シスプリの作品観に対する考察・文章

キャラクターについて語るのではなく、ユーザーたちの共通認識として発生するシスプリの全体像について語っています。

シスプリの作品観及びキャラクターに対する考察
シスプリファン活動「シスター・プリンセス・メイカー」に対する言及
シスプリの作品観に対する考察・文章
シスプリのキャラクターに対する考察
(※ユニットについて)
2003年
4月 ファン同士の歪みに着目して
5月 シスプリにとっての時間とは(シスプリ終末)
6月 本誌終了による、ファンの変化について
7月 ファンのこれから
12月 シスプリらしさとは
2004年
2月 記号的でないシスプリ
ユニット概念の発表

白並木ユニット 可憐 花穂 咲耶 雛子
若草ユニット 白雪 鈴凛
帰国三姉妹ユニット 春歌 四葉 亞里亞
複合ユニット 鞠絵 千影
2003年
4月 導入と、当時を取り巻く状況
5月 シスプリメの構造開発
6月・7月 ガイドラインの発生と、立場
10月 オリジナルキャラクターの立場の脆弱さ
12月 シスプリメと原点回帰
2004年
1月 用いられるべきセンス
2月 原作愛と物語消費
3月 ガンダムに見出す伝承



2003年4月9日(水)

さて、掲示板で済ましておくにはもったいない話題がありますのでここに引っ張り上げます。
掲示板読んでいただけたら解ると思いますが、ファンの間の「歪み」って話です。

一口でファンと言っても色々ございます。ちなみに僕は原作シスプリファン。いや多分そんな次元の話じゃないです。そうですね、突っ込んだものはそれこそ
血縁非血縁とか。
シスプリに限って?言いますが、正直仕方が無いんですよね、歪みって。ストーリーがない分
個人の頭に形成されたイメージがほぼ全てです。例えば僕はどうにも千影に頭が上がりません。これは原作でもそうか。

それの矯正と言うか解消を唱えたのがnoirさんで旗色を決めかねたのがつくねさん。
これは正直僕も旗色決めかねてるんですね。なんと言いますか、シスプリの原動力の一つに、やっぱり良い意味で兄のせめぎ合いってあるだろうな、って思うんですよ憶測だけど。
そう、兄の、
全国海千山千の猛者たちのせめぎ合いデスよ。良い意味での。萌えのインフレ、いやこれは違うか。
ある一人が激しい萌えを繰り出して来たとしたら、もう一人が更なる萌えシチュを創り出すのに躍起になる。その繰り返しは確実にあると見てます。やっぱり
萌えのインフレだ。
これが設定の決まってないシスプリでは、起こりやすいのなんの。やりたい放題です。

なんだか論点がずれたと言うより元から定まってない感じデスが、十人十色のファン、解釈があって良いなと最近はますます感じてるところです。

ただ、長所と短所は裏返しって言うじゃありませんか?それは例えばメディアミックスされ、それに伴い解釈されたシスプリの姿に顕著かと思います。平たく言うとウニメは評判が悪かったと言う事です。
原作を基準と仮定して、ゲーム版、アニメ版、それこそメディア間に「歪み」が発生しています。そもそも12人いるかいないかから違いますし。
この辺はやっぱり上海亭さんの12にんいる!が論じてくれてまして、大変参考になるデスよ、兄チャマ!

なんだろう、結局は規模の問題なのだろうか?ファンの間は仮に気に入らないものがあったとしても他所を向いてられそうですが、MWやら何やらが関わってるものはどうしても
決定的な事に思えますので「歪み」と見えてしまうのかも。微笑んで看過できないのですね。
結局、原作にしてもゲームにしてもアニメにしても、この際何を基準にしても「歪み」をなくせって結論になるのかもしれませんが、僕に限って言えばこの歪みですら必要なのかもしれません。
一人の妹でいて欲しいときもあります。12人同時にいて欲しいときもありますから。鞠絵には元気でいて欲しいですから。
僕は今しばらくこの「歪み」を楽しむ事にしますよ。とかなんとか。旗色決めてるじゃねえか。

テキストサイトとしてはまだまだ力不足の感ありありです。要精進。

2003年4月10日(木)

