―――果てしなく暗い闇の中―――……
 何も見えず、何も聞こえない。死よりも重い孤独。
 上下の感覚もなく、時間の感覚もない。
 ……ここは、風穴の中か?
 思わず恐怖のために叫び声をあげたはずなのに、その声すら聞こえない。
 気がつくと、俺自身の身体も、既に濃い闇に溶けている。
 ――嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
 ……だが、闇の中で俺は為す術もなく、最後に残された俺の意識が周りの闇に同化していくのを待っているしかなかった。
 そのとき、どこからか風が吹き込んでくるのを感じた。
 遥かかなたに、夜空の星のような小さな光が、ひとつ。
 風穴のはずがない。俺はここにいるのだから。俺の身体は既に闇に溶けているのだから。
 あの光は、何だ? 光はどんどん大きくなり、明るさを増してゆく……


「弥勒さま〜、いつまで寝ているの〜? いい朝ですよー」
 そう言いながら、は弥勒の寝ていた部屋の雨戸を開けた。
 昨夜は妖怪を退治したお礼として、かなり立派なお屋敷に泊めてもらっていた。
 弥勒は、ぼんやりと身体を起こした。思わず右の掌に目をやるが、忌まわしい風穴は、幾重にも巻かれた数珠によって、しっかりと封印されていた。
「弥勒さまが、お寝坊するなんて珍しい。さーてーはー、夜中にこっそりと女の人のところに行ってたんじゃないでしょーね?」
 は軽口を叩きながら、弥勒の傍らにしゃがみこんだ。ちょうど朝陽を背負い込むような形になって、まぶしさに、弥勒は目をしばたかせた。
「どうしたの、弥勒さま? まだ寝ぼけてるの?」
 放心したような弥勒の表情に、は少し心配になった。この体勢でお尻を触ってこないのも、いつもの弥勒らしくない。
「……
「なに?」
 弥勒は、なんとか笑顔を浮かべた。
「いや、なんでもないんです」

 ――親父には、予感があったらしい。
 風穴に呑まれる直前、弥勒の父は、弥勒を無心和尚に預けた。おそらくは、もう2度と会えない覚悟で。
 その予感は、いつ頃からあったのだろうか。1年前か、1ヶ月前か、それとも1週間前か……。
 無心和尚の寺へ向かう旅の途中、父の態度には普段と変わったところはなかった。それとも、弥勒に心配をかけまいと演技していたのか。
 その予感は、どのような形で現れるのか。例えばそれは――夢、という形になって、風穴の持ち主に遠くない未来のことを教えてくれるのではないだろうか。
 ――それならば今朝の夢は、そろそろ俺に覚悟を決めろ、ということなのだろうか……。

 豪華な朝食を頂くと、一行は屋敷を後にした。
「ねえ、弥勒さまどうかしたの? 朝ごはん、ほとんど食べないで」
 かごめが、にこっそりと囁いた。
「いつものはったりで、金目のものを頂いたりもせんかったしな」
 七宝も、声をひそめて会話に加わった。
「……さあ」
 は、困ったように曖昧な笑顔を浮かべた。弥勒が何を考えているのか、1番知りたいのはだった。
 なにか悩み事があるのなら、一言でも打ち明けてくれればいいのに――そりゃ、あまり役には立てないかもしれないけど……。
 は、ため息をついた。
「お、今度はの元気がなくなった」
 そう言う七宝の口を、かごめはそっとふさいだ。

