DNA


 久々に現代に戻ったかごめは、学校帰りにのマンションに寄った。
 借りてきた合鍵で部屋の中に入ると、窓を開け、部屋の中に風を通す。その間、かごめは郵便物などをチェックした。が、ダイレクトメールばかりで重要なものは、何ひとつなかった。ファックスもきておらず、留守番電話の赤いランプも点滅していなかった。
 の親が、に連絡をとろうとしていないのは、明らかだった。
 軽く掃除機をかけると、かごめは戸締りをして、部屋の外に出た。鍵をかけていると、ふと人の気配を感じ、振り返ったかごめは自分の目を疑った。
「弥勒さま! どうしてここに?」
「は? 私は東雲高校の教師ですが……。君は、の……?」
 弥勒によく似た男は、戸惑った表情でかごめを見つめた。男は、ポロシャツにジーパンのラフな格好で、耳にピアスはなかった。
(そうか、この人が……!)
 事態を察したかごめは、あわてて言い繕った。
「あの、あたし、ちゃんに家庭教師してもらっていた日暮かごめといいます。ちゃんがいない間、ときどき家の様子を見てほしいって頼まれてて」
「ああ、そうなんですか」
 その説明で、弥勒似の先生は納得したようだった。口角を上げてニヤリと笑うと、言った。
からは、数学以外は教わらないほうがいいですよ。高校に受かりたければね」
(うわあ、ホントに声も表情も、弥勒さまそっくり!)
 かごめが曖昧に笑って頷くと、先生は笑いを引っ込めて閉まっているドアを見た。
は、まだ帰ってこないのですか」
「え、ええ……」
(あたしのせいだ。あたしが、ちゃんを戦国時代に連れていったから……)
 ドアを見つめる先生の表情を見て、かごめは胸が痛んだ。

 同じ頃、戦国時代の楓の村では、犬夜叉、弥勒、珊瑚、七宝、そしてが骨喰いの井戸の周りに集まって、かごめの帰りを待っていた。
 気だるく、眠くなるような夏の午後で、蝉の声があたりに響き渡っている。
「……なんで、帰れないかな……」
 は、恨めしげに井戸の底をのぞいた。かごめが帰るときに、一緒に井戸に飛び込んでみたのだが、やはりだけが井戸の底に取り残された。堅い地面に打ちつけた膝が、まだジンジン痛む。
 今度こそは、帰れると思っていた。あの赤い月の夜、首にかけている四魂のかけらを封じ込めた水晶が、不思議な光を放った。四魂のかけらがをこの世界に連れて来たというのなら、その力が発動したらしい今、再び時代を越えることもできると思っていたのに。
「あせって帰ることもないでしょう」
 慰めるように、弥勒が言った。あの夜の出来事については、他の者たちには話していなかった。
「まだ帰ることができないのなら、それはがこの世界でやるべきことを成していないということですよ、きっと」
「やるべきことってなによ。あたしには、なんの能力もないのに」
 は、弥勒の顔を見ないようにして言った。あの夜以来、恥ずかしくて弥勒の顔がまともに見られないのだ。
「四魂のかけらを俺たちに渡す、ってことじゃねーのか? だから、その水晶をさっさと叩き割って……」
「絶対ダメ!」
 は、首から下げた水晶を握りしめると、犬夜叉を睨みつけた。
「前から不思議に思っておったのじゃが、はその水晶をどうやって手に入れたのじゃ?」
 七宝の問いに、は顔を赤らめた。
「こ、これは、もらったのよ。……誕生日のプレゼントに」
「先生、とやらからか?」
 は無言だったが、その顔色が、それが事実であることを認めていた。
「よいしょ、っと」
 そのとき、1本の手が井戸のふちを掴み、続いて大きなリュックを背負ったかごめの姿が現れた。
「お帰り、かごめちゃん」
「ただいま。あ、ちゃん、これ、マンションの鍵」
「あ、ありがと。ごめんね、いつも掃除してもらっちゃって」
「いいのよ。そんなことより」
 かごめは、の耳元に口を寄せた。
「先生がマンションに来てたわよ」
「え?!」
 は、もらったばかりの鍵を落としてしまった。
「先生、ちゃんのこと心配してたみたい。優しいんだね」
「先生は、誰にでも優しいから……」
 は、かがんで鍵に手を伸ばした。指先が、細かく震えている。
「それにしても」
 かごめは、弥勒を見た。
「先生って、本当に弥勒さまそっくりだったわ。ううん、ただ似てるなんてもんじゃない。きっと、先生って弥勒さまの子孫なんじゃないかしら」
(い、言われてみれば……その通りかもしれない。ていうか、なんで今までそのことに気づかなかったかな)
 も、恥ずかしさを忘れて、弥勒の顔をまじまじと見つめた。
 2人から見つめられて、弥勒は一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐにへらりと笑った。
 弥勒自身は、の夢の中で「先生」に会ったときから、その可能性を信じていた。だからこそ、先生の体を借りて、の目を覚ますこともできたのだろうと。
「どうやら、子供を作るという使命は果たせそうですね」
 そして、その子孫の右手には風穴がない。自分の代で果たせるかはわからないが、いつかは奈落を倒し、風穴の呪いからも解放されるのだ。そう思えることが、わずかではあるが心の慰めになっていた。