NEUEさん(4/9 WED.)
と言うかそもそも僕の駄文に反応してくださってありがとうございます。これだけで舞い上がりそうだ。

シスプリが物語(連続性を持つものだけが物語とは言わないのかもしれませんが)として要素を組まれたのは実際のところ原作では無くゲームとアニメだったりします。
あ、仮にここでは
「一応でも終着を迎えるもの」を物語と定義して置こうと思います。そう考えると原作はエピソード集と呼ぶのが適当ですか。
ゲーム・アニメはともかく、やっぱり原作はスキマだらけです。

掲示板つくねさんが仰った様に、(原作の)シスプリは「解釈が拡散する」のは意図的であると考えたくもなりますし実際そうなのではないでしょうか。誌上ゲームとか諸々の性格上。
僕が無知なだけなのでしょうが、発信側が萌え元素なるキャラクターだけを用意してレールなる物語を用意しないのは今でも斬新な気がしてなりません。
と言う事は、深読みしすぎたら、
萌えのインフレはMWによって意図的に引き起こされたものであると考えられなくも無いんですが、これってすごい事なのでしょうか。この際「僕らはMWに踊らされてる」とかそう言う後ろ向きな考え方は除外、省略、破棄、保留します。

作品が存在すればそこに大なり小なり「歪み」が生じるのは当たり前の話ですし、それを無くすことは原作の消滅と同義です
歪みの反動を利用する事によって、単に原作と言う枠に囚われない作品世界そのものが広がっていく

少し違うのかもしれませんが、でもこのお言葉で(シスプリで言えば)
「兄のせめぎ合い」こそ作品を持ち上げているエネルギーに他ならぬと確信しました。

いや、でもなあ、どうして僕の文はこうも稚拙なのだろう。僕の駄文に帰ってくる皆様の文章がこうも高尚なものばかりでもう肩身が狭い。いやこれは何か違うだろ。ともかくより一層精進したいところです。

2003年4月11日(金)

「ファンの歪み」から始まった話、確認できるところでNEUEさんとページの終わりまでさんから反応いただいてます。ありがとうございますー。捕捉漏れあったらスイマセン。
ひとまずここは個々にレスをば。

NEUEさん
僕の展開した話では原作とは原作者である公野櫻子、天広直人らによって極限まで統御されたもの、つまり原作者の手作りのものを指してるつもりです。
ゲームはその点で一歩譲ることになりますので、原作として扱わないと結論しました。

シスプリ(の原作)は本質的に結末のないドラマであり、いわば『時間の止まった世界の出来事』
少し考えると、つまりユーザーがシスプリをやめない限り一応の終了すらありえないと言う事で、究極的にはエンドレスの可能性も孕んでいるようで興味深いかもです。

こんなことを考えていたら視界の狭い僕は話してきた事何もかもをシスプリ独自のものかと思っていましたが、
ページの終わりまでさんの日記にも記されてある通りある程度は雑誌企画として当然の姿勢なのでして。僕がシスプリを神格化しようとしている事の顕れでしょうか。
言える事は、あらかじめの設定が極端に少なく、しかも単純明快であった上で人気を博した。これはシスプリの人気と無関係ではないと思います。当然か?

オフィシャルサイドからいじり方を教えてくれた作品
つまりシスプリはユーザーにいじられる事を大前提にした作品で(ああ同じ事を言葉を変えて言ってる気がするなあ…)、あることになり、それもまた新鮮な事に聞こえます。
やっぱり僕の手前味噌はライダー可憐になるんでしょうね。

ライダー可憐と言えば、えいぎライダー可憐更新。ストーリー追加されてますね、要チェキ。

などと考えていたのですが、このお方が一言。

楽しけりゃ良いじゃん

その通りです。反論のしようもございません。シスプリのおかげで、こういった議論めいた事も楽しませてもらってます。



2003年5月4日(日)

書く事が何も無いと言うのもなんなので、手短ながらページの終わりまでさんのRePure考察に反応させていただこうかしらと。読みましたよ勿論昨日はあんな事書いてしまいましたが。

(以降の文章は考察を参照)
シスプリは、おおよその原則として止まった時間の中で展開されているわけですが、アニメ・シスター・プリンセス(アニプリ・ウニメ)によって
時間の流れを意識する格好になりました。
それが良い事なのか悪い事なのかは、多分人によるのでしょう。現に僕は引き返せない感じがしないでもない。
おわりのはじまりが始まったならば(変な言いまわしになりましたが)、これを即ちシスプリ最大の試練と考えると言うのもありでしょう。カッコつけて言うなら時間の流れを超越出来るかシスプリ。と言った所?
これを乗り越えぬ限りシスプリに未来は…無い…かもしれないしそうじゃないかもしれない。

