いらしく、東の空は星が光を失いつつあった。薄明かりの中、ぼそぼそと低い話し声が聞こえてくる。
「八衛門さん?」
 その声の主に気づいたとたん、は素っ頓狂な声をあげた。顔を寄せてなにやら話し込んでいた弥勒と八衛門は、ぎくりとした表情を見せた。
「あ、これはさん、お久しぶりです」
、どうしたんです? こんな時分に?」
「どうしたんです?はこっちのセリフよ! 弥勒さま、また何かよくないことたくらんでいたんでしょ!」
 弥勒の逢引の相手が女性じゃなかったことで、強気になったの声は思わず大きくなっていた。
「しーっ!」
 弥勒と八衛門は、そろって口に人差し指を当てた。
 少し考えた末、弥勒は苦りきった表情で言った。
「気づかれてしまったのでは仕方ありませんね。一緒に参りますか、?」
「うん!」
 もちろん、はそう言ってくれるのを待っていたのである。

「すご〜い! あたし、狸に乗って飛ぶなんて初めて!」
 無邪気にはしゃぐの隣で、弥勒はいつになく深刻な表情で黙りこくっていた。
 いつの間にか日は昇っていて、明るい陽射しが深い緑の森や輝く湖面を照らしていたが、そんな美しい景色にも弥勒は一向に興味がないようだった。
 ただ、先程八衛門から受け取ったらしい徳利を手で弄んでいる。
「……弥勒さま、あたし、ついてきちゃいけなかった?」
「ダメなら最初から誘いませんよ」
 弥勒は、やっと作り笑顔をに見せた。
 でも、その表情が返って辛そうで、は何も言えなくなってしまった。

 やがて、山の中の荒れ寺に着いたのは、もう昼を過ぎた頃だった。
「ありがとう、八衛門さん」
「何の、これしきお安い御用でさ」
 二人が背中から降りるのを見はからって、八衛門は変化を解いた。
 境内の中ほどに、直径4・5メートルぐらいの半円形に窪んだ地面があった。その真ん中には、石灯籠のようなものが置いてあった。
 弥勒はそこまで歩いていくと、徳利の栓を抜き、中身を石灯籠にざぶざぶとかけた。
「弥勒さま、これはなに?」
「墓さ。おやじの」
 簡潔に言うと、弥勒は寺の中へ入っていった。と八衛門も、あわてて後に従った。
「おう、来たか」
「今日は珍しく酔いつぶれてないんだな」
「こんな日に酔いつぶれてなどいられんさ」
 迎え入れてくれたのは、赤ら顔の老人だった。
、こちらは無心和尚。俺の育ての親だ」
「は、初めまして」
 は、予期しない展開に戸惑った。弥勒のことだから、良くて妖怪退治、もしかすると見目好い女性のもとへ行くつもりだとばかり思っていたのだ。
「で、そちらは?」
 無心和尚は、に興味深そうな目を向けた。
「弥勒もとうとう年貢の納め時、というわけか?」
「ま、そんなところかもな」
 弥勒があっさり言うと、の顔は無心和尚に負けないぐらい赤くなった。それを見て、弥勒はニヤリと笑った。
「さあ、早いとこ始めようぜ」
「そうだな。酒も肴も用意してある。おやじ殿の十三回忌法要を始めるか」

 法事というのは、僧にお経を上げてもらい、参列者がしめやかに思い出話などして、故人がもういないことを再確認し、悲しみを新たにするものだと、はそう思っていた。
 少なくとも、彼女が今まで出席した法事はそのようなものだった。
 しかし、今回は違った。お経もそこそこに、みんなで酒盛りを始めてしまった。
 3人と1匹の周りには、空の徳利が何本も転がっていた。
 やがて夜になり、無心和尚と八衛門はすっかり酔いつぶれて、徳利を枕に眠ってしまった。
 行灯の灯りがほの明るく辺りを照らす中、弥勒とは差し向かいで飲んでいた。
「……、なんで、そんなに酒強いんだよ」
「えっ、そうかな?」
 同じペースで飲み続けているのに、弥勒の顔が赤く呂律も怪しいのに対し、は顔色ひとつ変わってなかった。
「そういえば大学の新歓コンパのときも、あたし、強いって言われたっけ」
「……せっかく酔いつぶして、いいことしようと思ってたのに……」
 弥勒は、手にしていた湯呑みを床に置いた。
「……酔った」
 そう言うと、弥勒はごろりと横になり、の膝に頭を乗せた。
「ちょっ、ちょっと、弥勒さま?」
 酔いのせいか、弥勒の頭が乗っている膝がやけに熱く感じられる。
 しばらく目を閉じて黙っていた弥勒は、やがて、ポツリと話し始めた。
「法事らしく、思い出話でもするか……」

