10年後
「ちょっと、コジロウ、いつまで寝てんのよ!」
怒鳴り声と共にハリセンが飛んできて、コジロウは渋々目を開けた。
ここは、ニャースの気球の中。怒鳴り声とハリセンの持ち主は、もちろんムサシである。
寝起きでぼんやりとした目の焦点が合うにつれ、コジロウは不思議な違和感を感じた。
いつも通りの狭い気球で、そばにいるのはムサシとニャースだ。だが……
「しわが多い」
違和感の原因を口にしたとたん、コジロウは、またハリセンを食らう羽目になった。しかも2発。
「……それは、言ってはいけないことだニャー」
腕組みをしながら、ニャースは首を振った。心なしかニャースも毛並みが悪く、中には白い毛が混じっているような気がする。
「さあ、寝ぼけてる奴はほっといて、本日の作戦確認いくよ」
「作戦?」
相変わらず寝ぼけているコジロウはほっといて、ムサシはてきぱきと説明を進める。
「いいかい、今日、あのジャリボーイは四天王戦を終えてマサラタウンに帰ってくることになっている。そして、マサラタウンに帰るには必ず、ここ、1番道路を通るはずである」
「……あの〜、四天王戦って……」
おそるおそるコジロウは、口を挟んだ。
「コジロウ、ホントに呆けきってるニャー。あのジャリボーイ、四天王戦で優勝して、今では新四天王だニャー」
「し、新四天王?!」
「ついでに言うなら、あのオーキド博士の孫、シゲルも新四天王入りしたニャー」 コジロウはため息をついた。いつの間に、あのジャリボーイたちがそこまで成長していたのだろう。
コジロウを横目でにらみながら、ムサシが作戦の説明の続きを始めた。
「それで、我々ロケット団としては、ピカチュウゲットのために1番道路に罠を仕掛ける」
「また、落とし穴?」
不用意にたずねたコジロウに、またムサシのハリセンが飛んだ。
「そんな、10年前から失敗し続けてる罠、通用するわけないでしょっ! 今回は、オトナの罠でいくわよ」
「お、オトナって……」
「考えてごらん。優勝よ、祝杯よ。祝杯といえば酒、酒といえば……」
「おでん屋台ニャー」
「今回は、おでん屋台で酔い潰せ! その隙にピカチュウいただいちゃおう作戦よ!」
「……上手くいくのかな」
「ニャーたちは、今や窓際ロケット団。今度失敗したら、リストラは確実だニャー。今更転職しようにも、この歳じゃ再就職先もなかなか見つからないニャー」
「だったら、上手くいかすしかないじゃないの。最後の気合いの入れどころよ!」
そう言ってファイティングポーズをとるムサシの二の腕が、以前よりかなり太くなったなーと、コジロウはぼんやりと考えていた。
サトシは、シゲルと並んで、1番道路をマサラタウンに向かって歩いていた。ふたりの傍らを、ピカチュウとイーブイも並んで歩いている。
そろそろ夕暮れ時で、空が茜色に染まっていた。空気はそろそろ雪の匂いがしていた。
「……なんか、懐かしーな」
ぽつりと、サトシが言った。マサラタウンに続くこの道が懐かしいのではなく、シゲルと肩を並べて歩くことが懐かしかった。
「もう、10年以上前のことだよな。昔は、遊んだあとよくこうしてふたりで家まで帰ったっけ」
シゲルも同じことを考えていたのだと思うと、サトシは目の奥が熱くなった。一時期はライバルとして対立していた幼なじみが、今はこうして並んで家に帰る。たったそれだけのことが、しみじみとうれしかった。
「あー、なんかオレ、腹減っちゃったな」
潤んだ目を気づかれまいと、サトシはわざと明るく言った。
クスリと笑いながら、シゲルは辺りを見回した。
「このあたりには、店もないし……」
「いや、あるぞ!」
サトシが指さした先には、一台のおでん屋台があった。
「来た来た。さあ、作戦開始よ」
双眼鏡を覗いていたムサシが、言った。
「でも、あのシゲルもいるニャー。どうも、あいつは苦手だニャー」
「一緒に酔い潰せばいいのよ。ついでに、あいつのポケモンもいただきよ。さあ、コジロウ、ぼんやりしないで」
「あ、ああ」
コジロウは、ショックを受けていた。
あのジャリボーイ、いつの間にかオレよりも背が高くなって。あんなに立派になって……。
「オヤジ! おでんちょうだい!」
サトシは、座るなり元気よくオヤジ=コジロウに注文した。
「サトシは、こういうとこ慣れてるのか?」
ちょっと意外そうに、シゲルが言った。