それとは別に各メディアがそれぞれに手を差し伸べる考え方面白くて感動です。説得力があるですー。またシスプリの繁栄は各メディアのそれこそ調和にかかっているとするあたりアニプリ考察とのシンクロも感じます。
調和できなんだらまたそれもシスプリの危機なわけで。シスプリには実に試練が多い。
でも、シスプリがハイリスクハイリターンな作品である事は今更感覚で解る気もしますので、シスプリャーは絶え間無いエネルギーの発生、そして統合を行っていく事が理想ですねー。
「シスプリメ」もその手段、またはメディアの一環として活躍出来れば良いと思えます。シスプリを主にインターネットから支える立場として。

2003年5月29日(木)

今日ばかりはシスプリメもお休みだ。少々略してシスプリを取り巻く現在の状況を整理してみる事にします。
私論ありまくりですから留意されたい。じゃあ書くなよとか言わないで。
整理しつつ少し今後の事も予想。

シスプリは様々なメディアミックスを通し、グッズ化、CD化、ゲーム化、アニメ化その他などなどあらゆるメディアに展開している。

現在はその流れのおおよそが停滞した。一通りのメディアミックスが終了したのだ。

夏にPSゲーム
Sister Princess 2 PREMIUM FAN DISC (仮)の発売が予定されているが、それを考慮しても当時の隆盛には見劣りするものがある。

特にラジオが「シスター・プリンセス お兄ちゃんといっしょ」→「電撃G’sラジオ(シスター・プリンセス中心)」→「電撃G’sラジオ(パピーガールズ中心)」と推移したことは、極めて象徴的である。

最も動きが見られるメディアは、原作である電撃G’sマガジン誌上連載であったが、それも近日一応の最終回を迎える。

以降に関しては、公式周りからの情報発信途絶、つまりシスプリの終了の可能性も示唆される。

さらにこの継続に関しては、メディアに浸透したことによって今後は多少ドラスティックな展開も予想される。

総括して、およそ今期が、
「シスター・プリンセス お兄ちゃん大好きv」のターニングポイントであると推察する。


終わりを感じさせるファクター

メディアミックスの閉塞
(具体的にはラジオ関連)
グレーゾーンで、連載の引き際
「いよいよ来月は連載最終回。
内容はナイショだけど特別編でお届けしますので、お楽しみにネ!」
(今までのように(?)今後の展開への示唆が見られない。)


一方続きを感じさせるファクター

シスプリ公式掲示板の運営再開
シスプリが使用する最終回と言う言葉への不信性(苦笑)
(と言うかまだまだありそうなもんですが。)



よってシスフリは、楽観視も悲観視も出来ませんでした。保留。もうたまらん。しかし昨日は焦ってわざわざ大文字で書いたりして申し訳ありませんでした。煽ってるようじゃないか。

でも、
当然僕はシスプリに終わって欲しくない。

だいたい終わったら編集部は
編集部へ脅しや呪いのお手紙を送ってくださったお兄ちゃん達はどうぞ安心してください(笑)。
(G’sマガジン2001年3月号より抜粋)
なんて事になるんですし、


お兄ちゃんをして「倒産がなんだ! 可憐がいればそれでいい」と言わしめるシスプリが、

お兄ちゃまをして「本当の妹に、私とどっちが大切? と聞かれた。もちろん花穂。即答」と言わしめるシスプリが、

あにぃをして「ボクは何のために生まれてきたのだろう……それは衛と遊ぶため!」といわしめるシスプリが、

お兄様をして「3ヶ月くらい前に振られた彼女からヨリを戻したいと言われ、彼女がいると言って断った。名前を聞かれて『咲耶』と答えてしまった」と言わしめるシスプリが、

おにいたまをして「妻に『雛子ちゃんと浮気しちゃダメ!』と言われた。妻よすまない、浮気じゃなくて本気だ?!」と言わしめるシスプリが、

兄上様をして「鞠絵のためにドナー登録してきたよ。オレのすべてはキミのために」と言わしめるシスプリが、

にいさまをして「ビバハロウィン! ビバビバ! 変なイタズラ?ヤルよー。めちゃヤルよー! もうドキがムネムネ、不完全な良心回路も火をふくぜ!今月こそは……泊まる!!」と言わしめるシスプリが、

