要するに
「氏んだらあの世(楽園)」に行きたいというのが楽園願望というシロモノである
「チョコレートパフェ浄土」という秀逸な短編小説がある。氏ぬ間際で、とある男性が何故か「チョコレートパフェを食べたい」と念じながら彼岸へと旅立った。
すると……水を飲んでも酒を飲んでも何を食べても「チョコレートパフェの味がする」という……。
すげーディサトピアだなwと思ったものである。「楽園願望」を逆手に取ったところが、佳であった。
通常、「楽園願望」は、「現在何を苦痛としているか」「どうすれば自身が幸せと感じるか」を示すバロメータとなっており、それを知る・聞く・伺うことはより良い心の平衡を保つキーワードにもなりうる。
そういう意味では、「オバQ」等の著者・藤子氏の「楽園感」は、より深い洞察が伺える。
「なくなったかたは、みな、ここ(天国)にいますよ」ふむ……。だが、今ひとつ、説得力が足りないのではないか。
(それでは過密状態になるのではという反論に)「でも天国の広さには限りがないんですって」
ここで詳細を上梓してみる(要するに「重箱の隅をつついてみる」)のは、浅田次郎著「椿山係長の七日間」である。
椿山係長は、突然くも膜下出血で、彼岸へと旅立つ。
出会う亡者の多くに「何か気持ちがいいね」とか「あら、(腹水で出ていた)おなかがすっきり」などと言われ、快適感・病気の平癒が示唆されている。……少し待て。何か忘れてないかい?
小説を読みすすめると、主人公の椿山係長、冥土のお役所に到着する。で、手続きを経て五戒を踏み外していない善人は、そのまま4番エスカレータに乗って昇天する……ふーーーん。柳田理科雄センセが聞けば、「エスカレータに必要なエネルギー」とか計算しそうだなw。
さらに読みすすめると、椿山係長、自らの「邪淫の罪」を認め、反省したのか、とにかく極楽往生される。傍らには、脇役の子供と、戦災孤児老人が一人ずつ……。
極楽浄土到着時、脇役子供、「おじいちゃんとおばあちゃんだ」というなり駆け寄ろうとする(ちなみに脇役子供の死因は前方不注意?による交通事故)。「危ないよ」と椿山係長。……いったい、なにが?
脇役子供は「へいき、へいき」と駆け出す。……だから、いったい、なにが?
ちなみに椿山係長(愛称「カァ坊」)を迎えたのは、彼のご母堂だった。
「カァ坊、ここよ」そもそも「ここよ」と示す必要があるのか?……いや、小説全編とおしてカァ坊は、あっちへふらふら、こっちへふらふら、サラ金CMの注意書きをよく読めといいたくなる人生を送っておられたが(オレもか)。だから「ここよ」と示したのか、到着時に?
「カァ坊」については、まあ、強引に納得しておこう。問題は、戦災孤児老人「五郎」氏を迎える父上である。なんと、ムチでピシパシどつきながら、馬に乗って迎えにきた!
それは馬にとっての地獄ではないのか?古いアネクドート(ジョーク)が思い起こされる。
ある亡者、神様に、天国も地獄も両方見てから行き先を決めたいという(うん実証主義的w)。うん、イイ線いっている。が、一つ、足りないね。
神様、老人の上にブリジット・バルドー(昔の性的シンボルw)の乗ったところを示す。
「どちらですか?」
神様こたえていわく、「老人にとっては天国、ブリジット・バルドーにとっては地獄じゃよ」
最後に、小説「ワンダフルライフ」の例をあげておこう。このお話(映画にもなった)、少し「楽園感」が変わっている。というのは、「楽園そのものの描写はない」のである。
死者は、一時的に学校みたいな場所(廃校のロケだからしかたないw)に集まる。で、一週間の間に、死者は「アチラ側」に持っていきたい思い出を一つだけ選ぶ。冥土のスタッフが総力をあげて、その思い出の再現シーンの映画を作製する(!)。で、その映画を見終わると、故人は「アチラ側」へと消えてなくなる……。
この作品の秀逸なところは、私が再三「足りない」といっていたことに少し迫ってくれているからである。
この作品には、認知症患者(もちろん俳優の演技)が登場する。で、この作品のスタンスでは、「認知症は冥土でも認知症」である。当然、スタッフ、困惑する。そもそも、自分がどうなっているのかわからない状態の者に、「浄土に持っていく自らの思い出を一つだけ選べ」といって、できるのか?
詳細は書かないが、「多分成功」した。
で、私の非常に疑問に思っていることの輪郭が、わかろうか。
すなわち。
死後の世界はともかく、極楽浄土については「ありえない」という結論に至るのであるが。
気を取り直して、上記の作品例における「浄土」パターンで私の「彼岸到着」シミュレーションをして締めくくるとしよう。
チョコレートパフェ浄土パターン:私が「今わの際に強く願う」可能性のある飲料・食物は、ギリシャ焼酎のウゾが考えられる。ところが、ウゾ自体の匂いが強烈なため、ウゾを飲んだ後は何を飲んでもウゾの匂い・味がする。……つまり、生前からチョコレートパフェ浄土ならぬ「ウゾ浄土」である。少々不便ではあるが、「チョコレートパフェ」ほど悲惨な形にならないのではないか、と推測する。
小説「ワンダフルライフ」パターン:「何か思い出を一つだけ選べ」……究極の選択ですなぁ。どこぞの夕暮れ、どこぞの星空……。うん。冥土スタッフの困惑するパターンでいこう。中学生のときの水泳大会。年齢らしからぬナイスバディなコが一人いた。スク水姿のそのコだ。……それは、普通な「思い出」と思いきや。写真もない状態で、そのコは、相当美化されているぞw。映画の俳優選びでオーディションさせまくって、「ぜーんぜん、ダメ使えない!」と思いっきりダメだししてやろうか(笑)。
あのスタッフたち、極悪外道なSM・AVでも撮影するぐらいの気構えがあったのだろうかw
「椿山係長」パターン:邪淫なり何なりしてても、とにかく「反省」さえすればエスカレータ乗れるから……。
で、たぶん、エスカレータ乗ってて空が桃色になりだした時分に「…………あ!」と「やり残したこと」に気づく。でも、急速に「悲しみが去っていく」状態のエレベータだから「ま、いっかぁ」と気を取り直して、かんかんかん……とエレベータを歩いて昇りだす。
さあ、彼岸到着。だれが迎えにくるとか書いてソーシャルハッキングの手伝いするギリもないが。
(たぶん私が見つけて)「ども、お待たせしました〜」とお迎え(複数人)。
「早かったのね」「そんなに急がなくてもよかったのに」