Trois veritables Preludes flosques Op91 悟浄編




 ごく自然なことが、ある瞬間難しくなる。
 今まで何も考えずに出来ていたのに、考えてしまうと出来なくなる。
 考えれば考えるほど、泥沼の中で藻掻いているようだ。
 どんどんと沈んでいくだけ。
 そんな時…どうしたらいいのだろう。


 その日は特にすることもなく、今でぼんやりとしていた。
 昼食も済み、窓の外を眺めながら煙草をふかす。
 八戒は台所で昼食の片付けをしているはずだ。
 そんな八戒の足音が近付いてくる。
 片付けが終わったのかと思ったが、そうではないらしい。
 何やら悲しそうな顔で俯いている。
「……悟浄…すみません……」
 八戒は小さな声でそう言うと震える手を差し出す。
 その手の上にはカップの破片が乗っている。
 ……そのカップには見覚えがある。
 いや、見覚えがあるどころの問題じゃない。
 ついさっき昼食に使っていた俺のカップだ。

 八戒が斜陽殿から戻ってきて、また一緒に暮らそうってことになったとき、八戒と二人で街に生活で必要な物を買いに行った。
 その時、ふと立ち止まった雑貨屋でそのカップを見つけた。
シンプルなデザインだけど何故か惹かれた。
 八戒に似合いそうだなって思った。
『これ、お前に買ってやるよ。同居祝い』
 だから八戒にそう言った。
 そうしたら八戒が凄く幸せそうに笑って…それだけで俺もかなり嬉しかった。
『じゃあ、僕もこれを貴方に買いますね』
 そう言って八戒はそのカップの隣のお揃いのカップを手に取った。
 二人で贈り合ったカップ…。
 それからいつでも一緒にお茶するときは必ずそのカップを使ってた。
 そんな気がする。
 そんな特別なカップだった。

 それが今、目の前で形を変えていた。
 もうカップとはいえない物。
 はっきり言ってかなりショックだった。
 なんか、胸が痛いって感じだ。
 でも、それよりも…今にも泣き出しそうな八戒を見ている方が胸が痛くなる。
 きっと今、かなり自分で自分を責めているのだろう。
 後悔だけを重ねて…。
 そんな八戒を見ているのは辛い。
 だから俺は無理に笑顔を作っていった。
「いーって、そんなの気にするなよ」
 壊れてしまった物は…もう仕方がない。
 だからそう言った。
 でも、その瞬間、八戒が辛そうに俯く。
「……八戒?」
 俺は八戒の様子をうかがうように、そう小さな声で呼ぶ。
 でも八戒は、何も答えずに部屋を走るように出ていく。
「おい…八戒……」
 まぁ、大切なカップを割ってしまったのだから、かなりショックなんだろう。
 かなり思い入れのあるカップだ…仕方がない。
 俺もなんだか胸にぽっかり穴があいてしまったかのような気持ちだ。
 初めての八戒からのプレゼント…だったからな。
 それに、もうあのカップはお揃いではなくなってしまったのだ。

 でも、俺はその後、とんでもない物を見てしまうことになった…。

 壊れてしまったとはいえ、思い出のカップだ。
 そのまま捨てるのは嫌だったから、もう使えはしないけど、せめて破片を集めてボンドか何かでくっつけて飾っておこう…。
 そう思って台所のゴミ箱を覗き込む。
「…………」
 そこにあったのは…二つ分のカップの破片。
 二つとも割れてしまった?
 いや、さっき八戒が持ってきたのは俺の方のカップ一つ分の破片だった。
 もう一つ分の破片は八戒のカップの…?
 それは俺のカップに比べて破片が小さい。
 普通落としたくらいではこんなに粉々に砕けたりしない。
 力いっぱい床に叩き付ければ別だが…。
 ………ということは?
近くの床を見れば何かをぶつけたような跡…。
 そして、その横に落ちている拾い忘れたカップの破片。
「どういうことだよ…」