アニキをして「実妹が鈴凛に見えてきました。もう重傷です」と言わしめるシスプリが、

兄くんをして「もう俺を殺せ!!」と言わしめるシスプリが、

兄君さまをして「キモノニマケマシタ」と言わしめるシスプリが、

兄チャマをして「四葉に追いかけられると思っただけで……ウワァァァァァァ!!!!」と言わしめるシスプリが、

兄やをして「亞里亞ちゃんの事を考えながら夜中にコンビニに行ったら、道をふみ外して水がはってある田んぼに落ちました。てへへ」と言わしめるシスプリが、




終わるわけあるかーーーーーーーーーーーー!!!!!!
(上記はここを参照にしました)



2003年6月29日(日)

あくまで冷静に客観的に現在の状況を見てみることにします。果たしてできるかどうか疑問だがな。

Sister Princess ~お兄ちゃん大好き~は、二度はない大きなターニングポイントを迎えようとしているようです。
シスフリは、詳しくは来月号の特集シスター・プリンセス メモリアル特別企画なるものを待って、シスプリ原作の状態を判断します。既に客観的じゃない。


見過ごせないファクタを挙げてみます。

尊者天広のご声明
今月号のG’sマガジンの内容全般
来月号におけるミニプリ最終回の情報
原作以外のメディアに現時点でシスプリが殆どその姿を示していない事



続いてこれから来月までに可能な事。

まず、公式ページの掲示板の動向を観察します。
多分悲しみの声ばかりなのでしょうが、何かしらの収穫もあるやも…。

シスプリの今後を推察する目的の議論を展開します。
かなり不毛に終わりそうですが、これは最早自然現象並みに行われる事かと思います。
シスフリも
「決定的な事実」っぽそうなのを見せ付けられるまでは、足掻き続けます。

自分とシスプリの関係を見つめなおします。
いきなり概論的になりましたが、やっぱりどうしてもするところでしょう。
自分にとってシスプリとは
何者なのか?何者だったのか?来月まで時間はございますので。

暴れます。
説明不要。

他にも多岐にわたるかと。



シスフリなのに、
ウェブリング・シスプリメがないとはどう言う事かとお思いになった方もいらっしゃる事かと存じますが。
詳しくは明日のG’sマガジン入手と合わせて書く事にしますが、今一度改めて申し上げるとすれば。

シスフリは、全力で現在の姿のシスプリを保存する目的の行動を展開します。
それがもうどうしょうも無くなった時にこそ
、ウェブリング・シスプリメを起動させます。無期限。
だいたいまだ人々に形がよく伝わってないしね。


暫く捕捉とか出来ないかも。そっち方面は普段からまともに活動できてないけどスイマセン。


あと、「シスプリは商業として効果を占めるから簡単に終了はありえない」と言う根拠に基づいた論がございますが、いかんせん
シスプリの商業的な業績を客観的に示す統計がユーザーの手元には無いので、僕はこれを論拠にするのはなるべく差し控えたいと思います。
まあG’sのキャラクターランキングとかならあるんですけどね。


2003年7月ファンのこれから


2003年7月4日(金)

7月4日の日記の、特にヒマな黄薔薇さまに反応した縁なのかどうかはいざ知らず。
7月3日の鞠絵のお話に反応をしてみます。

病人ゆえに鞠絵と言うのはどうやら必然なのですが、それはそれは切ない話ですし、またこれをなんとかしようとするのも兄上様ならではの事でしょう。
やはりここまで具体的に要求したい未来が(
殆どの兄上様の共通事項として)あると言うことをもって、鞠絵はシスプリならざるところがあると感じます。(別項に託します)
「本来の完結」と言うキーワードも果たしてどのような意味を持つのか。
シスプリの連載最終回も所謂収束した上での完結ではなく、今まで4年間以上変わらずシスプリが語ってきた事を再確認したかのような内容にも見えます。真相とか、後日談とか、そう言った向きの展開ではなかったと思います。

まあ僕に言えるのは今はこれだけで果たして何が
「本来の完結」かは諸説ありましょうが、26もよく考えていきたいです。
ともかくとして鞠絵は一つの
「結末」を暗示させるキャラクターです。いや確かにどの妹もユーザー次第で結末を用意することは出来るのでしょうが、鞠絵は病気に関わって結末の方向性が非常に限定されているように見えます。