「いや、初めて。シゲルは?」
「ボクが普段飲むのは、ホテルのラウンジかショットバーばかり。こういうのは初めてさ」
「……なーにかっこつけてんだか」
小声でムサシが、つぶやいた。
「あ、そうだ。シゲル、悪い、ちょっと電話させて」
「ああ、どうぞ」
大根をつつきながら、のんびりとシゲルは言った。
サトシはポケギアをとりだし、短縮ボタンを押した。
「……もしもし、カスミ?」
シゲルの眉が、ぴくりと動いた。
「今どこ?……ああ、それすぐ近くだな。……タケシも一緒? ……ちょうどいいや。ここで待ってるから、一緒に……うん、うん……」
シゲルは、そっとため息をついた。どうやら、ふたりで静かに酒を酌み交わすわけにはいかないらしい。
ふと思いついて、シゲルもポケギアをとりだした。やはり、短縮ボタンを押して話し出す。
「……全く、近頃の若いのは何考えてんだろーね。一緒に飲みに来て、それぞれ別の相手と電話で話してるなんて」
「ムサシ、おばさんくさいぞ」
そう言ったコジロウの足を、ムサシは思いっきり踏みつけた。足下で皿洗いをしているニャースは、ヤレヤレというように首を振る。
「カスミとタケシも来るって。ふたりとも、オレたちのお祝いに、今日マサラタウンに来ることになってたんだ」
シゲルが電話を切ると、待ちかねたようにサトシが言った。
「ケンジも来るよ。今、おじいさまの所に電話して誘ったんだ」
「ケンジ? 久しぶりだな〜」
「お客さ〜ん、大吟醸のいいのあるんだけど、一杯どう?」
ムサシが、精一杯の営業スマイルでふたりに勧めた。
「ああ、今連れが来たらもらうよ」
サトシが笑顔で答えた。
ムサシは、内心舌打ちした。人数が増えると、やっかいなことになりそうな予感がした。
「サトシ! シゲル!」
「久しぶりね〜」
タケシと、カスミがおでん屋台に着いた。
タケシは見たところほとんど変わりがないが、カスミはびっくりするぐらい美しく成長していた。ひっつめだった髪を下ろし、少し化粧もしている。オレンジ系の口紅が、とてもよく似合っていた。
カスミが、ごく自然にサトシの横に座るのを、シゲルは穏やかならぬ気持ちで見ていた。
お酒はケンジが着いてからということにして、タケシもカスミもおでんを注文した。
「いや〜、旨いな。この大根。だしがよくしみているし、この面取りもきれいなもんだ」
「そうでしょ、うちはだしも、極上の昆布と鰹使ってるからね」
コジロウは、上機嫌で答えた。このおでんを作ったのは、コジロウとニャースなのだ。
話を聞いていると、タケシは今やブリーダー界の第一人者。大きな大会で、何度も入賞を果たしているらしい。
カスミは、姉たちに代わってハナダジムのジムリーダーを務めている。
「まだ、水中ショーを続けているのか?」
タケシの質問に、カスミは苦笑いして答えた。
「まさか。姉さんたちも、今や熟女3姉妹だし。今は、ジム本来の姿に戻って……」
「バトル1本に絞ってるのか」
「水中ポケモンショーやってるわ」
「ど、どこがジム本来の姿なんじゃい」
サトシたちに気づかれないように、ムサシが小声でつぶやいた。
「みんな、久しぶり!」
「ケンジ〜、懐かしいな!」
遅れて、ようやくケンジが仲間入りした。
「テレビで四天王戦見てたよ。オーキド博士も、サトシのママさんも大喜びだったよ」
ケンジは、タケシと共に簡易テーブルの席に座った。早速おでんを注文する。
「ケンジ……いや、もう義兄さんと呼んだ方がいいかな」
「義兄さん?」
シゲルの言葉に、サトシはポカンとした声を出した。
「ああ。婚約したんだよ。ケンジとボクの姉さんが」
「ええ〜っ!!」
サトシと、タケシと、カスミは一斉に驚きの声を上げた。
ケンジは、しきりに照れている。
屋台の中では、ムサシがうつむいてぶつぶつとつぶやいていた。
「……結婚ですって? 結婚ですって? あたしを差し置いて生意気なぁ〜」
「まずい。結婚という言葉に、ムサシが過剰反応しているニャー」
「よ〜し、大吟醸なんて生ぬるい。お祝いに、これを差し上げるわよ」
ムサシが取りだしたのは、ウォッカのビンだった。
「そ、それはめちゃくちゃアルコール度数の高い……」
「そうよ。これで一気に酔い潰して、作戦遂行よ」
ムサシは、その無色透明の液体をコップに注ぐと、彼らの前に置いた。