「昔、奈落との戦いに敗れて、右手に風穴を穿たれた法師がいた。俺の祖父だ」
 は頷いた。その話は、かごめから聞いていた。
「祖父は自分の息子に―――つまり、俺のおやじに教えた。『奈落を倒せ。さもなくば、使命を託すべき子供を作れ。だが、女も子供も愛するな』と。不幸になるのは目に見えてるからな……」
 弥勒は言葉を切った。縁の下から、微かにコオロギの鳴き声が聞こえてくる。
「……だが、おやじは祖父の教えを守れなかった。奈落を倒すことはできなかったし、女も子供も愛してしまった」
 弥勒は目を閉じたまま、思い出していた。
 父も母もいた、ほんのつかの間だった幸せな時間。何の憂いもなく笑っていた、幼い日の無邪気な自分。……それはあまりにも儚すぎる記憶で、言葉にすらできなかった。
「……おふくろは、おやじと出会わなければ、平凡な結婚をして幸せに暮らせたはずだった。風穴の呪いを背負った夫と息子の心配をして、身も心もすり減らして、とうとう自分のほうが先に逝っちまった……それから何年もしないうちに、おやじも風穴に呑まれた……」
 弥勒の頬に、温かい雫が落ちた。目を開けると、が泣いていた。
は、泣き虫だな」
「弥勒さまは、どうしていつも笑っていられるの? あたしも、弥勒さまのように強くなりたいよ……」
「俺あ、あきらめることに慣れてるからな」
 自嘲的に弥勒はつぶやき、右手の数珠を握り締めた。
(でも、あきらめられねーものがひとつだけ……)
 弥勒はそっと手を伸ばし、の涙を指でぬぐった。
「泣くなよ。俺が傍についててやるから……」

 それから、しばらく沈黙が流れた。
「……弥勒さま?」
 返事はなく、規則正しい寝息だけが聞こえた。
(ね、寝てるんかい!)
 は、一気に脱力した。
 喉が渇いた気がして、さっき弥勒が置いた湯呑みを手にとった。そして、半分ほど残っていた酒を一気に飲み干した。
 素足の膝に弥勒の頭の重みを感じ、心臓のドキドキが高まってくる。
(弥勒さまって、まつげ長い……)
 は、そっと弥勒の頬に触れた。弥勒はぴくりともしない。
 は、弥勒に顔を近づけた。
「……あたしは、今、酔ってるんだからね」
 そっと囁くと、は弥勒に唇を重ねた。

 翌日、と弥勒は再び八衛門の背に乗り、犬夜叉たちのもとへと向かった。
「みんな心配してるかなあ……」
「大丈夫ですよ。置き文はしておきましたからね。……もっとも、のことは書いてありませんがね」
「え〜、じゃあ、やっぱり心配かけてるかも……」
 は、一晩中膝枕をしていたおかげで一睡もできなくて、目の下に隈ができていた。
 それにひきかえ、弥勒は行きとは違って、晴れ晴れとした顔をしていた。
「……弥勒さま、やけに爽やかね」
 弥勒はニヤリと笑って言った。
「昨夜はいい夢を見ましてね。……おなごの唇は、柔らかくていいものですな」
 の寝不足で青かった顔は、一気に赤くなった。
「み、弥勒さま、寝てたんじゃなかったの!?」
「何のことですか? 私は夢の話をしてるんですよ」
「ひど〜い!!」
 は、弥勒に掴みかかった。
「あ、危ない! 、およしなさい」
「暴れないでくださいよー、お二人とも」
 バランスを失って、八衛門はぐらぐら揺れた。
 の顔は、また青くなった。
「……吐きそう……」
 八衛門は、半泣きになった。
「か、勘弁してくださいよ〜、さ〜ん〜」

 果たしてこの2人と1匹、無事に犬夜叉たちのもとまで帰りつけることやら……


   ◆◆◆ End ◆◆◆


瑞穂:「お読みくださった皆さま、ありがとうございます。作者の瑞穂です」
弥勒:「……こんなのでいいんですか? 裏を期待して読んでくださった読者さまに申し訳ないと思わないのですか?」
瑞穂:「で、でもぉ、あたしって少女漫画的展開しか思いつけないしぃ……」
弥勒:「何が少女漫画ですか。もしかして、いまだに少女漫画といえば『○○○○○○○ッ○』のような、十ン年前の『○ぼ○』の世界を想像してませんか?」
瑞穂:「………」
弥勒:「若い読者さまは、誰もそんな漫画知りませんよ。年がバレますよ」
瑞穂:「ガ━━(゚Д゚;)━━━ン」
弥勒:「少女漫画にこだわるのなら、せめて『○○(ハァト)○○ー○』ぐらいの展開にしていただきたいですね」
瑞穂:「………( ̄□ ̄;)」
弥勒:「……なんですか、その目は?」
瑞穂:「……弥勒さま、やけに少女漫画に詳しいのね。(-。-) ボソッ」
弥勒:「な、何を言うのですか! 私は作者であるおまえの趣味に合わせて話を進めてあげてるのですよ」
瑞穂:「へーーーーーーー……( ̄_ ̄)」
弥勒:「こ、これ以上私のイメージをぶち壊すようなことを言うつもりなら、仕方ありませんね。……この場で成敗いたしましょう(と、右手の数珠に手をかける)」
瑞穂:「そ、それだけはご勘弁を〜〜〜(作者逃亡)」