男ってみんなやくざなもの Op155
悟浄が死んで数日が経った。
あれから八戒はずっとぼんやりと空を眺めている。
悟浄の呪縛は消えた……。
でもそれと同時に自分を囲んでいたすべてが消えて、自分の形が見えなくなった。
元から自分には何の形も無かったのかもしれない。
悟浄に囲まれて、それでやっと自分は存在できた。
その囲いが無くなった今、自分は何処に存在している……?
どこにも見えない……自分の姿が。
「悟浄……」
でも後悔はしていない。
悟浄の元で、ずっと悟浄に縛られて……それが幸せかといえば、即答で肯定する事はできない。
何も知らなかった頃は幸せだけと、分かってきてからは苦しみ……悩み……。
もう幸せな頃には戻れなかった。
だから……後悔はしていない。
そもそも、自分に幸せになる道なんて残っていたのだろうか。
悟浄の側では幸せになれない。
悟浄が居なくなっても……悟浄の元から離れても自分は幸せになれない。
「八戒、俺の事恨んでる?」
鬱ぎ込む八戒に悟空はそっと声を掛ける。
「いえ……」
恨んでなんていない。
悟空のとった行動は間違いではないから。
「でも八戒……毎日そんな元気なくて……。
俺が悟浄を殺したから、だから……」
悟浄が死んで悲しい、その気持ちは確かだ。
でも正しい道なんて何もなかったから。
どれが間違ってるかも……分からない。
「ねえ、悟空はどうして悟浄を……。
いえ、僕を助けてくれたんですか?」
三蔵に傷を負わせた自分を、殺そうとしたぐらい恨んでいたのに。
なのにどうして自分の手を汚してまで助けてくれたのだろう。
「俺……ずっと八戒に謝りたかったんだ」
悟空は目を伏せて小さく呟く。
「悟空……」
「俺ずっと誤解してた。
八戒が三蔵の事裏切って殺そうとしてたんだって。
だから俺、復讐してやりたくて……三蔵の敵を取ろうと思って……。
そう思って八戒を探して、あんな酷い事言って、酷い事して……殺そうとした」
悟空はゆっくりとすべてを語り始める。
まるで懺悔をするかのように。
「でも後からそれが俺の勘違いだって分かった。
もとはすべて悟浄だって」
「でも……騙されていたとはいえ、僕が三蔵を殺そうとしたのは事実ですから……」
あの時、悟浄の嘘に騙されたとはいえ、自分は本気で三蔵を殺すつもりだった。
わずかに急所を外れ、今は障害も浅くなっているものの、もう少し間違えば死んでいたか植物人間状態だっただろう。
その事を考えれば、騙されていたなんていい訳は通用しない。
罪は罪……。
「でも……。八戒はいつだってそうだ。
いい訳も何もしない。
三蔵の治療に何度も来たのに何も言わず隠すように……」
「気づいていたんですか?」
八戒は悟空を見る。
三蔵の治療に行くときは悟空の居ない時を見計らっていたし、三蔵にも悟空には言わないよう口止めしていた。
気づかれるつもりなんて無かったのに。
「気づいてたよ、最初から。
どの医者もさじを投げてたのに、ある時を境に急に回復し始めた。
それは丁度俺が八戒に会いに行った後だったし、こんな事できるのは八戒だけだから。
……最初はそれでも恨んでいたんだ。
自分で傷を負わせたくせに今更治療なんてして無かった事にする気か……って」
話す内に悟空の声が微かに震え始める。
八戒はそんな悟空の話を黙って聞いた。
「そう思って八戒の事見てた。
三蔵といる時とか、影で見てたし話も聞いてた。
それで俺……すごく恥ずかしくなった。
八戒の事ずごく誤解してて……。
三蔵との話で八戒がまた騙されてるってわかったら、なんだか八戒可哀相で……いてもたってもいられなかった」
そこまで言って悟空は顔をあげ、八戒の体を強く抱きしめる。
「悟空……?」
「俺八戒の事好きなんだ。
八戒の力になりたい」
悟空が帰ってから、八戒は短く溜息を吐く。
悟空の言葉が頭の中で回っている。
『力になりたい』
彼はそう言ってくれた。
その言葉で、いままで何も見えなかった世界に少し光りが差し込んだ気がした。
悟空の言葉を信じていいのだろうか。
『八戒の事好きなんだ』
本当に……?
それからも悟空は頻繁に八戒の元を訪れた。
「八戒、美味いもん買ってきたんだ。
一緒に食おう」
「いえ…今は……。
食欲ないからいいです」
差し出された肉まんを八戒はやんわりと押し返す。
まだ八戒の心は完全に悟浄から離れてはいなかった。
微かに笑顔を作れるようにはなったけれど、本当の笑顔はまだでない。
「少しでいいから食えよ。
全然食ってないんだろ?
……そんな痩せて、見てられねえよ…」
悟浄が亡くなってから、八戒は目に見えて痩せていった。
ほとんど食事を取っていないのだろう、顔色が酷く悪い。
「……なあ……八戒……」
悟空は悲しそうな顔で八戒を見つめる。
本当に自分を心配しての悟空の態度に八戒はゆっくりと笑い肉まんを手に取った。
「そう……ですね。ありがとうございます。
心配掛けて……ごめんなさい」
……やっと本当に笑えた気がした。
人の温かさに触れる……。
悟空の優しさで凍った心が溶かされていく。
そして愛されて、必要とされて……自分が現れる。
愛に包まれて、自分の形がまた見え始めた。
悟空の愛で、八戒は少しずつ明るさを取り戻すことができた。
そして、いつしか二人は共に暮らし始めた。
「八戒、ただいま。
あ、今日は鳥の唐揚げだー」
「おかえりなさい、もう夕飯食べれる状態になってますよ。
沢山作ったからいっぱい食べてくださいね」
八戒は笑顔でテーブルに食事を並べていく。
温かな家庭の風景……。
「わーい、いただきまーす」
ずっと望んでいた幸せな暮らし。
「そういえば、八戒……俺また仕事クビになっちゃったんだ……」
「そうなんですか、元気だしてください」
少し悲しそうに言う悟空を、八戒は優しく慰める。
「まだ無職で……俺……」
「いいですよ、僕も働いていますからすぐ収入に困るってわけではありませんよ。
貴方がやりたい仕事をゆっくり探して下さい」
幸せな生活……。
これが幸せな生活だと八戒は疑っていなかった。
幸せが崩れるなんて考えていなかった。
その幸せが少しずつ……少しずつ……崩れていたなんて……。
「悟空……まだ働きにでないんですか?」
「んー、いいとこ探してるんだけどさ。
なかなか無いんだー」
いつしか働きにでなくなった悟空。
そして残るのは何処で作ってきたのか……多額の借金。
「もう僕の収入だけじゃ、借金が……」
借金を返す事が出来ないと言おうとした八戒の目の前に一枚の紙が出される。
「だから八戒にいい仕事見つけてきたよ。
風俗だけど、八戒経験あるし。
あんな借金ぐらいあっという間に返せるよ」
無邪気な悟空の言葉に八戒は愕然とした……。
これはデジャブ……?
「悟空……なんで……?
なんで貴方まで……」
「八戒が悪いんだよ」
「え……?」
「八戒が男を駄目にするんだ。
八戒はそう言う性質を持ってるんだよ」
笑い声と共に聞こえる言葉……。
一生解けない呪縛…。
そして……。
そして物語は永久に繰り返される……。