「それじゃあ、ケンジの結婚を祝して、乾杯しようぜ」
「新四天王の誕生を祝して、だろ」
照れながら、ケンジはコップを持った。
「かんぱ〜い!」
サトシは、水を飲むように、一気にコップを空けた。
「おい、そんなに一気に飲むと……」
ケンジの注意は間に合わなかった。
真っ赤な顔をしたサトシは、そのまま突っ伏して大いびきをかき始めた。
「あーあ。しょうがないなあ」
カスミは、自分のかけていた大判のショールを、そっとサトシの背中にかけた。
シゲルは、それをちらりと見て、黙々とコップの酒を飲み干した。
「オヤジ、おかわり」
「……こいつら、ウォッカと大吟醸の味の違いがわからないのかニャー?」
「ふん。所詮ガキども。酒なんかほとんど飲んだことないのよ」
ニャースとムサシは、気づかれないようにこっそりとささやいた。
「ねえ、ケンジ。結婚式はいつするの? あたしたちも、呼んでよね」
カスミが、はしゃいだ声で言った。
「それが、当分はしないんだ。また、旅に出ようと思ってさ」
ケンジは赤い顔をしていたが、それは酒のせいではなかった。
「このまま、オーキド研究所を継ぐんじゃないのか?」
不思議そうに、シゲルが言った。
「今のままのボクじゃ、オーキド博士の後継者には、まだまだ役不足だよ。フットワークの軽いうちに世界中をまわって、見聞を広めようと思っているんだ」
「そうか」
シゲルは、頷いた。
オーキド博士は、今のままでもケンジは充分有能な研究者だと太鼓判を押していた。それでもまだまだだと感じるのは、少しでもオーキド研究所の後継者としてふさわしい人間になりたいという、強い思いがあるからなんだろう。
「おじいさまのことなら、心配いらないよ。ボクは、当分マサラタウンを本拠地に活動するつもりだから。頑張ってこいよ」
「ああ。シゲルがいてくれたら、心おきなく出発できるよ」
「でも、婚約者の彼女はどうするんだ?」
タケシは、ウォッカを飲みながら聞いた。実は、彼はこの酒が大吟醸じゃないことに気づいていたのだが、ウォッカもおいしいので、そのまま飲んでいたのだった。
「ああ……実は、一緒に行くんだ」
「何〜っ!!」
「キャーッ、それって新婚旅行?」
「婚前旅行だろ」
はしゃぐカスミに、シゲルは小声で突っ込みを入れた。
タケシは、コップの残りを一気に飲み干した。
「オヤジ! おかわりだ!」
時間が経つにつれ、みんな酔いがまわりだした。
「聞いてくれよーっ、自分は、ほんっとうにミナコさんのことが好きだったんだーっ。それなのに、それなのに、うっうっうっ……」
タケシは、泣き上戸のからみ酒。
「やーだぁ、タケシってば、まーたふられちゃったのぉ。きゃははははははは」
カスミは笑い上戸。
シゲルは何も語らず、寝ているサトシの横で黙々と飲み続けていた。
「シゲル、少しペースが速いぞ」
見かねたケンジが、何回かシゲルのそばに行こうとしたのだが、そのたびに、
「ケンジ〜、自分の話も聞いてくれよーっ」
と、タケシのお呼びがかかってしまうのだった。
「ボクは大丈夫だよ。静かに飲みたいんだ」
シゲルは、表面上冷静にそう言って、またコップを傾けた。
「ね、そろそろ大丈夫じゃない?」
「でも、シゲルがまだ潰れてないぜ」
「あいつはうわばみニャー」
ニャースがそう言うのももっともで、シゲルはもうかなりウォッカを飲んだはずなのに、顔色ひとつ変わっていなかった。
「あいつが潰れるのを待ってたら、酒が無くなっちゃうよ」
「この際、ジャリボーイのピカチュウだけで我慢しておくか」
「よーし。それじゃあ、ニャーが……」
ピカチュウとイーブイは、屋台の横で仲良く眠っていた。シゲルの座っている場所からは、ちょうど死角になるはずだった。
もう一人の、比較的酔いのまわっていないケンジは、タケシにからまれて他のことに気づく余裕はなさそうだった。
「そーっと、そーっとニャ」
ピカチュウの前まで来て、ニャースは岡持を振り上げた。見たところは普通の出前用の岡持だが、防電加工の施された頑丈な檻となっている。
「……せーのっ」
「ボクのイーブイに、何をする気だ」
ニャースが顔を上げると、そこには仁王立ちになったシゲルがいた。酔っぱらったような様子はなかったが、目だけはすわっていた。
「ニャ、ニャーはお前のイーブイなんか手を出してないニャ。こっちのピカチュウを……」
