シェール=フェルム正教会は、シェフィール=フェルムの娘、シェール=フェルムによって始められました。シェールは母親の残した教えをより具体的なものへと再構築し、人々に広めたのです。
シェール=フェルム正教会では、秩序/平穏と混沌/崩壊という神の各側面を強調し、リーヴァは世界を守護する者であり、対してディーダを世界を崩壊へと導くものと解釈して、リーヴァを信仰の対象とし、ディーダを邪神であるとして忌避しています。
我々の魂は死後神の世界へと運ばれますが、この際にどちらの神の下に引き込まれるかは、生前にどれだけ秩序を創造/破壊したかによって決定されます。秩序を守り、静かに暮らしていた者はリーヴァの世界へと、秩序を乱し、欲に生きた者はディーダの世界へと行き、そこで死後の永遠の時間を過ごす事となると言われます。リーヴァの世界は光に包まれた静かな楽園であり、一方でディーダの世界は暗闇に沈む苦痛に満ちた世界であるとされており、正教会の最も重要な使命の一つはディーダの世界へと堕ちる者を一人でも少なくすることとされます。
秩序を重んじる正教会は、禁欲的な生活を送り、創造的かつ建設的な行為に時間を注ぐ事を教義とします。逆に、彼らは欲におぼれ、秩序を乱す存在に対してはそれを排除する使命を持つと言う事も定められています。(殆どの信者は穏健派ですが、中にはこの部分を真に受けて極端な原理主義に陥る者も居ます。)
教会の最大の機能は、宗教団体の礼拝施設としての機能です。礼拝堂を備えていない教会は存在しません。礼拝堂は、信者の祈りの場であるだけでなく、祭事が執り行われる場でもあり、周辺住民の交流の場ともなっています。週末の礼拝の時間になれば、説教台に神父が立ち教えを説き始めます。
礼拝施設と並び、全ての教会に備わるもう一つの重要な機能は、治安維持です。教会騎士と教会密偵が主軸となり、教会術師や教会医師の協力の下、周辺地域の治安維持を自発的に行います。特に、一般人が知識を持たないような怪物の撃退や、魔法を用いた犯行への対処も彼等の重要な仕事です。
教会では、そこに在籍する者の手によって、周辺に住む子供達への初等的な教育が行われます。布教活動の一端でもあるため、報酬は一切受け取りません。
子供達は8歳になると教会の礼拝堂の奥にある教室に通い始め、そこで地元の言語と教会共通語、簡単な算術、教会の教義などを五年掛けて学びます。成績が優秀であったり、向学心のある者は別の教育施設に進学します。
この機能は主に農村部におけるものであり、都市部では国や都市、個人等が運営する別の教育組織にその機能を取って代わられている事が多いようです。
教会は、教会医師による医療を提供する場でもあります。余程田舎で無い限り、大抵の教会には必ず医師が一名以上待機しており、人々の怪我や病気を癒し続けています。
農村部の小さな教会では見られませんが、都市部の大きな教会になると、教会自体に所属する人員の居住空間が併設されます。教会寮とも呼ばれ、個室以外の殆どの空間を共有して生活を送ることとなります。緊急時には余っている空間を一般人に開放する事も可能です。
大きな教会では、教会術師による魔法そのものや魔法に関連する学問の研究が行われています。魔化された物品の製造もその過程の中で行われており、教会最大の資金源となっています。
教会の持つ魔法理論と魔法技術は世界の最先端を行くものであり、特に魔化と即興呪文は教会独自の要素となっています。
>>体力+1、敏捷力+1(20CP)
>>聖職者(5CP)
>>法の番人L1(5CP)
>>軍人階級L1(5CP)
>>呪文修得方式/教会騎士(5CP)
(呪文修得方式/教会術騎士を選択するのであれば+5CP)
>>武器とファマザの贈与(4CP)
→1000$相当までの武器一つと、騎馬相当のファマザが自動的に初期所持品に追加される
>>腕輪の拘束(-20CP)
>>使命/ほぼ何時も、命の危険あり(-15CP)
>>腕輪により正体が明らかである(-1CP)
・必修技能
<礼儀作法/教会>(1CP)、<教会共通語>(1CP)、<戦術>、
<乗馬/ファマザ>、戦闘系技能三種類以上
・推奨技能
<水泳>、<応急処置>、<犯罪学>、<聞き込み>