しかして(話が全く繋がっていない)、シスプリの連載が終了した(あくまで当サイトにおいては仮定)ことで、妹達の物語の
「完結」はともかく、ついに「結末」は全国にまたがる兄達の手に委ねられました。

最早情報は発信されないのですし、物語に続きを、あるいは
「結末」を求めるなら、ユーザーが自身で創り上げていかねばならないのです。
これは最早僕の勝手な解釈ですが、シスプリ連載の使命が妹の情報なりなんなりをめいっぱい伝える事にあったなら、どうやらそれを達成したらしいことをも、
「本来の完結」と指せるのではないのでしょうか。まさにトゥルーエンドは兄の数だけある筈だ。シスプリのコンセプト、特徴(偉そうだな)を持ってすれば、それが可能なはず。

さし当たって「おわりのはじまり」とはある意味で、今こそユーザーが、
兄が自分の内的世界のみをキーに妹と向き合っていかなければならなくなった、この事象をさすのやもしれません。
「おわり」に待っているのは「完結」か、「結末」か、と言う事なのかも…しれない。

そしてシスプリコミュニティと言うのも、この感動をもっと大勢の人々に伝える為にこそ、拡大と深化を止めてはいけないと考えます。(取ってつけた感大有り)


久々にシスプリ論だ。と言うかお返事になってないスイマセン



うちって、絶対同じ事を言葉を変えて言ってるだけな気がするんですよね。なんとかしないと…。


2003年12月シスプリらしさとは


2003年12月24日(水)

まずあんよ氏キャラコレ分析考察がスゴい。めちゃめちゃスゴイんです。もう、すごいんですよ!本当に、本当にすごいんです!(最悪な引用、って、なんで最悪なんだろう)
マジ感動と言うか、
正直鬼気迫るものを感じました。シスプリを追求するためには、これほどのことをしなければならないのかと言うよりは、
これほどのことをしても良いんだと。
でもこの分析に時間がかかるぶん、アーキ・ネオの登場はますます遅延になるジレンマ。どゆこったい。

遅レスですが、原作(特にキャラコレ)の分析が極めて肝要であることは最早明白で、少なくとも個人的には日々実行しています。
しかもそれ以前に皆様のお目にかかっている範囲としては、僕は天広先生の筆致を毎日僕の絵そのものをもって追跡しているわけでありますから、シスプリ的に無駄ではない事だと確信します。


ごもっともでございます。先日申し上げた
「今は企画仮本部サイトの再構成を目下進行中です。」の内容としては、当然このようなところをフォローしたり、あるいは企画進行側に回っている主だった人員の列記などなどを予定進行していたんですが、我々の作業があまりに捗らない鈍いもので、今回お叱りをいただくことになりました。
シスプリメにおける「シスプリ観」についての言及と言うことで、「正式にまとめたもの」はまだもう暫らく時間を頂きたいところなので、非常に稚拙ではありますが僕の語れるところまで今語っておこうと思います。
以下の内容は、後日何らかのコンテンツとして収容する予定です。これらの観念に基づいてシスプリ活動をすると言うことに他なりませんので。

やや、どころじゃねえや相当過激になってます、注意。

まず、原作ありき。
いや、確かにゲームもアニメも面白いんですが、あくまで基礎は原作であり、むしろ
尊者天広直人と尊者公野櫻子にあり。
プロ/アマの枠を度外視すれば、ゲームもアニメも、二次創作の立場とさして変わらないものだと僕は考えています。
僕は間違いなくこの原作が狂ってるくらいに好きで、場合によっちゃゲームやアニメを別作品として考えることも辞さない。
(第一次原作〔こう言っちゃ意味が偏りかねませんが、〕至上マインド)

そして、シスプリの原作が終了したことは、「
原作シスプリをより理解する為には、今までの、ぶっちゃけ『原作を置き去りにしている』二次創作だけを行っていてはダメだ」と確信させました(当然今までの二次創作が原作を軽んじているなどと言う確証は無いのですが、それにしても原作の分析によって実感を持ってきた部分が多いです)。
原作が終了した今こそは、
むしろ原作を改めてリスペクトした上での二次創作に励む事が必須なのだと。シスプリを知って二年、狂おしいほどのシスプリャーである自覚がそろそろついてきた僕は、形振り構わず、あるいはシスプリ中心の生活(?)にまで改めることも、アリだろうと考えました。
この考え、やり方「だけ」で行くと、なんと言うか、広義の意味での二次創作作家の個性は著しく減衰するだろうとは思いますが、それでもです。
(シスプリ終了以前の二次創作スタイルと並行することは当然可能です)
(第二次原作至上マインド)