 かごめが帰ってきたので、一行は早速出発することにした。
 皆の後ろを歩きながら、は水晶を握りしめていた。七宝に指摘されたとおり、これは先生からもらったものだ。――ご褒美として。
 あの頃、は自暴自棄になっていた。父親の再婚など、家庭内のごたごたのせいで。学校へも行ったり行かなかったり。街でぶらぶらしていることも多かった。
 そんなを本気で心配してくれたのは、先生だけだった。そんな先生の優しさに惹かれて、学校だけは真面目に通うようになったのだった。
 あの日――それは、17歳の誕生日の前日だった。
―、おまえ、今日はヒマですか?」
 放課後、誰もいなくなった教室で、ぼんやりと携帯のゲームをしていたが、忙しいわけがなかった。家に帰っても、誰もいない。友達は、みんなデートだのバイトだのと忙しい。
「ヒマだけど……職員室の掃除でもさせる気?」
 露骨に胡散臭そうな目を向けられ、先生は苦笑いした。
「そうじゃなくて。ヒマなら一緒にご飯でも食べに行きましょう。おごりますよ」
「どうして?」
 内心の嬉しさを押し隠して、はわざとぶっきらぼうに訊いた。
「そうですね……ご褒美、ということで。最近は真面目に学校に来ていますからね」
 おだやかな笑みを浮かべながら、先生は言った。先生は大人だ、とは思った。わがままな子供に本気で怒ったりはしない。
「……じゃあ、牛丼ね」
「ようやく俺の給料日を把握したな」
 先生は、そう言ってニヤリと笑うと、歩き出した。も慌てて後に従った。
 駐車場で先生の車に乗ろうとしたとき、ほんの一瞬、は戸惑った。先生の車は、見るたびに手作りらしいマスコットやCDケースが増えたり減ったりしている。しかし、助手席に手作りクッションが置かれていたのは、が最初に先生の車に乗った日が最後だった。
 信号待ちをしているとき、目前の横断歩道を渡っている若い女の子の胸元が、西日を受けてきらりと光った。
「……今の見た?」
「ええ。なかなか立派に育っていて。あれはたぶんFカップ……」
「そうじゃなくって、ネックレスよ! すっごいダイヤ!」
「あれは本物ではないでしょう。あの年頃で身につけるには、分不相応すぎですよ」
「そーかなー? でもきれいだったなー。いーなー、あんなきれいな宝石」
 は、ちょっとずるく笑って先生を見た。
「あたし、ちょうど明日誕生日なのよねー」
 信号が変わり、先生は無言のまま車を発進させた。
(あきれられたかな。あつかましすぎて)
 は、先生に聞こえないようにうつむいて、そっと溜息をついた。
 そういえば、16歳の誕生日にも、先生の車に乗った。あの日は最悪だった。
 車が止まった。また赤信号なのかとは顔を上げたが、そうではなかった。先生は、車を路肩に止め、自分の首から何かをはずしていた。
「……ダイヤモンドは無理ですが、代わりにこれをあげましょう」
 それは、黒い皮ひものついた水晶のペンダントだった。
「え、なんで?」
「誕生日のプレゼント……というより、ご褒美ですね。この1年間、おまえも頑張りましたから」
 そう言いながら、先生はの首にペンダントをかけた。胸元に、水晶が宿していた先生の温もりを感じる。先生の瞳に、涙目になっている自分の顔が映ったのを見て、は慌てて目をこすった。
「……ありがとう。でも、なんか意外。先生が、こういうアクセサリー、身につけていたなんて」
「ああ。何か、先祖から伝わっている物なんですよ。お守りだとかって」
「ええ? じゃあ、もらえないよ。そんな大切なもの……」
 はペンダントをはずそうとしたか、興奮しているせいか、髪に引っかかったりして、なかなかはずせなかった。先生は、の手にそっと自分の手を重ねて、はずすのをやめさせた。
「いいえ、それはが持っていてください。――なぜか、がそれを持っていなくてはならない。そんな気がするんです」

 石につまずき、よろけそうになったの肩を、すかさず弥勒が支えた。条件反射的に、は弥勒の頬を平手打ちしていた。
「……あ」
「……ひどいですね。私はおまえを助けようとしただけですのに」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 真っ赤な顔をして頭を下げているを見て、赤くなった右頬をさすりながらわざとらしくふくれていた弥勒も表情をゆるめた。
「言葉だけの詫びでは足りませんね。ここは、やっぱり……」
 弥勒の手がのお尻に伸びたとたん、今度は弥勒の左頬が鳴った。
「なにすんのよ、ドスケベ!」
「お詫びの印に、っていうことでいいじゃないですか〜。減るものじゃなし」
「なんですってー!」
 いつものようにけんかを始める2人を見て、一行は溜息をついた。
「あーあ、また始まったぜ」
「弥勒さまってば……」
「もう、法師さまってば全然懲りないんだから」
「アホじゃ」
 一行は、2人を置いてさっさと歩き出した。
 怒鳴り疲れてが息を切らしていると、弥勒がの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ようやく、いつもの調子に戻りましたね」
「え?」
 は、ポカンとして弥勒を見上げた。もしかして、いや、もしかしなくても、弥勒は気を遣ってくれていたのだ。
 そのとき、弥勒の唇がの額に触れた。
「なっ、何?」
「ご褒美ですよ。おまえも、なかなか頑張っているようですし」
 そう言うと、弥勒はさっさとみんなの後を追って歩き始めた。は真っ赤な顔をして、呆然と弥勒を見ていた。だが、思わずくすりと笑いが漏れた。
――この人のDNAが、きっと、あたしを惹きつけるんだわ。だとしたら、あたしはもう、自分の気持ちに逆らえない。
―? 追いかけてこないんですか?」
 弥勒が振り向いた。は、わざと怒った顔をして、夏草を蹴散らしながら弥勒の後を追った。



お久しぶりの弥勒さまドリームでした。
前作から間が開きすぎてしまって、すみません。
m(_ _)m