Zwei Rhapsody   Op.17

──── ずっと見てました…貴方の事。
僕は貴方の名前も知りませんし、貴方は僕の存在すらも知らない…。
それでも僕はわかるんです……。
……この気持ちが恋であるという事を……。


そこは天にある異空間。
神に仕え、地上に愛を伝える天使達の国。

『天使は個人を愛することはできないのだよ、八戒』
「…わかっています」
そこには複数の大天使と八戒と呼ばれた翠の瞳を持つ天使。
「わかっていても…僕はあの人を愛しています」
八戒の言葉に大天使達がため息をつく。
『その者の記憶を消す。お前にとってもそれが良いだろう。
お前は将来有望な天使だ。このようなことで失いたくはない』
八戒は何かを決心するかのように目をつぶる。
ゆっくりと両手で純白の右翼を掴む。
『何をするつもりだ』
大天使の言葉に耳を貸さず、その右翼が背中から離れる。
そして同じように左翼も引き抜く。
その背中から血が流れ続ける。
八戒の頭上に浮いていた天使の証である輪が、光と浮力を失い落下する。
そして床にあたり、硝子のように砕ける。
「これで僕は、もう天使ではありません」
八戒は止めようとする大天使達の手を振り払い、地上への扉を開く。
「さようなら」
そう言い、その扉の中へと身を進ませる。
重力に従い、地上へと身を落とす。
─── 神サマ。もし僕の望みを叶えてくださるのなら、最後にあの人に会わせてください。

 

「…やっべぇな、雨降ってくるか?」
真夜中の森を一人で歩いている青年。
空は厚い雲に覆われており、時折小さく光る。
青年は足を速める。
その首筋に一滴の滴が落ちる。
もう降ってきたか…、と無意識に左手で滴を拭う。
しかし、その滴は雨ではない。
ぬるっとした感触。
あわててその手を見れば、指先が赤く染まっている。
………血…?
上を見上げるが暗くて何も見えない。
空が大きく光ると同時に大きな音を立てる。
その光で浮かび上がる……枝に引っ掛かっている血塗れの……人…?
雷鳴が合図であったかのように激しく雨が降り出す……。

 

「……ん……」
ベッドで横たわっている八戒が目を覚ます。
起きあがろうとするが、背中に激痛が走り、その身を抱く。
「お、気が付いたか」
部屋にいた青年がその様子に気付く。
「…あ…貴方は…」
八戒は目を見開く。
赤く長い髪。そして髪と同じ赤い瞳。
その顔はいつも天から見つめていた……。
そこに居るのはずっと求めていたあの人…。
「どうかしたか?」
目を見開き、時が止まったかのように悟浄を見つめ続けている八戒に、悟浄が声をかける。
その声に八戒は はっとし、あわてて笑顔を作る。
「あ、いえ、貴方が僕をここまで運んでくださったのですか?」
「…ああ。この家の住人で悟浄ってもんだ」
悟浄は少し照れたように笑う。
「…けがの手当まで……ありがとうございます。僕、八戒といいます。あの……」
八戒が迷うように語尾を濁す。
「どうした?」
「あの…えっと…もしよろしければ…僕をここにおいてはいただけませんか?」
「え?」
突然の事に悟浄は驚きの声を上げる。
「あの…僕…行く所が無くて…。迷惑なら…いいんです…」
少し俯き悲しそうな顔をしている八戒を、悟浄はなんだかほっとく事ができなかった。
「いいよ。行く所がないならココにいろよ」


「お前、何も食わないのか?」
八戒が悟浄の家にきて数日、八戒は一度も食事を取っていなかった。
悟浄と八戒の生活サイクルに違いがあったので、偶然悟浄が出かけなかったこの日まで気付かれることはなかった。
テーブルに用意された夕飯は、悟浄一人分である。
よく八戒の顔を見れば、やや青白く、「痩せた」というよりは「窶れた」という印象を持つ。
「僕は天使ですから、食事は取らないんです」
本気か冗談かわからない言い方。
すべてを隠すような微笑で……。
悟浄はそれ以上何も聞けなかった。
………ゆっくり静かに………八戒は弱っていく…。


八戒の体力は日に日に落ちていった。
理由はもちろん食事を取っていないからだ。
八戒は精一杯平気なふりを続けた。
また、悟浄はそんな八戒を見て、知っていながら知らないふりを続けた。
『僕は天使ですから……』
八戒の背中の傷…。
縦に大きく二本の……そう、まるで羽をもがれた痕のような……。
─── 本当に天使なのか? そして……。