 一行は、薄暗い森の中へ足を踏み入れた。
「……なんだか、血なまぐさい、嫌なにおいがするな」
 犬夜叉が、鼻をひくひくさせた。
 そのにおいの元は、すぐにわかった。十数人の、野盗と思われる人間が倒れていた。その死体の上には、犬ほどの大きさの鴉が何十羽も群がり、目玉や内臓を啄ばんでいた。
「妖鳥か。餌の時間は終わりだぜ!」
 犬夜叉が鉄砕牙を抜くのと、生きた人間の気配に気づいた鴉たちが翼を広げたのは同時だった。
 鉄砕牙の一振りで数十羽は倒したものの、鴉たちは周りの森の木々から次々にわいてくるようだった。
 珊瑚も奮闘していたが、木が邪魔で思うように飛来骨を飛ばすことができないでいた。
 ――風穴を……。
 数珠にかけた弥勒の手が、一瞬凍りついた。
 もしも、もしもこれが最期だったら……。
「キャアーーーーーッ!」
 の悲鳴で、弥勒は我に返った。
 の背は、鴉の鋭い爪で切り裂かれていた。新鮮な血のにおいをかぎつけた鴉たちは、次々とめがけて集まってきていた。
 ――俺は、何を迷っていた!!
 弥勒は、血が滲むほど唇を噛み締め、一気に風穴を開いた。
「風穴!」
 あれほど群れをなしていた鴉たちは、黒い渦となって、すべて弥勒の右手の中へ消えていった。
!!」
 弥勒の目に映ったのは、かごめに抱きかかえられてぐったりしている、の青い顔だった。
「……大丈夫だよ。ちょっと、ドジっちゃった……」
 は無理に微笑もうとしたが、うまくいかなかった。
 かごめはタオルを当てて必死に血を止めようとしているが、その甲斐もなく、深紅に染まったタオルからは、ぽとりぽとりと血の雫が落ちていた。
 ――俺のせいだ……俺が、迷っていたから……。
「珊瑚ちゃん、雲母を貸して! ちゃんを病院に連れて行くから」
 かごめは、泣き叫ぶように言った。持ってきている薬や包帯だけで、従姉の怪我を治すのは不可能だった。
 弥勒は袈裟を脱ぎ、それでの身体を包んだ。そして、そっと抱きかかえて雲母の背に乗せてやった。
「ごめんね、心配かけて……」

 弥勒は、の言葉をさえぎった。
 こんな時に、俺に謝らなくていい。いっそ、俺を責めればいい。どうして守ってくれなかったのかと……。
「おまえは、もう戻ってこなくていい」
 の息を飲む音が聞こえた。瞠られた瞳を見たくなくて、弥勒は目を伏せた。
「おまえは、足手まといだ」
 そして、かごめに向かって言った。
「かごめ様、早く行ってください」
 かごめは何か言いたそうにしながらも、雲母の背に乗り、空へ駆け上がっていった。
「弥勒! おまえなんてこと言うんじゃ! 本当にが帰ってこなかったらどうするつもりじゃ!」
 七宝が大声で、弥勒を罵った。
 弥勒は何も言わず、ただ、たちの去った空のかなたを見つめていた。

「おめーの気持ちもわかるけどよ、あそこまで言うことなかったんじゃねえか?」
 枯れ枝で焚き火をつつきながら、犬夜叉が言った。
 結局あのまま夜となってしまい、犬夜叉たちは森の中で野宿することになったのだ。
 七宝は泣き疲れて、珊瑚の横で丸くなって眠っていた。
 弥勒は無言で、踊る炎を見つめていた。
 珊瑚が、ふと顔を上げた。
「雲母……」
 夜空を駆けてきた雲母は、珊瑚の横に降り立つとかわいらしい猫の姿になった。しかし、その背はの血で赤黒く汚れたままだった。
「……あれくらい言わないと、また帰ってきてしまう。未来(さき)のない男のために命を危険にさらすぐらいなら、平和な時代で私を憎んだまま、生きていてくれたほうがいい」
 淡々と、弥勒は言った。あきらめることには慣れている声音だった。
「……それでいいの、法師様?」
 珊瑚は静かに訊いた。
ちゃんの幸せは、ちゃん自身が決めることだよ。例えそれが危険なことでも、法師様が変えさせることなんてできない。法師様は、見守っていることしかできないんだよ」
 弥勒はじっと珊瑚を見つめた。何か言おうとして口を開きかけて、やめた。
 珊瑚は、雲母の背を撫でながら続けた。
ちゃんのこと、もっと信じてあげなよ。恋する女って、強いんだよ。……思いが通じ合っているのなら、尚更ね」
「……未来がないなんて思うなよ。おめー1人じゃねえんだ。必ず奈落はやっつける」
「2人とも……」
 ありがとう、と小さな声で弥勒は言った。