教会騎士は、人々と正教会に害を為す存在を見つけ出し、裁きを下す事を役目とします。彼らは言わば正教会の「顔」のような存在であり、人々から最も慕われる立場の者でもあります。個人や小隊規模で動く事が殆どですが、敵が非常に強大である場合には、軍団を組織して立ち向かう事もあります。
騎士となるためには、高い身体能力と強靭な肉体、それに平均以上の知性が求められます。彼らは専門の施設で訓練を受け、十分な能力を有すると教官に認められて初めて騎士となる事が出来ます。剣とファマザは、その際に与えられます。
>>魔法の素質L3(35CP)
>>呪文知識(15CP)
>>聖職者(5CP)
>>呪文修得方式/教会術師(15CP)
>>体力-1、生命力-1(-20CP)
>>腕輪の拘束(-20CP)
>>使命/ほぼいつも、命の危険あり(-15CP)
>>腕輪により正体が明らかである(-1CP)
・必修技能
<礼儀作法/教会>(1CP)、<教会共通語>(1CP)
<魔法理論>/正教会(1CP)、<呪文行使法>(1CP)
・推奨技能
<神学>/正教会、<論理学>、<系統学>、<呪文学>、<魔法生物学>
教会術師は、「魔法」のスペシャリストです。魔法を中心に様々な学術を研究している正教会の学院で、長い間勉学に励んだ彼らの知識は広く、また深いものです。特に、彼らは魔法の理論に関して強い関心を持ち、呪文はその応用の一分野でしかありません。
術師は多くの呪文を身につけていることが殆どですが、中には理論に傾倒し呪文を殆ど覚えていない者もいます。然しながら、その逆は有り得ません――理論をしっかりと理解しない限り、彼らは学院を卒業する事は出来ないからです。
術師となる事が出来るのは、優れた知性と類稀なる魔法の素質に恵まれた、選ばれた者だけです。このどちらが欠けても、学院に入る事すら叶わないでしょう。
(彼らの卒業時の学術水準は、現在で言えば大学の博士号取得に相当します)
>>敏捷力+1(10CP)
>>魔法の素質L1(15CP)
>>訓練/盗賊系技能全て(5CP)
→盗賊系技能全てに技能レベル+1
>>軍人階級L1(5CP)
>>呪文修得方式/教会密偵(5CP)
(呪文修得方式/教会術密偵を選択するのなら+5CP)
>>武器の支給(2CP)
→1000$相当までの武器が初期所持品に加えられる
>>腕輪の拘束(-20CP)
>>使命/ほぼいつも、命の危険あり(-15CP)
>>秘密/自分が密偵であること(-5CP)
→対象は一般人に対してのみ、教会の関係者に対しては開示されている(-50%)
>>腕輪は幻覚で隠されている(0CP)
・必修技能
<礼儀作法/教会>(1CP)、<教会共通語>(1CP)、<鍵開け>、<罠>
・推奨技能
<水泳>、<軽業>、上述した以外の盗賊系技能全般
教会騎士が正教会の表の顔の体現者であるとすれば、正教会の裏の顔を代表するのはこの教会密偵です。
彼らは使用できるあらゆる手段を尽くして情報を集め、裏を取り、時にはそれを覆い隠します。また、裏社会の組織との折衝を担当するのも密偵です。
表に出ることの少ない彼らですが、騎士と共に事件の解決に当たる事もしばしばあります。
(現在で言えばCIA等の諜報機関の持つ役割を担う存在です)
>>魔法の素質L1(15CP)
>>聖職者(5CP)
>>医術訓練(5CP)
→医学系技能のレベルに+1
>>呪文修得方式/教会医師(10CP)
>>地位L1(5CP)
>>腕輪の拘束(-20CP)
>>使命/ほぼいつも/危険なし(-10CP)
>>腕輪により正体が明らかである(-1CP)
・必修技能
<礼儀作法/教会>(1CP)、<教会共通語>(1CP)、医学系技能全て(1CP)、
<動植物知識>、《大治癒》
教会医師は、魔法による医療を扱う者達です。後述する教会術師とは異なる組織で訓練され、魔法と医療、そしてそれらに関連する様々な知識を身につけることになります。訓練は極めて効率的に行われるため、彼らはスムーズに医療に関わる技術と知識を学ぶ事が出来ます。
医師となるには勿論、それなりの知性と魔法の素質が要求されますが、それ以上に求められるのは人の命に対する真摯な姿勢です。他の誰よりも命の重みを噛み締めることの出来る、強靭な理想と意志を持つ人物で無ければ、医師となる為の過酷な訓練と凄惨な現実には耐え切れません。
