傷痕2

 
冥鬼は、音も無くの前に舞い降りた。
「ば、化け物……」
 賭け碁の男とその仲間たちが、引きつった声を出した。
 冥鬼が彼らのほうを凝視すると、その瞳が暗紅色に輝いた。そのとたん、男たちからは怯えの色が消え、憎しみと邪な気が強くなった。
「……地鬼たちは使わないの?」
「俺は、幽鬼とは違う」
 の問いに、冥鬼は答えた。
「あいつは珍しい玩具を手に入れてはしゃぎすぎた、愚かな子供だった。同族の命まで弄んだ。俺はあいつとは違う。おまえは玩具じゃない。武器だ」
 冥鬼の静かな物言いに、は心の底から冷えていく思いがした。この男のものになったら、自分は何をさせられるかわからない。
「……来たな」
 村のほうから走ってくる2人の男が見えた。
「弥勒さま……規介さんまで! どうして?」
「あの女がくる前に、肩をつけさせてもらおう」
 そう言うと、冥鬼は指を鳴らした。操られた男たちが、一斉にに襲いかかる。それを見て、冥鬼は再び空中に舞い上がった。
ちゃんに、何をする!」
 規介が、男たちに殴りかかった。邪魔をされた男たちは、憎しみも露わに規介を殴り返す。
「……やめて、やめて!」
は、為す術も無く震えていた。憎しみが殺意に変わるのは時間の問題だった。
また、あのおぞましい負の荒魂が曲霊となって、身体の中に無理矢理押し入り、あたしの魂を引き剥がし鬼を寄せてしまう……。
めまいと吐き気を感じ、は今にも倒れそうだった。
! 気をしっかり持つのです!」
 錫杖で男たちの攻撃を防ぎながら、弥勒が叫んだ。
(だめだ、このままでは。かごめ様は、まだか?)
 しかし、なかなか七宝がかごめを探し出せないのか、彼女の姿は無かった。
(こうなったら、一か八か……)
 弥勒は、規介の鳩尾を殴って気絶させた。だが、他の男たちは操られているせいか、簡単に意識を失ってはくれなかった。
「この法師を、殺せーっ!」
 男が叫んだとたん、身体から荒魂が抜け出した。
(……俺は大丈夫だ。俺には、殺意は無い。俺の魂は曲霊にはならん!)
 弥勒は、必死に自分に言い聞かせた。気を抜くと、自身の荒魂も身体から抜けてしまう。
 弥勒はを抱き寄せると、右手の数珠をはずし、の首にかけた。そして、掌を上空の冥鬼に向けた。
「風穴!」
 冥鬼は高度を下げ、荒魂を抜かれた男たちを盾にした。弥勒は、すぐに風穴を閉じた。しかし、封印の数珠はの首にかけたままだった。
「弥勒さま、この数珠……」
「おまえの母の形見と同じ、この数珠にも念がこめられている。……大丈夫だ。おまえを護ってくれる」
 弥勒は、に笑って見せた。しかし、弥勒の風穴は暴走寸前だった。数珠の端の部分を少し巻いているだけなので、封印の力が足りなかった。――しかし、それをに悟らせるわけにはいかなかった。今この数珠をはずせば、空中に漂っている荒魂が、めがけて飛び込んでくるだろう。
(護ってくれる……護られている?)
 は、首にかけられた数珠にこめられた念に懐かしさを感じた。同時に、身体に回されている弥勒の腕の温かさも。
 母親が死んでから、ずっと独りだった。自分の身は自分で護るしかなく、誰かの腕の温もりにも無縁だった。
(護られている……)
 その思いが、を変えた。こんなふうに穏やかな気持ちになれたのは、初めてだった。
 そのとき、の耳に誰かの声が聞こえた。
(……魂を強く持って……念じなさい!)
(あのときの巫女?)
聞き覚えのあるその声は、確かにあのときの巫女のように思われた。
 その声は、に勇気を、自分自身を取り戻させた。
(そうよ、あたしは負けない。弥勒さまも、規介さんも、これ以上誰も死なせたりしない!)
 が強く念じたとたん、冥鬼の周りの空気が白くはじけた。男たちの荒魂も身体に返り、男たちはその場で気を失った。
(……弾き飛ばしたか……)
 遠くから、かごめや犬夜叉のやってくる気配がした。冥鬼は、空中に消えた。

