Gnossienne Op.34
「…………」
パリの小さな公園を楽譜を胸に抱いている青年が、重い足取りで歩いていた。
『猪八戒君、君の音楽には心が感じられない…』
今、受けてきたピアノのレッスンで言われた言葉…。
もう何度目だろうか。
レッスンで言われる言葉も、コンクールの公評に書かれている言葉もいつも同じ。
『心がない……』
どれだけ技術を身につけても、楽譜に書かれている表現を忠実に守っても……それ以上のものは生まれない…。
曲に心がついていかない。
「……ふう……」
考えれば考えるほど、心は曲から離れていく…。
───
帰りたいな……
無理をして故郷を離れ、パリの音楽院に入ったのに……。
パリで親しい人もできず、毎日がつらい……。
あんなに好きだったピアノも……今では苦しい。
「…どうしたらいいんでしょう…」
ポツリと漏れた独り言も、誰の耳にも届かず冬の空に吸い込まれてしまう。
その時、冬の冷たい風に混じって、微かに曲が聞こえる。
「…チェロ…?」
八戒の足は自然とその音の方へと向かっていた。
公園の中心にある噴水のそばで、その男はチェロを弾いていた。
少し荒っぽい演奏ではあるが、その音には心があった。
一目見て聴いただけでわかる。
彼は音楽を愛している。
そして自分の音楽というものを持っている事を…。
…どうやったら、あんな風に感情を入れる事ができるのだろう…。
「よぉ!」
一曲弾き終わった男が八戒に向かって手をふる。
「…………」
「お前、ピアノ科の猪八戒だよな。俺もあそこの学生だぜ、チェロ科の沙悟浄っつーんだ。よろしくな。」
「……あ……はい……」
差し出された手をおずおずと取る。
ぎこちのない握手…。
「どーした?元気ないじゃん。」
「あ……いえ……ちょっとレッスンで怒られちゃって…」
「あー俺もしょちゅー怒られる。ちゃんと練習してこいってな。でも、優等生もやっぱり怒られたりするんだー。」
「…優等生…?」
「そ、お前結構有名だぜ。パリ音の超絶技巧ってな。まー俺は夜の超絶技巧で有名だけどな(下ネタ)」
その言葉に八戒は俯く。
「…そんな…、駄目なんです…僕は…。いくら指が早くまわったって…曲に心が入らないんです。”自分の音楽”がないから…。貴方が羨ましいです。”自分の音楽”を持ってて……」
石畳に涙が一粒落ちる。
「…え…おい…」
いきなり泣き出してしまった八戒に悟浄は慌てる。
「んー…まあ、これは俺の自論なんだけどさ…」
そっと八戒の肩に手をまわし引き寄せる。
「その音楽を勉強するのってさ、誰かと友達になるのに似てると思うんだよ。」
「……友達……?」
「そ。ちょっとずつ色んなトコ見えてくるだろ。ダチになる前は気づかなかった、ちょっとした部分を好きになったりするしさ。そんな中で少しずつ相手に自分の感情伝えていくだろ。でも、相手の機嫌を損ねない程度にさ。音楽も同じさ。曲を壊さない程度に自分の気持ちを伝えてやれよ。」
「………」
「ま、分かりにくいかもかもしんねーけどさ。難しく考えずに、友達にするようにしてやれよ。そのうち見えてくるさ、お前の音楽……」
合わせた目線を八戒は背ける。
「……僕…友達いませんから…」
パリに出てきてから人付き合いがうまくいかず友達とよべる人はいない…。
「…………」
両手が肩にまわされ抱きしめられる。
「じゃあ、俺と友達になろうぜ。」
「……え……?」
「俺ずっとお前と友達になりたいとおもってたんだ。一緒にみつけようぜ…」
そっと耳元で囁かれる。
─── お前の音楽を……
END
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