ここまでで、僕が
「原作ありき」を形成する過程や動機を語ってみました。
続いての更新では、この原作を分析、考察した半ば「途中経過」を綴ってみます。


スゲー偏って、かつ過激な内容でゴメンナサイ。
でも、なんと言うか、この偏った思いでテディさんとシスプリメを(本格的に)始めました。
最もそれ以前からシスプリが終わったら…って懸念を抱きながらでしたけど。

2003年12月25日(木)

クリスマスにシスプリ観を語りまくると言うのもシスプリャー冥利に尽きるではないか


シスプリメの為に用意した文章ではありますが、シスプリメやってない人もぜひぜひお読みください。

企画陣がおおよそ共通言語として提起したいシスプリ観に関して、下記から更新の続き入ります。
これらの文章は多少の改修を経て、シスプリメ企画ページに格納されます。
原作ありきと言うことで、極端に言うと「他作品と比較してこれが傑出突出しているからシスプリである」部分の概括です。
あんよ氏の考察や、あるいは原作自体の位置づけの考察においては上海氏の文献(12人いる!)を合わせてお読みになるとなお適切です。つーかマジオススメ。


1.妹視点ありき。
まずは
妹視点であるということです。
他に類を見ない、妹視点によるモノローグというこの方法をとっているということに注目します。
こうすることにより、妹の心情をより深く描けると共に、妹が“そこにいる”感覚が味わえるのではないかと思います。
つまり、
妹を中心に世界を描くことにより、妹から兄へ向けられる言動、妹の内に秘めたる兄への想い、その魅力をダイレクトに伝えることができる。
そのために、この様式が必要だったのではないかと思います。

2.兄は他でもない、読者だ。
さらに妹視点の様式をとることにより、
兄は妹というフィルターを通して描かれ妹にとって理想の兄が現れるわけです。そこに時折入る兄自身のセリフがアクセントになって、生きた人間として感情移入の余地が生まれるのではないかと思います。
さらにそれらは、
兄=読者であるという図式を明確にし、妹を妹としてより身近に感じられる存在に押し上げているのではないかと思います。

3.設定は選び取れます。
そして、その周りを取り巻く家族や友達などの人々、
周囲の環境などは全て妹を妹たらしめるための存在として見ることができます。
しかし、それらの
設定はあってないようなもので、たとえ存在していなくてもそれはそれで、突き詰めると致命的な問題にはならないと思います。つまり、その設定のあるなしに関わらず妹は妹として存在しており、兄は兄として妹を受け入れることができるからです。
もっと言えば、それらの設定は知らなくても、存在しなくても兄にはなれる。いずれの設定に拠るエピソードからも兄への感情移入は可能であり、兄妹の関係を確認することは可能なのです。
設定は妹の人物像を読者が形成する上での
条件ではなく、補助として全うされます。

4.穏やかなエピソードで綴られます。
上記で語ったように、これらの
設定は基本的にエピソードで語られています。それは、キャラクターコレクションイラストストーリーであり、“渚のPrincess”などの初期の連載であるわけです。
それもやはり、妹を
生きた妹として感じさせるための方法であり、設定の隙間こそが妹を“自分だけの妹”としての感覚を高めるのだと思います。
特に極端な例を出せば
「千影の前世話」は有名ですが、千影のモノローグで語られている限りは、それ自体千影の妄想である可能性は存分に否定できないのです。(上海氏の文献に一部似た事が記されています。と言うか僕がインスパイアされてます)


結果として、シスプリとして必要になるのはその妹を代表する最も重要な要素、たとえば四葉でいうと
「四葉は兄チャマをチェキするためにイギリスから来ました!」という要素のみで十分後は基本的に読者に委ねられる余地であるという結論に達してます。

長くなってしまいましたが、26や企画陣の人間は上記の観点をもって、シスプリにもシスプリメーカーにも参画することにしています。
これらは当然考察としては「途中経過」なので刷新されることもあり得ます。
が、企画を行うと言う自覚上、常にシスプリ観において一歩先を見通しておかねば、と言う意志は間違いなくあります。
ここで語ることになったのは我々の作業速度の遅きが招いた不甲斐ない事態ですが、それでも少しでも多くの方にお目を通していただけたら幸いです