ニャースは、シゲルの目にすっかりおびえてしまった。
「ボクのサトシのピカチュウを、どうする気だったんだ!」
「なんなんだ、お前たち!」
異変に気がついたケンジが、からんでくるタケシをふりほどいてシゲルの隣りに立った。
「なんだかんだと訊かれたら」
「答えてあげるが世の情け」
待ってましたとばかり、ムサシとコジロウが口上を始める。
「うるさいっ! ボクは、今、猛烈に機嫌が悪いんだ」
シゲルは、次々とモンスターボールを投げた。中からは、ニドキング、サイホーン、カイリキーが現れる。
「うそーっ!」
「こいつって、もしかして酒乱?」
ムサシとコジロウは、口上も忘れて道ばたの茂みに隠しておいた気球に飛び乗った。
「ニャーをおいていくニャー!」
ニャースが飛び乗ると、気球は急上昇した。
「ねえ、これで逃げられたと思う?」
「うーん、この10年間の経験からすると……」
ムサシとコジロウの不吉な予感は的中した。
次にシゲルが投げたモンスターボールからは、カイリュウが現れた。
「すごいカイリュウだ! 観察させてもらいます!」
ケンジは、スケッチブックとペンを取りだした。
カイリュウはあっという間に気球に追いつくと、しっぽで思いっきりたたきつけた。
「やっぱり、こうなるニャー」
「やな感じ〜!!」
ロケット団は、星空の彼方へと飛んでいった。
「よし、いいぞ! みんな戻れ!」
ポケモンをモンスターボールに戻すと、シゲルはその場に仰向けに倒れた。
あわててケンジが支えたが、シゲルは彼の腕の中で高いびきをかいていた。
「……悪酔いしてみたくなる夜もあるよな」
ケンジは、そっとシゲルをサトシの横に寝かせた。そして、ふたりの酔っぱらいの相手をするために、テーブルに戻った。
「ねえ、これからどうする?」
星空を飛びながら、ムサシが言った。
「もうこれで、リストラ決定だニャー」
「なあ、屋台やってみないか」
コジロウが、言った。
「最初は屋台からはじめてさ、金がたまったら小さな居酒屋開いて」
「いいわね、それ。あたしは、美人の女将さん」
「オレは、料理自慢の板さん」
「ニャーは、客と福を呼び込む招き猫」
「それってなんだか」
「いい感じ〜」
「ちょっと、コジロウ、いつまで寝てんのよ!」
怒鳴り声と共に、ハリセンが飛んできた。持ち主は、もちろんムサシ。
目の焦点が合うにつれ、コジロウは、また違和感を感じた。
「……ムサシ、若い……」
「やっだあ、コジロウってば、そんなホントのこと」
喜んだムサシは、コジロウの背中をばしばしと叩いた。
「……どっちにしても、結局叩かれるのね」
コジロウは、辺りを見回した。
いつもの狭い気球の中。ニャースの毛並みは、まだ艶がある。
「ジャリボーイ、発見ニャー」
ニャースが、気球の下を見ながら言った。コジロウは、あわててニャースの指さすほうを見た。
サトシも、カスミも、タケシも、まだまだ少年少女のままだった。
「……そっか。夢だったのか」
コジロウは、ほっとしたような、がっかりしたような、複雑な気持ちだった。
正直、屋台を始める夢は魅力があった。
だけど、ロケット団員としての自分に見切りをつけるのは、もっと後からでもいい。もっと、頑張ってみてからでも。
「よーし、お仕事頑張ろう!」
「おっ、コジロウやる気十分だね」
「その意気で、今日こそピカチュウゲットだニャー」
こうして、サトシたちとロケット団の攻防は、今日も続く。続くったら続く。
10年後予想、はずしまくりだったり(苦笑)
イーブイはとっくに進化してしまったし。
カスミのパーティ離脱&ハルカの参入で、果たして10年後の
サトカスはどうなっているのでしょう?
それにしてもこの作品、たまちゅうさんに素敵なイラストを描いてもらったのに、
パソコン買い換えた時にデータが消えてしまった……。
とても素敵なイラストだったのに(・_・、)グスン
追記:たまちゅうさんこと鯱たま様のHPが復活いたしました!
「10年後」のイラストも、また見ることができます。
バンザーイ \(≧∇≦)/\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/\(≧∇≦)/ キャァ♪
ご覧になりたい方は、ぜひ「COUNT 2-3」へ!