プラタナスの木は、西南アジア原産である。その花言葉は「完全」である、という。ところが、人間というシロモノは、なかなか、その言葉どおりに「完全」なようにはいかない。
また、つい先日(?)までのローマ教皇のように「無謬」というわけにはいかないものである。
「ローマ」と「プラタナス」を引き合いにしたのには、理由がある。欧州のある大作家は、古代ローマを舞台とした際、ある街道に「プラタナス」を描写した。……うんうん、今でもローマの街路はプラタナスが……少し待て??
「プラタナスの木は、当時、植えられていませんでした」いっぽう、プラタナスを調べると
古代ローマ(紀元前)には、既に植えられていたと書いてある。どちらが正しい?
こうなると、アナクロニズムという言葉は、単に「時代錯誤」と言ってしまうには惜しい何かがある。多少のズレであれば「錯時」とか言ってしまって良いのではなかろうか、とも思う(本来の「錯」の字義は「錯覚」ではなく、ヤスリである。すなわち、ごりごりヤスリで時間を削るw)(ちなみにアナで「逆に」、クロニで「時間」、イズムは例のやつ)↓致命的なものを除けば。
表ページ蔵書表所収の小説「不在の騎士」の錯時は、致命的である。「シャルルマーニュは(中略)テーブルについていた。(中略)パンやらチーズやら(中略)ピーマンとか(中略)摘まみ食いを(後略)」この文章を目にした瞬間、私の読書欲は失われた。金輪際、続きを読みたくなくなったのである。
問題となるのは「シャルルマーニュ」なる人物である。「中世騎士たちの皇帝」という記述から勘案すると、カロリング朝フランク王国の「シャルル大帝(フランス読みでマーニュ)」のことに相違ない。西暦768年生まれ、没年814年。なお、公式的な記録によれば、ピーマン・唐辛子の類は、大航海時代にポルトガル人が欧州に持ち込んだとされている。大航海時代といえば、1492年の「コロンブスが青い海に出帆した」年の後である。……少々無理があるのではないか? それとも何か、ローマ皇帝ハドリアヌスはブリタニアに行ったついでに南米まで行って持ち帰ったピーマンをローマで栽培していたとでも言うのか? ぢつは(史実においても)コロンブス以前にヴァイキングたちは北米に到達していたと見られる。そのヴァイキングたちがすでにピーマンとかジャガイモとかをスカンジナヴィアに持ち帰って栽培していたとでも言いたいのか?
筋立ての粗さとい、最後の夢オチ(しかもオチきっていない!)といい、まるで中学生・高校生が授業中に書いた小説(もどき)のようだ。1959年のイタリアという貧しい(?)状況を考慮したとしても、とてもではないが、37歳青年元レジスタンスの書いたとは思えない幼稚な作品である。
さて、多少は笑える錯時で、このページを締めくくるとしよう。
とある少女漫画家は、三国志の舞台と登場人物を借りた、男色少女漫画を描いている(!)。
しかも、なんと、諸葛孔明が曹操と恋仲になるというのである(!!)。その少女漫画家は諸葛孔明の熱狂的ファンというが、あまりの破天荒ぶりに、錯時の指摘も忘れてしまうほどである。
その漫画で諸葛孔明の畑で栽培しているのは……何と、トマト!!(やはりアメリカ原産である!) 「赤茄子」などとヘタな小細工してくれなかっただけ、幸いである。全体のトーンが「錯時なんのその」と暴走しているからこそ、笑ってすませたものかもしれないが。いずれにせよ、「不在の騎士」作者のイタル・カルヴィーノは、降格である。
ホトケの顔も三度まで