 ─── その時から二人の歯車は狂い始めた…。


 何の会話もない食卓。
 いつもなら八戒に『行儀が悪いですよ』って言われても、それでも話したいことが山ほどあった。
 でも今日はそんな気にはならない。
 昼間のあのことが気にかかる。
 そのことを考えながら箸を動かすが食が進まない。
 八戒の料理はいつもと同じように美味い。
 でも、今は食べる気が起こらない。
 なんかイライラする…。
「今日は何時に帰ってくるのですか?」
「さぁ、帰ってこねーかもしんねぇ」
 イライラする気持ちのまま、ついそう言ってしまった。
 言い終えてから少し反省する。
 …そういう言い方はねぇだろう。
 後悔しても一度唇を離れた言葉はもう戻ってこない。
 今の一言を八戒は気にするかもしれねぇ…。
 だから慌ててフォローの一言を入れようとする。
「じゃあ、戸締まりしておきますから鍵持って行ってくださいね」
 しかし、フォローよりも先に八戒がそう言う。
 ………何だよ、ソレ。
 思わず怒鳴ってしまいそうになる気持ちを抑え、上着を取り立ち上がる。
「あぁ…じゃあ、出掛けてくる…」
 これ以上八戒と話していて、怒鳴らない自信はなかった。
 だから、まだ食事の途中だったが部屋を出る。
 こんな気持ちのまま居たくはなかったが、これ以上話したくない…。
「…んだよっ」
 どこにもぶつけられなかった怒りを込めて、木に拳を叩き付ける。
 木が揺れて、何枚か葉が地面に落ちた。
 自分の拳を見ると、真っ赤に腫れ上がっていた。
 でも、もうそんなことどうでも良かった。


「悟浄、珍しいな。まだ帰んねーの?」
「あぁ…」
 時計を見れば、いつもならとっくに帰っている時間を指していた。
 そんな時間だとわかっても、動く気にはなれなかった。
「悟浄、帰らないなら、今日ウチに泊まらない?」
「今日はそんな気になんねーからまたな」
 俺にまとわりつく女を軽くあしらう。
 いつもならもう少し優しい言い回しをするけど、今日はそんな気にもなれない。
 女の存在が鬱陶しく感じられる。
「なによ…今日の悟浄、変よ…」
 変…?確かにそうかもな。
 早くから酒場に着たのにこんな時間までただ一人で杯を傾けるだけ。
 女を引っ掛ける気にも賭をする気にもならない。
 ただ頭の中で一つのことだけが気にかかっている。
 ……あのカップのことが。
 割れていた二つ目のカップ…。
 いや…『割られていた』八戒のカップ。
 誰が…?八戒が…?
 八戒以外には考えられない。
 なんでだよ…。
 あのカップ買ってやった時に、あんなに喜んでいたのに。
 大切にしますって言ったのに。
 それなのに何で…?
 お前にとって俺の贈ったカップなんてそんなもんだったのかよ。
「………」
 そんな物…。
 俺ははっとする。
 『そんな物』…それは俺が八戒に言った言葉じゃ…。

『そんなの気にするなよ』

 それは八戒のためを思って言ったことだった。
 でも、八戒はそれをどう受け取ったのだろう。
 俺がそういったあとの八戒は…傷ついた顔をしていたのではなかったか?
「やべ……」
 俺は慌てて席を立つ。
「悟浄、帰るの?」
「あぁ、またな」
 短くそう言い酒場を出る。
 そして早足で家に向かう。
 絶対八戒を傷つけた。
 …早く謝らなくては。
 頭の中から悲しそうな八戒の姿が離れない。
 …俺が八戒のくれたカップを『そんな物』って言ったから八戒は自分のカップを割った。
 たぶん間違いない。
 それほどに八戒は傷ついたんだ…。

 家には灯りがつけられていなかった。
 もうかなり夜更けだ。八戒はもう寝てしまったのだろう。
「……………」
 水を飲もうと台所に行ったとき、流しの横のゴミ箱が視界に入る。
 そこには溢れそうなくらいに大量の残飯。
 ……俺が今日残した夕飯だ。
 そして、その上に捨てられている見覚えのない料理は…俺への夜食?
 八戒は俺のことを待っていたんだ…夜食まで作って…。
 それなのに俺は…。
 八戒はどんな気持ちでこの料理を捨てたのだろう。
 俺はバカだ…。
 どれだけ八戒を傷つければ気が済むのだろう。


