|
時間が無いので間抜けな文章になりますが、シスプリ創作、シスプリメ創作を問わず「原作を再検討」は視野に入れていきたい、また今後それももっと積極的に呼びかけて行きたいところです。
シスプリメーカーは、(さらに)僕たちは原作を思った以上に見ても読んでもいなく理解してもいない、さらには少なくとも僕に関しては理解するに足る力量にも劣るだろう、と言うことを前提におき、主に原作踏襲による原作理解をさらにアクティブに(つか僕ら企画室がもっと表出して)行っていけたらなあと思います。
また単にプロの仕事を踏襲することで普通に絵が上手くなるだろう、文をもっと書けるようになるだろうとか、そう言う思惑も、やはり少なくとも僕のことでありますがあったりします。と言うかこれは僕が日ごろやっている天広絵の踏襲って形で具体的に現れています。ヘタに原作に反発しても技量的にも創作姿勢としても既に未熟な僕じゃ絶対形にならないですし。
僕の模倣は、なんだか周りから見たら滑稽なのではないかとたまに思っちゃいますけど。
ですが、テディさんが改めて
『各サイトに一人、オリジナルがいたらすごいかも』『お互いを「○○ちゃんのお兄ちゃん」とか呼び合ったら大変なことに』
などの、相互関係に関する話(?)を振り返っていますが、当然原作の踏襲などがこれらと相反することも無く。
そして原作の踏襲は条件ではなく、シスプリメの目標の間違いなくひとつであり、かつ原作シスプリ理解への手段になりえる。もっと自分の中にシスプリを引き込む契機であります。
シスプリの為のシスプリメだもんで、僕だけに限って言えば(かなり不躾な文章が以下展開されます)シスプリメを通してシスプリのことを考える時間は劇的に増大したので、シスプリ熱を保つ意味において少なくとも成功と言える、でしょう。シスプリメ以後では可憐たち、さらには公野先生や天広先生の筆致に対する検討や考察は凄まじく多くの機会に恵まれ、それらを行ってこれただけでも有意義だったのです。そして、これからもまだまだ。
アーキネオシスターは近い内に一部分を形にする用意を進めていますが、今一度アーキネオシスターがどう言うものかと定義?しておけば今一度アーキネオシスターがどう言うものかと定義?するならば「原作を踏襲、理解しようとする姿勢をいかに表現するかを、(ガイドライン以上に)企画室の意図によって定められたネオシスター」と言う具合です。
焦ると観念的な文章になるんだな。スイマセン。
|