シスプリの作品としてのアトマスフィア(=雰囲気)に関しては今回は言及しませんでしたが、これは語りだすと全くどうやっても茫洋としたものになるのでひとまず回避させていただきました。
そりゃ、敢えて言うと
「キレイ」とか「ファンタジー」とか「微笑」になるに違いない(これらはこれらで当然深い意味を持っています)のですが、実は上記のシスプリ観を果たそうとすれば、必然とこれらのアトマスフィアを纏った作品になるのでは、と感じているところです。



2004年2月1日(日)

こないだも書いたことですが、これは僕自身の姿勢ですが、シスプリを描くにあたって、なんと言うか「外面に頼り切ってないか?」と言う懸念が前からありました。
可憐であり、千影でありをとりあえず顔だけでもわかる風に、つまり記号的に描いていれば、後は、言ってしまえばいい加減に描いてもシスプリであるとわかってしまうのです。のはず。
僕は妹をシスプリを描く時は間違いなくシスプリとして描きたい(時が多い)ので、流石に自分の絵が記号的であると知った時はカナリ耐えられない気持ちになったものです。

2004年2月23日(月)

あんよ氏(日記2月23日)の実に納得な考察を読むに至り、当方はやはり拙い駄文で返すことに。

対称・非対称の関係なるものは僕の場合脳内で定義こそ出来ていなくとも、ぼんやりと輪郭を掴んでいたことかもしれません。
しかしてこの両者の根底に横たわる確固たる法は
「兄と妹を繋ぐ絆」足りえることであり、若草ユニットである場合は、まずビジュアルで提起されたテーマ(運動妹・料理妹・機械妹、千影と鞠絵に関しては別項で機会を設けたいと思いますを足がかりにして、それから妹の想いを描くと言った「手続き」が原作においてとられていると考えます。

特技について描写されない話で妹の意外な側面が示される(白雪のリボン話など)
等に関しては、即ち「手続き」の終わった後でこその、妹の想いが端的に記されるエピソードなのでしょう
(リボンが外見に関わっていることはさておき)
これをもって
「表層(ビジュアル)と深層(内面描写)のテーマを別にする」ことが明確に現れていると言えます。
そして妹の特技とは、
「兄と妹を繋ぐ絆」であると同時に「表層に示される深層への導入」であるのです。
「深層への導入」が済んだ結果、12人の妹達は等しく、最早属性などの
記号的要素の一切入る余地の無い「シスプリ世界」を奏でる境地に至るのです。
これが
白並木ユニットであれば、特技などの以前にそもそも「表層自体が深層の発露である」とかなるのですが、それはまた今度。

これらがいずれにせよ
公野櫻子先生の描かれる内面描写が非常に強い力を持っている証拠だとは言うまでも無いのですが、天広先生の手掛けるビジュアルも絶大な効果を当然持っているわけで。
このあたりの考察などはまるで進んでいないのでなんとも言えないところですが、少なくとも表層である限りは深層に行って
(=潜って)帰ってくる所だから表層であるわけでして、深層に受けた感銘を胸に表層に戻ったその時に、また様々な働きを成すのだろうとは思いました。
深層が豊かに描けるのも、表層の美麗さがあってこそなのでありましょう。
あるいは表層→深層→表層→深層…のサイクルこそが、初めて妹の、シスプリの全体を把握しようとする動きの始まりなのかもしれません。
しかし抽象的過ぎるなこれは…。


ですが、その前に表層のテーマは、
そもそも萌えないとダメなわけで、何でもかんでもイイと言うわけは当然無く、実に慎重な決断を要する箇所です。

遅れましたが、シスプリメ企画作品考察を楽しみにしておりますー。あんよ氏の考察を受けられるとは、シスプリメはそれだけで恵まれてございます



追記追記ー

あんよ氏日記が更新されていて、

リピュア考察以来培ってきたキャラコレでの読み方を、ネオシスSSにも適用してみて、そこから今度はまたキャラコレの読み方そのものも鍛え直されるという過程が、すごく楽しいです。

とのことで、そうです、こういう、シスプリに還元される時こそシスプリメが大きく意味を持つ時なのです。


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