 自分にしては早い時間に目が覚めた。
 八戒のことが気になってあまり眠れなかった。
「…どーしたもんかねぇ」
 どーしたもこーしたもない…八戒のことを傷つけてしまったのだから。
「謝るしかねぇよな」
 そう、謝らなくては…。
 八戒に怒られても…殴られても…赦してくれるまで謝らなくてはいけないのだ。
 土下座してでも…ってくらいに。
 簡単に身支度をして部屋を出ると、台所から良い香りが漂ってくる。
 八戒が朝食を作っているんだ。
 八戒がそこにいて、俺のために御飯を作ってるって思うとそれだけで俺の顔のに笑みが浮かぶ。
 やっぱり…俺は八戒のことが好きなんだなって実感する。
「八戒、おはよ」
 俺は笑顔で八戒にそう言う。
 八戒が俺の声に振り向く。
「おはよう…ございます」
 そこにいつもの笑顔はなかった。
 笑顔は笑顔なんだけど、自然な物ではなく無理して作った笑顔。
 ……でも、まぁ仕方がない。
 昨日あんな事があったんだから。
 そう…謝らなくちゃいけないんだ。
「八戒、元気ねぇじゃん。どしたの?」
「いえ…」
 無理をして笑う八戒が痛々しく思えた。
 …何と言い出したらいいのだろう。
 なんだかタイミングが掴めなくて俺は必死に明るく振る舞う。
「もう御飯出来ますから、座っていてください」
 八戒が少しでも本当の笑顔を見せてくれたら…言える。
 そんな気がした。
 だから八戒が笑ってくれるように俺は過剰なほどに笑顔を見せる。
 それでも、なんだか八戒が違うように感じられた。
 席について待つ気にもなれず、一歩だけ下がってオムレツを焼く八戒を見る。
 綺麗な手が器用にオムレツを作り上げていく。
 俺の好きなベーコンとポテトのオムレツだ。
「…出来ましたよ」
「ベーコンとポテトのオムレツじゃん」
 そういって皿を受け取ろうとした俺の手が八戒の手に触れる。
 その瞬間、オムレツの皿が床へと落下して砕ける。
 ………八戒?
「あ…すみません……」
 今、俺の手が触れた瞬間…避けなかったか?
 気のせい?いや……。
「八戒?熱でもあるのか?」
 俺が八戒の額に手を伸ばすと八戒はビクッと震え、身を固くする。
 ……脅えている?
「体調悪いなら休んでろよ。ここは俺が片付けておくからさ」
「すみません…僕、部屋に戻ってますね……」
 八戒はエプロンをはずすと逃げるように部屋を出ていく。
 気のせいなんかじゃない…。
 八戒は俺のことを避けている…。
 それも…あの脅えた様子。
 八戒の心の傷は俺が考えているよりもかなり深い…。
 そこまで傷つけてしまっていたのだ。
 どうすれば良いんだろう。
 俺のことを怖がっているのなら、もう近くにいるだけで駄目なんだろうか。
 近寄れば近寄るほど、八戒は俺を拒絶し、心の殻を厚くしていく。
 もう、どうすることも出来ないのだろうか……。

「どうすっかな…」
 なんだか家には居辛くて何の用もないのに街まで来たけど。
 街をぶらぶらしても…ずっと八戒のことが気にかかる。
 八戒の悲しそうな顔…そして、あの脅えた顔が頭から離れない。
 まさかあそこまで拒絶されるなんて思いもよらなかった。
 はっきり言ってかなりショックだ。
 もう立ち直れないくらいに…。
 そんなことを考えているうちに日はすっかり傾いていた。
 でも俺は家に帰るのが怖かった。
 家に帰って…また八戒にあんな目で見られたら…。
 それを考えると家には帰れない。
 俺もかなり臆病だ。
 八戒に会いたいのに嫌われるのが怖くて…拒絶されるのが怖くて八戒に会えない。
「しゃーねー、今日はそのまま酒場に行くか…」
 夕方の冷えた風が吹き付ける。
 さみーなー…。
 なんだか体だけでなく心まで寒かった。