「それじゃあ、ハチ、頼んだぞ」
「へい。だんなのおっしゃるとおり、これを夢心和尚様に渡して数珠を作ってもらえばいいんですね」
 八衛門の手には、あの、の母の形見の白珠が握られていた。
 無心和尚のもとへ飛び立った八衛門を見送りながら、弥勒は溜め息をついた。
「法師さま、元気が無いね」
「珊瑚、私を心配してくれるのですか?」
 弥勒の右手が、珊瑚のお尻に伸びる。珊瑚は、素早く弥勒の頬を平手打ちした。
「……気を紛らわせるために、こんなことされるの、真っ平だよ」
 少し離れたところで、は例の能力(ちから)で規介の手当をしていた。
 規介は、のことを妹のようなもの、と言っていた。しかし、の気持ちは違うだろう。
 規介は、と一緒に村を出ればよかった、とも言っていた。
 いつか、の鬼を寄せる能力を完全に封印できれば、そのとき彼女は規介のもとへ帰っていくのだろう。
 家族も生まれ育った村もない今、に帰れる場所があるのは幸いなことなのだ。
 ……それで弥勒が落ち込む理由など、何もないのだ。
「……すまなかった、珊瑚」
 弥勒は、力なく微笑んだ。

「それじゃあ、2人は幼馴染なのね」
 かごめは、他の賭け碁の男たちの手当をしながら、規介に訊いた。
「ええ、まあ……」
 規介は、かごめの(この時代にしては)奇抜な服装に驚いているのか、口が重かった。
 規介の治癒は終わり、は青ざめた顔色をしていた。鬼を寄せるときほどではないが、怪我の治療も魂力を消耗するのだ。
 見かねたかごめは、他の男たちの手当は現代から持ってきた薬と包帯ですることにしたのだ。犬夜叉や七宝も、なんだかんだ言いながら、かごめを手伝っていた。
「……ごめんね」
『謝るなよ!』
 の言葉に、犬夜叉と規介が同時に言った。一瞬規介と顔を見合わせた犬夜叉は、照れたように赤くなってそっぽを向いた。
「……ちゃんが、悪いわけじゃないんだから」
 怪我を治しながら、は規介にすべてを語っていた。憎まれても仕方がないと覚悟していたが、規介は優しくて、優しすぎて、は泣いて詫びることもできなかった。涙で許しを請うのは、あまりにも卑怯に思えた。
 償いの方法は、後でゆっくり考えよう。今は、まずこの能力(ちから)を完全に封印し、災いをよんだ奈落を倒さなければ。
 そう決めると、の心はようやく前を見つめることができるようになった。
「さ、できたわ」
 かごめの手当が終わると、男たちはそそくさと逃げていった
「あいつら、この村では評判の札付きなんだ。これに懲りて、少しはおとなしくなるといいが」
 規介が、のんびりとした口調で言った。昔、この声が心の支えだったことを、は懐かしく思い出した。そして、言った。
「規介さん、奥さんと子供、元気?」

 西の空が茜色に染まっていた。
 規介が紹介してくれた村のはずれの宿で、犬夜叉一行は旅装を解いた。
 かごめと珊瑚と七宝は温泉に入りに行き、犬夜叉もどこかへ出かけていた。
 部屋の中では、まだ体力の戻らないが布団に横になり、開け放した障子から弥勒は空を眺めていた。
「弥勒さまも、温泉に行ったら? あたしは1人でも大丈夫だよ」
「……は、規介に惚れているとばかり思っていましたが」
 弥勒の表情は、逆光になっていてよく見えなかった。
 は、口元でだけ微笑んだ。
「幼かった頃は、能力(ちから)を抑えることができなくて……。望みもしないのに読めてしまったのよ、相手の魂が」
 は、片肘をついて起き上がった。
「……始まる前に、終わってた。規介さんは、あたしのこと妹以上には見てなかった」
「……不便なことも、あるんですね。おまえの能力(ちから)は」
「もう慣れた」
 ぶっきらぼうに、は言った。
「この能力(ちから)のせいで、心にいっぱい傷を受けた。……でも、心に傷痕は残っていても、あたしは、まだ笑うことができるから」
 は、そこで言葉を切った。弥勒は障子から離れ、の横に座っていた。
「あたしは、平気。もう過去を振り返らない」
 そう言って微笑むを、弥勒は傷ましいような切ないような気持ちで、じっと見つめていた。





言い訳

お読みいただいた皆さま、ありがとうございます。
今回の話は(も?)突っ込みどころ満載で……(;^_^A アセアセ…
「賭け碁」についてなんですが、戦国時代には「賭け碁」というのがあったというところまでは調べたんです。
でも、具体的にどのような場で行われていたのかわからなくて。まったく想像で書いてしまいました。
碁についても、私はまったくのド素人なので(ヒカ碁は好きなのですが…)、
なんか迫力のない勝負になってしまいました。申し訳ないです。
他にもいろいろいろいろと、謝っていけばきりがないのですが……。
まだしばらくこの話は続きます。こんなヘタレな話でよければ、もう少しおつきあいくださいませ。_(._.)_ ペコリン