軍人階級 | 階級名 | 地位 | (教父) | (騎士) | (術師) |
8 | 大教会長 | 7 | 大教会長 | ―― | ―― |
7 | 五大騎士長 | 6 | 最高司祭 | 五大騎士長 | 五大教示長 |
6 | 聖騎士長 | 5 | 高司祭長 | 聖騎士長 | 教示長 |
5 | 聖騎士 | 4 | 高司祭 | 聖騎士 | 教示者 |
4 | 大騎士長 | 3 | 司祭長 | 大騎士長 | 聖霊術師 |
3 | 大騎士 | 2 | 司祭 | 大騎士 | 神聖術師 |
2 | 騎士長 | 1 | 教父 | 騎士長 | 術師長 |
1 | 騎士 | 0 | 神父 | 騎士 | 術師 |
祭事を執り行い、豊作の呪文を作物に掛け、村の治安を守り、目に余る地主の行為を断罪する存在である教会は、都市から離れた村落に住む農民達には欠かせないもの、心の拠り所となっています。農民は教会と教会の聖職者に対して、素直な好意を示すでしょう。
自分達の安全を守り、信用の置ける存在であることから、都市に住む人間は教会に対してそれなりの好意ある反応を示します。然し、厳格な教会の教義や、秘密めいた内部構造について、彼らは少なからぬ息苦しさも同時に感じていることでしょう。
職人は特に教会に対して好意的です。彼らが使う道具の中には魔化された物品も多く、それなしでは作業の効率や精度が落ちてしまうためです。然しやはり、素直な好意ではありません。
秩序の維持の名の下に、取引にすら目を光らせる教会に対して、彼らは決して好意を向ける事は無く、むしろ敵意に満ちた感情を抱いているのが普通です。然し、彼らはそれを顔に出すことは決してしないでしょうし、金が絡むとなれば教会相手にも喜んで商売を行うでしょう。
法を乗り越えた行為に手を染めている彼らにとって、教会という存在は敵以外の何物でもありません。彼等は可能な限り教会の目から逃れようとするでしょうし、協力する事も先ず有り得ません。然しまた、彼等は露骨に教会を敵に回すような行為を堂々と行うような事はしないでしょう。
教会は邪魔な存在ではあるものの、上手く利用すれば有用な組織であるという立場を取ります。彼らにとっては教会は一つの巨大な組織であり、それを自分はどう利用すべきか、或いは利害の一致を見るにはどうすべきかを常に考え、そして時には実行に移していることでしょう。
教会にかつて所属していながら、拘束の腕輪を手ごと切り離し、教会に反目しようとする者達が統率する組織です。片手を失ったかつての聖職者と、彼らに協力する者から構成されます。
この組織を統率する者達は、教会に対する何らかの強烈な感情、また/ないしは教義に対する深い考察と否定を持って教会から離れていった者が殆どです。想像を絶する苦痛を飲み込んでまで教会に背を向けた彼らの信念は強く、教会とは決して相容れない存在となっていることでしょう。
教会と源流を同じくする教団であり、また現在では教会により一方的に神敵として攻撃されている存在でもあります。彼らは生命は円環であると唱え、その滑らかな循環の為に死者の霊魂の速やかな救済が必要であると説きます。
その方法が教会の教義に馴染まないこと、また霊魂に関わる呪文に触れるうちに堕落する聖職者が多いこと(邪神であるディーダと繋がっているから堕ち易いのだと説かれます)、この二つを理由に教会は彼らを敵と見做しています。そして、教会に害を為すのはその堕落した足音の聖職者達です。
一般に言われる「盗賊ギルド」に相当する組織です。非合法な活動全般を取り仕切り、その為の情報を集め、人員を育成し、そして様々な裏の仕事を斡旋します。
秩序の維持を掲げ非合法な活動に強い嫌悪感を示す正教会とは立場上強く対立していながらも、実際には自分達の利益を侵害するもので無い限りは協力する事もあるようです。正教会の中には、裏社会に秩序をもたらすこの組織の存在をむしろ肯定的に見なす一派さえあります。
