ライバル≧トモダチ

 ある日の朝のこと、ボクがオーキド博士の研究室に行くと、博士はベトベトンの下敷きになって倒れていた。
「オーキド博士っ! 大丈夫ですか?」
 ベトベトンは、博士の顔まで覆い被さっていたので、博士は声も出せない状態だった。ボクは、あわててベトベトンをどかした。
 博士は起きあがると、大きく息を吸い込んだ。
「……いやあ、ケンジ、おかげで助かったよ。ベトベトンのやつ、突然抱きついてきおって。……ところで、電話は?」
「電話?」
 博士はテレビ電話の前に倒れていたが、すでに回線は切れた状態で、画面は暗くなっていた。
「切れてしまったか。久々の電話じゃったのにのう」
 博士は少しがっかりしたようだったが、すぐに気を取り直して言った。
「さあ、とんだハプニングで遅れてしまったが、今日の研究を始めるとするか」
「はい、オーキド博士」
 こうしてボクたちは、いつもの通りの1日をスタートさせた。

 この日がいつも通りではなくなったのは、夜のことだった。
 オーキド博士とボクは、ラッタの個体差について研究していた。
「おっと、もうこんな時間か。ケンジ、もう上がっていいぞ。後は、ワシがざっとまとめておくから」
 そのとき、研究室のドアか激しい音を立てて開いた。
「おじいさま! 大丈夫ですか?!」
 現れたのは、息を切らして必死の形相をしたシゲルだった。
「ワシは、どーもしておらんぞ。それより、シゲル、おまえ朝の電話じゃアサギシティにいると言ってなかったか?」
 シゲルは、ポカンとした表情でオーキド博士を見ていた。やがて自分の勘違いに気づいたらしく、がっくりと肩を落とした。
「電話中に突然倒れて返事もないものだから、てっきり卒中か何かの発作でも起きたのではないかと思って……」
「それにしても、アサギシティからここまでどうやって来たんだ?」
 ボクの問いに、シゲルは小声で「ピジョット」と答えた。緊張の糸が切れて、話をする元気もないらしかった。
 玄関の外へ出てみると、そこには疲れ切ったピジョットが倒れていた。
「ここまで休み無しに飛んできたのか? 全く無茶をするのう」
 そう言いつつ、オーキド博士はどこかうれしそうだった。
「こいつはワシが回復させておくから。ケンジは、シゲルに温かいお茶でもいれてやってくれんかのう。ワシも、研究をまとめたらすぐに行くから」
 そう言われて、ボクとシゲルは居間へ行った。