「……すみません。すぐ戻りますから」
急に八戒が返事も待たずに家を飛び出した。
八戒はココに住むようになってから、一度も家を出ていない。
あまりの急な行動に悟浄は疑問に思い、こっそりと八戒の蹟をつけた。


八戒は森の中、奥へ奥へと走り抜けた。
─── さっき感じた…あの気配は…。
懐かしいオーラ。
太陽の様に輝ける金色の…。
森の木々が切れ、小さな池が見える。
その畔に……。
大きな純白の翼。
艶やかな金色の髪。
そして額には……大天使である証。
「やっぱり貴方でしたか……三蔵」
三蔵は八戒の翼のない背中に手を伸ばす。
「久々に天界へ戻ったらこんな事になっているなんてな。
…自分で切ったのか…。何でこんな事を…」
八戒はゆっくりと目を伏せ、視線を外す。
「…すいません…。…貴方は僕が幼いことから、何かと良くして下さったのに…そんな貴方に…何も言わずにこんな事をして……」
三蔵はそっと八戒を抱きしめる。
「…三蔵…」
「そこまでソイツのことを愛しているのか?命よりも記憶を取るくらい……。
天使が翼を失えば長くは生きていけない事ぐらいお前だって知っているのだろう…」
「…なんだよソレ」
急に話に割って入ってきた声に八戒はビクッとし、声のした方を向く。
「…悟浄さん…。今の話…聞いて…」
「どういうことだよ。翼がないと生きていけないって…」
八戒は俯き、ゆっくりと口を開く。
「……天使は食事を取りません…。その代わりに…天に上げられた人々の祈りや愛を…翼から吸収して栄養として生きているのです…。
…僕は…もう天上にいるわけでも翼があるわけでもありませんから…」
「…それを知ってて自分で翼を…。なんでだよ…」
「………」
八戒の頬を一筋の涙が伝う。
「…八戒……」
「…忘れたくなかったんです…この想いを…。
許されることじゃないって事ぐらいわかっていました。…天使が個人を愛することは禁じられています。
…それでも…それでも…僕は貴方のことを愛してしまったんです…」
悟浄はそっと八戒を抱きしめる。
細く白い躰。あまり体温を感じさせない…。
その命の残り少ないことを感じさせる…。

「…まだ翼の再生は可能なんだぞ…」
三蔵は2人を見て溜息をつく。
「……三蔵…でも……」
天上へ戻れば悟浄への想いも記憶も消されるだろう。
「もう一度よく考えておけ…。…また来る」
そう言い残し、三蔵は天へと飛び立っていく。
八戒は三蔵の姿が完全に見えなくなるまで三蔵を見つめた。

──── どちらを選んでも悟浄の側にはいられない。
ただ側にいたいだけなのに…。
もう少しだけ彼の側にいさせて下さい…。

 

外はシトシトと雨が降っていた。
八戒は窓越しにそんな空を見つめた。
空はいつまでも涙を流し続ける。
それに同調するかのように、八戒も何か悲しかった。
翼の無くなった背中が軽くて…そして寒い……。
ふと、その背中に人の温かさが触れる。
「どうした?帰りたくなったか?」
後ろから手をまわす悟浄のその腕に自分の手を重ねる。
「……いえ。今、僕がいる所はココですから」
そっか、と軽く笑い離れようとした悟浄の手を八戒が掴む。
「もう少しこうしていて貰えますか?……こうしているとなんだか落ち着くんです……」
そう言って目を閉じる。
「わかった。お前が望むだけ、ずっとこうしているよ」

 


ずっと抱きしめ合っていた………。
一体どれほどの時をそうして過ごしたのだろう。
悟浄は八戒の体調が気になり、その顔を覗き込む。
八戒の顔色はいつもに比べて良かった。
その時悟浄の頭の中に一つの事が思い出される。

──── 天使は愛を栄養にして………

……翼が無くても、直接触れることによって愛を吸収することが出来るのかもしれない。
そうすれば八戒は死なずにすむかもしれない。
「八戒。お前を救けられるかもしれない」

 

──── でもそれは禁断
犯してはならないタブー
………でも…………

 

八戒が目を覚ますと外はまだ暗かった。
少し動くと身体に痛みが走った。
でもそれは悟浄の愛を受け入れた証拠……。
……うれしかった。
でもそれと同時に感じる……。
自分の身体の異変を。
禁を犯した…その代償。
「……悟浄………」
もうここには居られない……。
解っていたのだ。
それでも……もう自分が永くないのだから……
あなたに愛された証が欲しかった。
八戒はまだ寝ている悟浄に寄り添うように横になる。
……あと少し………
もう少しだけここに居させてください。

 

 