「どーした悟浄、今日も元気ねーな」
 相変わらず、ただ一人で酒を飲む俺に、マスターがそう言う。
「まぁな…」
 酒を飲む…といっても、そんなに飲みたい気分でもない。
 でも、常に酒を喉に流していなければ落ち着かない。
 味なんて、もうわからなかったし、酔いも全然回らない。
 ただ、酒は俺の精神を繋ぎ止めてくれた。
「なぁ…マスター。もしもだけどさ…大切な人を傷つけちまったらどーする?」
「そりゃ、謝るだろ」
「じゃあ、もしも……どうしようもないくらいに傷つけて…相手に…拒絶されるくらいになったら…どうする?」
『もしも』で態とらしく隠した俺の質問に、やっぱりマスターは気付いたみたいで、少し困ったように笑い溜息を吐く。
「それは大変だな…。
 まぁ、でも『もしも』そうなってしまったんなら無理をせずに少し距離を置くことも大切かもな」
 距離を置く…。
 じゃあ、今は八戒に会わない方がいいのだろうか…。
「もー、いきなり雨降るなんてー、サイアク」
 その時、店の扉が開いて、ずぶ濡れの女が入ってくる。
 雨…?雨が降ってるのか?
 すぐに帰らなくては…と思い立ち上がろうとして少し考える。
 今…八戒に会って良いのだろうか。
 こんな雨で更に不安になってるところに俺が行ったら、そうしたら八戒はどうなってしまうのだろう。
 今は帰れない…。
「悟浄、良いのか?」
 マスターが心配そうに俺に言う。
「いいんだ…。今俺が行っても、更にアイツを傷つけるだけだ。もうこれ以上、アイツを傷つけたくない」
 これ以上八戒に悲しい思いも辛い思いもさせたくない。
「そうか…。お前がそう決めたなら俺は何も言わない。
 でも、一つだけ言っとくな…」
「………?」
「一度落ち着けよ。
 落ち着いて物事考えないと絶対に後悔するぜ」
「あぁ…」


 次の日、起きてもまだ雨は止んでいなかった。
「八戒…大丈夫かなぁ…」
 結局俺は昨夜は女の所に泊まった。
 そして今もまだ八戒に会うのが怖くて帰れないままだ。
 マスターの言うとおり、少し距離を置いた方がいいのかもしれない。
 こんな気持ちで…それこそ拒絶を恐れて恐る恐る触れたのでは…余計に八戒を傷つけてしまうのではないか。
「悟浄、まだ帰らないの?」
 泊めてもらった家の女が不思議そうに俺を見る。
 確かに、前にもここに泊まったことはあるが、朝が来るとすぐに帰った。
 女の家で長居することなんて今まで無かった。
 でも今は帰れないから。
「わりーけど、しばらく泊めてよ」
「別に良いけど…」
 女は不審な顔をするものの、それ以上何も聞かなかった。
 わりーな、迷惑かけて……。
 でも、今、俺にはどこにも居場所がないんだ。
 ……八戒…。
 雨はまだ止まない。


 雨は何時までもシトシトと降り続ける。
 何時になっても止む気配を見せなかった。
 八戒はどうしているんだろう。
 窓の外の降り続ける雨を見ながら、ずっと八戒のことを考えていた。
 八戒のこと以外考えられなかった。
 八戒に会いたいと心の中で唱え続ける。
 ……でも、まだ八戒には会えない。


「お前は何をしているんだ」
 久々に雨が止んだので、気分転換に外に出た。
 そこで偶然であった三蔵にいきなりそう言われた。
「どういう意味だよ」
 三蔵は八戒にあったのだろうか。
 それで俺がずっと家に帰っていないことを聞いたのか。
「八戒が倒れた。熱が高くてまだ目を覚まさない」
「…………」
 三蔵の口から出た言葉に俺は固まる。
 八戒が倒れた?
 何で……。
「どういうことだよ…」
 自分の声が震えているのがわかる。
「朝、森で倒れているのを悟空が見つけた。熱がかなり高くて危険だった。まぁ、医者に見せたところ、命に別状はないらしいが、発見がもう少し遅ければ危なかったらしい」
「そんな…」
 昨夜はまだかなり雨が降っていた。
 八戒はそんな中…外にいたというのか…。
 何で……。
「八戒は何でそんなトコに…」
「そんなこと、俺が知るか。で、お前はどうするんだ」
 どうするっていったって……。
 今、八戒に会って良いのだろうか。
 まだ心の中に迷いが浮かぶ。
「…今は八戒に会えない。八戒のこと頼んで良いか?」
 三蔵や悟空が八戒のことを見ていてくれるのなら、八戒のとってもその方がいいだろう。
「お前はそれで良いのか?」
「あぁ…」
「そうか」
 三蔵は短くそう言い、吸っていた煙草を下に落とすと、草履で踏んで消す。
 そしてそのまま歩き出す。
「……馬鹿が」
 小さな声で三蔵がそう言い、舌打ちするのが聞こえた。