 オーキド家には、いい紅茶が揃っている。以前は、どちらかというとコーヒー党だったボクも、博士に感化されて紅茶好きになっていた。
 ボクは、疲れ切ったシゲルのために、とっておきのアールグレイをいれた。
「ありがとう。ケンジ……くん」
「ケンジ、でいいよ」
「じゃあ、ボクも呼び捨てでいいから」
 シゲルは紅茶を一口飲むと、思い出したようにモンスターボールを取り出した。
 中から現れたのは、イーブイだった。イーブイは、心配そうにシゲルにすり寄った。
「ごめんよ、イーブイ。心配かけて。ボクの勘違いだったんだ」
 シゲルの言葉に、イーブイはうれしそうにしっぽを振った。
「ずいぶん大事にしてるんだね。そのイーブイ」
「ああ。こいつは特別なんだ」
 シゲルは、照れくさそうに笑った。
「シゲルって、話に聞いていたのとだいぶ印象が違うな。ポケモンのことを誰よりも理解していて、バトルのときも適材適所に使いこなすけど、1匹1匹には特別な感情を持たないタイプだと思っていた」
「サトシに聞いたのか?」
 カップに伸びかけていたシゲルの手が、止まった。
「ああ。それと、セキエイ大会のビデオも見せてもらったよ」
「セキエイ大会か……」
 シゲルは、薄く笑った。さっきとは違って、自嘲的な笑いだった。
「ボクは、まさにその通りのタイプの男だよ。でも、それが間違っているとは思わない。勝つためには最良のやり方だと思っている」
 シゲルは前髪をかき上げようとして、そのままぐしゃりと髪の毛を鷲掴みにした。
「……それなのに、セキエイ大会では、ボクはサトシよりも上に行けなかった。それがどうしてなのか、まだわかっていないんだ」
「サトシとは、幼なじみなんだって?」
「ああ。近所だからな」
 シゲルは、ぶっきらぼうに答えた。
「羨ましいよ。友達であり、ライバルでもあるなんて、お互いを高めあうには理想的な間柄じゃないか」
「外野は気楽に言ってくれるよ」
 シゲルは、また一口紅茶を飲んだ。
「ボクは、今まで必死に戦ってきた。友達であるよりも先に、あいつにだけは負けたくないというライバル心のほうが強いんだ。……同じ道を選んでさえいなければ、もっと違うつき合い方もできたはずなのに」
 サトシに聞いていたシゲルは、もっとクールでポーカーフェイスな少年だった。
 祖父であるオーキド博士の身を案じ続けてきた今日一日の反動が、彼をここまで多弁にしているのだろうか。
「……さっきはわからないなんて言ってたけど、本当は気づいているんだろう。唯一シゲルがサトシに劣っていたもの」
「劣っていた?」
「ああ。『愛』だよ。個々のポケモンに対する」
「愛?」
「『愛』は無限の可能性を引き出し、ときには奇跡さえ生む。と、いうのがボクの持論なんだけどね。でも、シゲルもイーブイに出会えて『愛』することを知っちゃったから、ジョウトリーグでのサトシの苦戦は必至だな」
 イーブイは、シゲルの膝の上ですやすやと眠っていた。時々シゲルの声に反応して、耳がぴくりと動く。
「……言っておくが、決してあいつのまねをしているわけじゃないからな」
「わかっているよ。理屈で『愛』は育つものじゃないからね。でも、そうやってサトシのことは認めているんだろう。同じ道を選んだからこそ、君たちはお互いに必要不可欠な存在なんじゃないかな」
「まあ、確かに必要不可欠な存在ではあるけどな」
 シゲルは、残りの紅茶を飲みほした。
「しゃべりすぎたな。紅茶にお酒でも入れていたんじゃないのか」
「試してみたいとは、思っているんだけどね。一応、まだ20歳前だから」
「……大人になったら、一緒に飲みに行きたいな」
「ボクと? サトシと?」
「サトシは、一口飲んだら真っ赤になってすぐ寝てしまうタイプだよ」
「よく理解してるじゃん」
 ボクたちは、顔を見合わせて笑い出した。そこへ、オーキド博士がやってきた。
「盛り上がっているようじゃのう。どれ、ワシも仲間に入れてもらうかな」
 オーキド博士が自分の紅茶をいれようとしたので、ボクはあわてて立ち上がった。
「博士、ボクがやります!」
 ボクは博士の紅茶をいれ、シゲルのカップにも2杯目の紅茶を注いだ。
 旅の話や、シゲルのゲットしたポケモンの話などで、和やかに夜は更けていった。

 翌朝早く、シゲルはまた旅の途についた。
「それではおじいさま、行ってきます」
「あまり無茶するんじゃないぞ」
「ええ。今度は休み休み行きますから。ケンジ、おじいさまとボクのポケモンたちを頼んだよ」
「ああ、任せとけ」
「ワシはまだ人の世話になるほど、老いぼれてはおらんぞ」
 ボクとシゲルは、顔を見合わせてこっそりと笑った。
 そして、ピジョットは快晴の空に向かって、力強く羽ばたいていった。博士とボクは、その姿が見えなくなるまで見送っていた。
「……行ってしまったな」
 博士は、少し寂しげだった。
 ボクも、寂しかった。博士とは違った意味で。
 孤独な戦いを続けるシゲル。でも、その戦いの向こうには、真に理解し合える関係であるサトシがいつもいる。追いつ、追われつの関係を続けながら。
「どうした? しんみりした顔をして」
 自分だってしんみりしてたのを棚に上げて、博士はボクに笑顔を向けた。
「……オーキド博士、ボクはシゲルが羨ましいです。ボクにはシゲルみたいに、ライバルであり友達であるというような関係の人はいないから」
「何を言っておる。ワシがいるじゃないか」
 突然の博士の言葉に、ボクはあわててしまった。
「そんな〜、オーキド博士がライバルだなんて、大それたこと……」
 真っ赤になって焦っているボクを見て、オーキド博士は愉快そうに笑った。
「前途有望な若者は、もっと気を大きく持ちたまえ。さあ、今日の研究を始めるとするかの」
「はい!!」
 ボクは潤んだ目をこすりながら、博士の後について研究室へと向かった。

私はいったい何を書きたかったのでしょう?
シゲルとケンジ、頭良さそうな2人が友達になったら面白いかも、
と思って書き始めたのですが……。
なんか登場人物みんなキャラが違ってしまってますね。