「…ん……あれ…八戒?」
悟浄が目を覚ますとそこに八戒の姿は無かった。
まだ夜明けの時刻である。
「………」
悟浄は堪らなくイヤな予感がした。
慌てて服を着て家を出る。
……まだ布団は暖かかった。
まだ八戒が居なくなってから間もないことを指す。
……なにか………もう八戒に会えない気がした。

 

 

数日前と同じ池の畔に同じ人を発見する。
「…三蔵……」
「戻る決心は付いたか?」
八戒は俯き首を横に振る。
「僕は天には戻れません。禁を犯しました」
「…まさか……」
「この身にまもなく堕天の証が現れるでしょう。そうしたら…僕を殺して下さい」
「…八戒……」
「天の者に堕天の者が出たとあらば、すぐに処分の命令が下るでしょう。誰ともわからぬ者に殺されるよりも……三蔵………あなたの手で終わらせてください。大天使であるあなたには、その権利も義務もあるはずです」
「それでいいのか?」
「…はい……」

やがて現れる黒い羽根。
それが不幸を呼ぶ前に………。

 

「…くっ……」
八戒の背中を突き破り、漆黒の羽根が徐々に姿をあらわす。
三蔵は八戒から目を背ける。
そして決心したようにもう一度八戒を見る。
その手の中に大きな剣が現れる。
「…三蔵……お願いします……」
三蔵は小さく頷くとその剣を天に掲げる。
そして……。

 

「八戒!」

 

悟浄は全力で森を走り抜けた。
そして漸く池の畔まで着いた。
その木々の隙間から見えたものは……。
祈るように、手を組み目を伏せている八戒。
そして、その八戒に向けられた大きな剣……。
「八戒!」
その声に伏せられていた八戒の瞳が弾けるように開く。
「…悟浄……どうしてここに………」
「どういうことなんだよ八戒……。どうしてこんな事になってんだよ。……それに、その羽根は………」
悟浄の言葉に八戒は目をそらし俯く。
「…昨日の……昨日、俺がお前を抱いたからか?それならそう言えば良かっただろう」
「…悟浄……」
ゆっりと顔を上げた八戒の瞳に涙が浮かぶ。
「確かに……その行為がこの結末を生むこともわかってました。それでも……それでもあなたに抱かれたかった。あなたに愛された証が欲しかったんです」
「………」
今度は悟浄が言葉を失う。
「…スマン……。…でも俺はお前がどんなんでも気にしない。だから…戻ってこいよ」
八戒はゆっくりと首を横に振る。
「…駄目なんです……」
「なんでだよ」
「白い羽根は周りに祝福を、そして黒い羽根は周りに不幸を呼びます。…だからもう、あなたの側にいることは出来ないんです」
「そんなの関係ない。お前がいればそれでいい」
「………」
その言葉には何も答えず、八戒はゆっくりと右手を上げた。
「………」
急に後生の身体に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。
「ごめんなさい……悟浄。三蔵…お願いします」
八戒は再び手を組み目を閉じる。
「はっ…か……」
悟浄は力の入らない手を必死に延ばそうとする。
しかし剣は八戒へと下ろされた。

 

 

「……え…………」
剣の下ろされた感触はしたのに痛みが無い。
八戒は閉じている瞳をゆっくりと開ける。
「三蔵………」
八戒の背中の黒い羽根が乾いた音を立てて崩れて消える。
三蔵は剣を鞘へと収める。
「…三蔵……まさかその剣は……ファルシオン」
ファルシオン、それは大天使が生涯一度のみ使える剣。全てのものの悪を消し去るもの……。
「そんな大切なもの……長の許可も無しに…員僕なんかの為に使って………」
「お咎めぐらい受けてやるさ……それに」
三蔵は八戒の前髪をさらっと掻き上げる。
「今まで何も求めなかったお前がここまでしたんだ。最初で最後の我が儘ぐらいきいてやる」
「…三蔵……」
「ファルシオンは全ての悪を消す…。もしもお前の心の中に悪があればお前も消えていた。最終的にお前を救ったのはお前自身だ」
「三蔵……ありがとうございます」
「ついでにこれは餞別だ」
小さな珠が渡される。
「……転生の珠………こんな…いいんですか?」
心配そうに見つめる八戒の頭にぽんっと手を乗せる。
「ここまできたら1つも2つも同じだ。……幸せになれよ」
八戒の頬を涙が伝う。
「本当にありがとうございました」

 

 

天から真っ白な雪が落ちる。
雪は少しずつ降り続ける。
そして全てを覆い隠す。
……過去も………
……悲しみも………
……そしてその上にまた新たなものが生まれる。

 

森の奥の小さな家には、今もカレだけの天使が住んでいる………。

 


END

 

 

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