 その二日後、俺は再び三蔵に会った。
 八戒の様子が気になっていたから。
 二日間、またずっと八戒のことばかり考えた。
 何故雨の中外にいたりしたのだろう。
 何を考えていたのだろう。
 何を考えて…何を悩んで…雨の中にいたのだろう。
 そして今八戒は……。
「八戒の容態は…?」
「熱も下がったし目も覚ました」
「そうか…」
 俺はホッと胸を撫で下ろす。
 八戒の体調がもう心配ないなら…よかった。
「三日後に八戒を連れて行く」
「え…?」
 突然のことに、俺は三蔵が何を言っているのか理解できなかった。
 八戒を連れて行く…?どこに?
「もうお前に八戒を任せてはおけん。三日後、寺に連れて行く」
 それだけ言うと三蔵は俺に背を向け歩き出す。
 どういうことだよ…。


 八戒があの家からいなくなる…。
 本当にいなくなってしまうのだろうか。
 そんなのは考えられない…。
 でも、俺と暮らすよりも三蔵や悟空と暮らした方が八戒にとって良いのかもしれない。
 もう傷つかなくて良いのだから。
 その方が八戒にとって…。


 そうこうしているうちに三日が経った。
 今日…八戒は行ってしまうのだ。
 でも、一生会えないわけじゃない。
 今までのように毎日は会えなくなるが、会おうと思えば何時だって会えるのだし。
 …こうして距離を置いた方が俺にとっても八戒にとってもきっと良いのだ。
 だから…だから…。
「やっぱり嫌だ!」
 俺は家に向かって全力で走った。
 やっぱり八戒と離ればなれになるなんて嫌だ。
 森を抜けると懐かしい家が見えた。
 その家の前にいる三蔵と悟空…そして八戒。
 八戒だ…。
「待てよ」
 八戒を見た瞬間、俺はそう叫んでいた。
「悟浄……」
 俺の声に八戒が振り返る。
「どこ行くんだよ。お前の家はここだろ!」
 そう言い、俺は八戒の身体を強く抱きしめる。
 八戒の体温が俺に伝わってくる。
 十日会わない打ちに八戒は随分痩せた。
 それは俺のせいだろう。
 どれだけ謝っても償いきれない俺の過ち。
 でも、今、八戒は俺に身体を預けてきてくれている。
「悟浄」
 もう脅えた目はしていない。
 俺のこと…赦してくれるのか?
「すみません、三蔵…僕、寺に行くことは出来ません」
「あぁ……。
 悟空、帰るぞ」


「ただいま、八戒」
「おかえりなさい、悟浄……」
 『おかえり』と言ってくれたことが嬉しい。
 ずっと八戒に会いたかった。
 もう一度強く抱きしめると、八戒も俺の背に腕をまわしてくれる。
 そしてゆっくりと唇を合わせる。
 それだけで春が来たかのような温かさが胸に広がる。
「すみませんでした、悟浄」
 いや…八戒、お前は悪くない。
 悪いのは全て俺だったんだ。
「俺こそごめんな、八戒」
 こうして謝ってしまえば、あんなに大変だったのにちっぽけなことのように思えて二人で小さく笑った。
「こんなに簡単なことなのに、何であんなに苦労したんでしょうね」
「ホントだな」
 目的地は目の前にあったのに、ずいぶんと大回りしてしまった。
 ホント…バカだったな、俺。
「明日、お揃いのカップ買いに行こうな」
「えぇ」
 また一から始めよう。
 今度もまたきっと幸せになれるから。
「悟浄…愛しています…ずっと…永遠に……」
「あぁ…俺も愛してるよ」
 俺達はゆっくりと誓いのキスを交わした。





「なぁ、八戒と悟浄大丈夫かなぁ」
 悟空は二人の家の方を振り返りながらそう言う。
「あいつらのことだ…平気だろう」
「そっか…それなら良かった」
 三蔵は煙草に火を点け、一度大きく吸い、ゆっくりと吐き出す。

「…ったく…犬も喰わねぇよ」



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