 翌日、かごめの帰りを待つために、一行は楓の村に戻った。しかし、かごめは1週間経っても、10日経っても、なかなか戻ってこなかった。
 弥勒は、毎日井戸の周りをうろうろしていた。一刻も早く、の容態を聞きたかった。しかし、かごめは帰ってこない。
 ――俺が、この井戸を通り抜けられれば……。
 しかし、井戸の底は暗い闇に沈むばかりで、弥勒に未来の世界を開いてはくれなかった。

 2週間あまり経って、弥勒は井戸を背に座り込んで、ぼんやりと流れる雲を見ていた。
 そのとき、井戸から出ようとする人の気配を感じて、弥勒はあわてて振り返った。
「かごめ様、の容態は……?」
 だが、井戸に手をかけて今にも出てこようとしていたのは、自身だった。
「……
「……帰ってきちゃった」
 は、いたずらを見つけられた子供のように首をすくめた。
「何をしにきたのです?」
 安堵した表情を見られないように、弥勒は顔をそむけ、冷たく言った。
 は井戸から出ると、弥勒にたたんだ布を渡した。それは、あの日弥勒がを包んでやった袈裟だった。袈裟はきれいに洗濯され、微かに日の光の匂いがした。
「用が済んだのなら……」
「用は、まだあるの」
 は弥勒の言葉をさえぎると、弥勒の襟首をぐっと掴んだ。そして、弥勒の頬を思いっきり平手打ちした。
「怪我してる女の子にあんなこと言うなんて、最低っ! あたし、元気になったら絶対弥勒さまのことひっぱたいてやる、って決めてたんだからね!」
 ぽかんとした顔で見つめる弥勒に、は一気にまくしたてた。
「あたしはここにいる。もう、足手まといなんて、言わせないんだから……」
 最初の勢いとは裏腹に、の語尾は震えていた。
 弥勒は、うつむきながら、静かに言った。
「私は、おまえを危険な目にあわせたくないんだ。……それに、おまえにまた、誰かを失う悲しみを味あわせたくない。たぶん、その日は遠くないんだ」
 は、激しく首を振った。
「あたし、花子ちゃんを失ったとき悲しかったけど、すごく後悔もしたの。どうして、花子ちゃんのために何もしてあげられなかったんだろうって。あの時と同じ後悔はしたくない。未来の世界で平和に暮らすことが、あたしが弥勒さまにできる唯一のことだなんて、絶対思えないよ!」
 弥勒は、を抱きしめた。
 ……こいつをあきらめられるなんて、どうして一瞬でも思えたんだろう。
「覚悟はできてるんだな?」
 は、無言のまま頷いた。
 2人は、互いを強く抱きしめた。
 ……あの光は、こいつだ。俺の闇を照らす……。
 弥勒とは、自然に唇を重ねていた。初夏のまぶしい陽射しが、2人の上に木漏れ日の影をちらちらと落としていた。

 かごめは、井戸の中で困っていた。
「……せ、せめて別の場所でやってくれないかな、なんて……」


   ◆◆◆ End ◆◆◆

弥勒:「……裏職人を目指しているのですか? 最後のキスシーンは、とってつけたような気がしますけど」
瑞穂:「最初は、ちゃんに護身用のスタンガンを持たせて、セクハラ弥勒さまに電撃かます! というオチを目指してたんですけどね。なんか、あんまりかなーと思って(^▽^ゞ」
弥勒:「……( ̄_ ̄;)もう、余計なことは言いません。素直に裏職人目指しなさい」

  (*^^)人(^^*)(*^^)人(^^*)(*^^)人(^^*)(*^^)人(^^*)(*^^)人(^^*)

みのさま、10万HITおめでとうございます!
拙い作品ですが、お祝いとして送らさせていただきます。
お忙しい中大変でしょうけど、これからも末長く頑張ってください!