ツィゴイネルワイゼン Op80
「…困りましたね」
すっかり三蔵達とはぐれてしまったようですね。
おまけに…。
おまけにこの雨だ…。
冬の雨は容赦なく体温を奪っていく…。
このままでは…。
「八戒…あそこに山小屋がある。
とりあえずあそこに入るぞ…」
その日は朝からあまり天気が良くなかった。
いつ雨が降りだしてもおかしくない…そんなどんよりとした雲に覆われている。
せめて雨が降り出す前にこの山だけは越えてしまいたかった。
でも、そんなことを考えているうちに敵の襲撃。
おまけに雨まで降り始めてしまった。
あっという間の大雨で、敵自体はたいしたことなかったのに気が付けば三蔵と悟空の姿は見えなくなっていた。
「二人とも心配していますかね…」
「さあな。ま、とりあえず火つけようぜ。寒くてさ。
このままじゃ、アイツらと天国で再会ってことになるぜ」
「地獄で再会かもしれませんよ」
山小屋は狩人の休憩用の物なのか、幸い薪類が揃っていた。
悟浄はポケットからライターを取り出し火をつける。
しばらくすると薪に火が燃え移り、火が広がっていく。
「暖かいですね」
「そうだな」
暖かな火に身を寄せ、冷たくなった手をそっと火の上にかざす。
少しずつ火の熱が身体に伝わり移ってくる。
暖かい…。
ぼんやりと火を見つめる。
視界に広がる炎の赤い色…。
揺らめく炎を取り憑かれたようにじっと見つめる。
何か不思議な気持ちになる。
何なのだろう、この気持ちは。
ただこうして火を見つめているだけなのに。
手が…身体が火の暖かさを求めて自然と前に動く。
必要以上の熱に肌が焼けるような気がした。
その熱さにハッとして身を引く。
でも、離れてしまうとなんだか寒くて、また火に近付いていく。
火を求めている。
火の暖かさを…この熱を求めている。
…あぁ、そうなのか。
今の状態は自分の心の中と似ているのだ。
外で降りしきっている雨は僕の過去…。
身を凍らせるほどの冷たい雨。
そして、この炎は…。
同じ赤を持つ……あの人だ。
悟浄……。
貴方は暖かい。
冷たい雨で冷えてしまった僕を、貴方は優しく暖めてくれる。
優しい炎。
でも、それと同時に恐ろしい熱を持った炎でもある。
炎は危険だ。
全てを焼き尽くしてしまうほどに。
優しい温かさを求めて近付きすぎればこの身は焼け爛れてしまうだろう。
……悟浄…。
こうして一緒に過ごしていると貴方の温かさが伝わってくる。
でも、求めすぎてはいけない。
貴方は燃えさかる炎なのだから。
貴方に近付きすぎると…僕の心は焼け爛れてしまう。
だから、今のこの位置が一番良いのだと…そうわかっているのに。
でも僕は…。
「おい、八戒!」
悟浄の声にハッとする。
「そんなに近付くと危ねぇぞ」
気が付けば僕の手はもう少しで炎に触れるぐらいのところにあった。
触れたわけでもないのに僕の手は赤くなっていた。
手の表面が熱く焼け、ヒリヒリと痛んだ。
…あぁ、これ以上は近付くことが出来ないのだ。
そんな風に考えつつも、心のどこかでは全く違うことを考えていた。
焼けた手をそっと撫でる。
感覚の無くなったような手は触れたのが伝わらない…。
それなのに触れたところが激しく傷む。
でも、その痛みがどこか嬉しい感じがした。
「八戒、大丈夫か?手、見せて見ろよ」
悟浄が僕の手に触れる。
胸が高鳴るのがわかった。
鼓動が速くて…苦しい。
貴方に近付きすぎて、僕の身が焦げてしまいそうです。
「火傷してんじゃねぇか」
「そうですね」
僕の心も、もう火傷しているのでしょうか。
何かもう…感覚も全ておかしくなってしまいそうです。
それでも…。
「そんなに火に近付くぐらい寒かった?」
…寒いんです……。
僕の心は凍ってしまいそうなくらいに。
だから、貴方という炎を求めているんです。
「えぇ…とても寒いですよ」
悟浄の手から離した自分の手を再び炎の上にかざす。
そして、何の躊躇いも持たずに炎の中に手を入れる。
「八戒!何やってんだよ!」
炎の中で僕の手が悲鳴を上げる。
でも、これは嬉しい悲鳴なのかもしれない。
だってこんなにも愛しい炎の近くにいられるのだから。
手が焼かれ…焼き尽くされても…それでも……。
「寒いんですよ。だから…火が欲しいんです…」
焼け爛れても焼き尽くされてもそれでも僕は貴方を求めている。
だって僕は……。
「悟浄…貴方を愛しています……」