教会の更なる発展のために、常識的に考えれば明らかに異常な行為を行う者達です。腕輪の拘束は本人が心から教会の為に、飽くまでも教義に則った行為であると信じ込んでいるために作用する事は無く、その為には教義の拡大解釈をも辞することはありません。彼らは時に恐ろしい行いに手を染めます。
教会が勢力を伸ばす中、組織的な弾圧により衰退、或いは消滅を余儀なくされた他の宗教勢力も少なからず存在します。そして彼らは教会に対して決して好意的な反応を示すことはありません。常に覇権を奪い返す機会を虎視眈々と狙っていることでしょう。
教会が勢力を伸ばすことにより不利益を被っているのは、何も他の教団だけではありません。国家もまた、少なからぬ損害を教会により受けているはずです。
教会の影響力は多岐に渡り、そしてその機能の中には本来国家が司るべき機能も幾つかある事でしょう。そうした面が火種となって、国家と教会という二つの大きな組織が対立することは十二分に考えられます。そして恐らく、既にそうした状況は発生しているはずです。
イフェリア教団(精霊教団)では、自然界の全現象を精霊の現れであると解釈します。
彼らが敬うのは精霊であり、その中でも特に三大精霊と言われるものが特別視されます。水のイフェリア、土のゼルベス、風のフェルマントがその三大精霊であり、それぞれ「液体」「固体」「気体」を象徴します。また、水は容易に固体(氷)にも気体(水蒸気)にもなることから特別視され、最高位の精霊の主体であるとされており、教団の名前にもその精霊の名が使われています。
三大精霊の下には五大精霊がおり、火と熱のガゼル、灰と冷気のカリス、光と闇のフィルマータ、命と心のトリザ、音と言語のエグジールが三大精霊と現実の橋渡しをしているとしています。
信徒は精霊を敬うという目的のために、自然に存在するものを出来る限り傷つけないようにして生活を送ります。精霊が作り出したものを無闇に傷つける行為は罪深いものであり、精霊の怒りに触れる行いです。従って、物や生き物を正当な理由無く傷つけたり、人の心を徒に傷つけるような行為は忌避されるべきであるとしています。(やはり教義は指針でしかないと捉える勢力と、教義をそのまま生活に当てはめる勢力が混在します。
神官には精霊の力を理解し、その協力を仰ぐという思想の元で魔法の教育も施されます。内容は多岐に渡り、その奥義の多くを知る者は極一握りに過ぎません。
何人かの神官、それに神官と生活を共にする者達は一緒になって、「謁見所」と呼ばれる素朴な建物の中に住んでいます。その場所が信者達の憩いの場となり、信仰の場となるのです。
また、教団の祭事は殆どが謁見所で行われます。祭りの時期が来ると、信者や野次馬で謁見所とその周辺がごった返すといった光景は珍しくありません。
神官、取り分け命と心の精霊トリザに仕える神官は、癒しの魔法に長けます。その力を持って、傷や病を抱えている人々に希望を与える事も彼らの役目です。
>>聖職者(5CP)
>>魔法の素質L1(15CP)
>>呪文修得方式/精霊教団神官(10CP)
>>地位L0〜L6(0〜30CP)
>>精霊教団神官の信義(-10CP)
正教会の創始者シェール=フェルムの双子の姉、シェリル=フェルムによって始められた教団です。正教会と同様に「リフィリアの声」を聖典とし、リフィリアから分かれたリーヴァとディーダの二柱の神を設定する所も同様です。
「死者の足音」と言うのは、正教会がシェリル=フェルム教会そのもの、或いはそこに属する者を呼ぶ時の蔑称です。死者をこの世へと蘇らせ、漂う霊魂と心を通わせ、時に街で暴走する死霊使いの姿を見て付けられたものです。(以下、シェリル=フェルム教会を「足音」と略記する事にします。)
足音では、二柱の神の各側面のうち、生/秩序と死/混沌という部分を強調します。リーヴァとディーダは相対立するものでは無く、リーヴァが誕生を、ディーダが還元を担う、万物の循環「大いなる円環」の一部を成しているとします。「大いなる円環」は神そのものであり、リフィリアが分裂したと同時に生まれ、世界に存在するあらゆる存在の根源です。
秩序による創造、混沌による破壊は万物の宿命であり、従って物が壊れ、人が死に逝くのは必然であり、必要でもあります。よって、欲望や生存への強すぎる執着は意味の無いもの、虚しいものです。救いはその現実を正視し、受け止め、清らかに生きる事による理由の無い「自己の肯定」から生まれるとされます。
前述した通り、シェリルによれば生あるものの死は避ける事の出来ない宿命です。然し生命そのものは消えることなく、大いなる円環に戻り、その中で様々なものと混ざり合いながら、再びこの世界へと舞い戻る時を待つ事になります。従って、あらゆるものはこの意味で「不滅」であると捉えられています。
足音は正教会との深刻な対立のため、現在はレオフィの奥地(奥レオフィ)にのみ存在します。死霊使い達は此処で生まれ、育ち、そして全世界へ向けて旅立っていくのです。その為の秘密の道が幾つも用意されており、彼らは巧みに正教会の監視をすり抜けて外の世界へと羽ばたきます。
足音には、死霊使いと呼ばれる特殊な神官がいます。彼らの役目は、死して尚この世に留まり、大いなる円環へと戻れない、或いは戻ろうとしない死者の霊魂を慰め、癒し、大いなる円環へと送り出す事です。強過ぎる想い、魔法による呪い、意図されざる世界の歪み、魂がこの世に捉えられてしまう理由は様々ですが、死霊使い達は何としてもそうした霊を円環へと送り出さねばなりません。
この世に死後も魂が留まり続けると、万物の循環に「瘤」が出来てしまいます。「瘤」は循環の流れを遮り、自分だけではなく周囲の存在の循環すら滞らせます。従って、「瘤」が増えすぎれば循環は滞り、世界は崩壊へと向かいます。それを防ぐために、彼らは鍛錬を積み、そして彷徨える魂を救う旅に出るのです。
奥レオフィにのみ立てられる足音の教会の持つ機能の中で、宗教組織としての最も重要なものです。信者が祈りを捧げ、儀式の後には談笑する場となって、地域の人間関係を支えています。
足音の魔法は、正教会のそれに次ぐ水準まで発達しています。魔化技術や、即興呪文と言った特殊な技術が足音にも存在するのは、それらが既にシェフィールの段階である程度構想されており、シェールとシェリルが異なる道を歩み始めた頃には既に実用段階に入っていたためです。
魔法を用いた治療は、足音でも行われています。正教会や精霊教団のそれと比べれば規模の小さいものですが、然し重体の人間の命を救う方法としての重要性は変わりありません。
>>魔法の素質L1(15CP)
>>聖職者(5CP)
>>呪文修得方式/シェリル=フェルム教会(15CP)
>>死霊使いの義務(-15CP)
>>秘密/死霊使いである/ばれれば死(-15CP)
(奥レオフィでは開示してよい、協力者が各地に点在する、合計-50%)
>>魔法の素質L3(35CP)
>>聖職者(5CP)
>>呪文知識(15CP)
>>呪文修得方式/シェリル=フェルム教会(15CP)
>>体力-1、生命力-1(-20CP)
>>使命/ほぼいつも/命の危険無し(-10CP)
「暗がりを歩く者」と言うのは、全世界的な「非合法な活動を行う者」により結成される裏社会の組織です。(世間一般に言われる「盗賊ギルド」と同じような存在であると考えて差し支えありませんが、それよりも広い活動範囲を持ちます。)
「暗がり」を構成しているのは、何も泥棒だけではありません。巧みに違法な物品を取り扱う商人、どんな危険な依頼だろうと受ける用心棒、それに貧民街の子供達もこの組織に名を連ねています。とは言え、盗賊が最も多いのは確かであり、盗賊を軸として組織が運営されているのも間違いではありません。
「暗がり」の機能は、そうした裏社会の人間たちの統制保護、それに彼らの仕事の補助です。必要な(そして一般人は触れることさえ無いであろう)技術を教授し、人材を育てると同時に、情報を交換する場となり、必要な物資を揃える場となって、そして同時に構成員の暴走を事が大きくならないうちに食い止めるのです。
彼らは決して根底から邪悪な存在ではありません。「一般人とは生き方が少し異なっているだけの人々」です。人を傷つけたり、殺したりして快楽を得るような人間は、組織によって処分されます。
「暗がり」の構成員は、「盟約」という掟を守ることを義務付けられています。これを乗り越えた者には、組織によって厳罰が下されます。また、そうした者に対処する為の特殊な人員も備えられています。
盟約の内容は以下の通りです。
「暗がり」は構成員を使って、日夜あらゆる情報を収集します。その収集した情報は、「暗がり」の構成員には無料で公開されますが、部外者がそれを手に入れようとすれば高い金を払う必要があります。然しながら、「暗がり」の構成員が、構成員では無い共に行動する仲間に必要最低限の情報を教える事は許されています。
貧民街に生まれた子供は、常に命の危険と隣り合わせの生活を送っています。そうした子供を保護し、構成員として教育する事も「暗がり」の機能の一つです。
一見、犯罪が横行し荒み切っているように見える貧民街ですが、其処でも最低限の治安は維持されています。それを担っているのが「暗がり」であり、目に余る行為に手を染めるものに対しては容赦ない対応で望みます。然し、一般市街に比べればやはり犯罪(と、思えるような行為)が多いのは確かであり、飽くまでも最低限の秩序でしかありません。
>>盗賊系技能の訓練(5CP)
(盗賊系技能の技能レベルに+1)
>>呪文修得方式/盗賊(5CP)
>>暗がりを歩く者に所属している(10CP)
>>盟約(0CP)
(一般人とは異なる法体系の中に暮らしている)
>>使命/時々/命の危険あり(-5CP)
>>地位L-1(-5CP)
教義上、正教会にとって精霊教団が信仰の対象としている精霊とは、原初の神リフィリアが創造した世界の一部に過ぎず、ともすれば人が人為的に作り出しうるだけの存在である可能性すらある、神秘性の薄い要素に過ぎません。正教会から見れば、精霊教団の人間がそのような精霊を信仰している事自体が理解に苦しむ事であり、自分達の神こそ絶対の存在であると信じて疑うことはありません。
然しながら、既に全世界に十分に勢力を伸ばし終えた正教会の内部では、こうしたかつての鋭利な見方を前面に押し出すことは控え、相手との対立を避けるように努める思考を持つ人間が大半を占めてもいます。相手の観点を尊重すべしと考える人間も現れ始め、かつての攻撃色は和らいでいます。
精霊教団にとって、正教会の信仰するリフィリアは誇張された生命の精霊トリザに他ならず、その娘らであるリーヴァ・ディーダはトリザの正の側面と負の側面を強調したものに過ぎません。精霊教団は、正教会に対して一部の精霊のみを信仰し全体を見渡す事の無い偏屈な人間の集まりであるとして、その教えも小さなものと見なし、取るに足らない存在であると断じます。
然し、正教会が急速に勢力を伸ばす中で伝統的な信仰を守ってきた精霊教団の地位も脅かされ始め、今では正教会と表立った対立を避ける方向に全体が動いています。少なくとも、面と向かって正教会を否定するような言動を取ることは無いでしょう。信者の思考も、正教会の思想に理解を示す者が現れ始める程に柔軟になっています。
正教会は、死した者の魂に人が手を出し弄ぶのは死者への冒涜であり、秩序の崩壊を黙認するどころか肯定する教義は許し難いとして、足音を強く攻撃しています。また、邪心であるディーダをリーヴァと対等の立場に置く事も、正教会からは忌み嫌われる理由の一つとなっています。
こうした正教会の認識は、勿論足音の教義自体を自分達の教義から見た時の思考も含まれてはいます。然し、足音の神官には堕落し人々に危害を加える者も多く、そうした者達の姿も色濃く反映されています。
然しながら、正教会大教会長は何故か足音を滅ぼそうとはして来ませんでしたし、現在もしようとはしていません。血気に逸る部下を常になだめる立場を取っています。このことと地形的、戦力的に非常に奥レオフィは攻め辛いのも相まって、正教会が足音を完全に滅ぼすには至っていません。
正教会が足音に対して向けるようなの敵意を、足音は正教会に対して示しません。むしろ足音は、シェフィールの時代に戻るべく互いの融和を夢見ています。然しその時はまだまだ訪れそうにはありません。
足音は正教会の教義に対して、秩序の維持という点では同意しうるものの、循環と、万物の崩壊と言う欠かせない要素が抜けている事を指摘します。即ち、身の回りを振り返れば、あらゆるものが生成し、そしてまた壊れていくという現実を無視しているとして、正教会が目指す絶対の秩序を批判の対象とするのです。然し、正教会が行うようなに全否定で望むのでは無く、常に一定の理解を併せ持っています。