熱狂  Op147


 斜陽殿の独房で、猪悟能は一人目を伏せる。
 瞼の裏に浮かぶのは自分の最愛の女性、花喃の笑顔……そして死に顔。
 初めて愛した人だった。
 そしておそらく最後だろう……。
 もう誰も愛する事はない……だって彼女は死んでしまったのだから。
 ……それなのにどうして自分は生きているのだろう。
 この独房では考える時間が多すぎる。
 何もする事が無いのだかた、考えざるを得ない……彼女の事を。
 悟能は目を開き、自分の左手首を見る。
 そこに残るのはまだ生々しい無数の傷。
 妖怪となってしまった自分はこんな傷で死ぬ事なんて無いけれど、それでも切らずにはいられない。
 彼女が流した血を自分も流し続けなければと……。




 静寂を纏っていた寺内に慌ただしく人が走り回る。
 やがて三蔵の部屋に小さなノックが響く。
 三蔵はまたかと思い、目を通していた書物を閉じる。
「入れ、どうした」
「三蔵様……例の罪人が……」
 返ってきた言葉は三蔵が予想した通りの物だった。
 あの男がここに来てから何度目だろう。
 もううんざりするぐらいだった……。


 独房につけば、血の香りで噎せ返るような空気……。
 これも毎回の事だった。
 血の海の中に倒れる男……それでも彼の脈は力強くうっていた。
 ……彼は妖怪だから。
「いい加減にしろ!」
 三蔵は彼に向かってそう怒鳴る。
「……………」
 小さく痙攣をし、猪悟能の目が開かれる。
「いい加減にしろ!」
 三蔵は再び彼に向かって怒鳴る。
「三蔵様……」
 悟能は訳が分からないような表情で三蔵を見る。
 この男は自分が何をしているか分かっているのだろうか。
 ……これ以上彼には着いていけない、三蔵はそう考える。
 見ているだけで腹が立つ……この男のすべてが。
「お前は何がしたいんだ。
 周りの物の迷惑を考えた事があるのか」
「すいません……」
 悟能は小さな声で言う。
 義務的な謝罪の言葉。
 本心などどこにもない……。
 虚ろな目で虚空を眺める。
 心はどこかに逃げているような……。
 それは三蔵から見てもすぐにわかる。
 その事が三蔵を余計に苛立てる。
「お前の様な巫山戯た根性、叩き直してやる」
「はい……」
 その言葉にも悟能は虚ろな目で応えた……。

 そしてその次の日から修業が行われた……。
 修業という名の……。




 静寂を纏う本堂。
 広いその本堂の真ん中で悟能は一人座禅を行う。
 聞こえる音は三蔵の足音だけだった。
 何故こんな事をしなくてはならないのだろう。
 無意味に思えた。
 精神統一を行ったからと行って人間変われるわけでも、罪が消えるわけでもないのに。
 悟能は冷めた瞳でいつものようにぼんやりと虚空を眺める。
 そこに映るのは……。
「何を考えている」
 その瞬間悟能の肩に根性棒が鋭く振り落とされる。
 痛みが脳まで突き抜けるようだった。
「……っ、ありがとうございます…」
 痛みを堪えながら義務的に言葉を返す。
 それでも此処をはここにはいない。
 三蔵はそれを感じ取り、何度も根性棒を振り下ろした。


「……あっ……」
 悟能の両肩は紅く腫れ上がる程になっていた。
 痛みに顔をゆがめる悟能を三蔵は冷たく見下す。
 これが……修業……?
 悟能はこの行為の意味を考える。
「お前は本当に汚れているな。
 このまま修業をしても効果は出まい」
 効果……?一体どんな効果だと言うのだ。
 そう言おうとした悟能は三蔵の視線に威圧され、言葉を飲み込む。
「お前には特別に『洗浄』を施してやろう」


 その言葉から始まった……恐怖が……。




 先程と同じ本堂……。
 違うのはそのにいる悟能が一糸纏わぬ姿で立たされているという事。
 薄暗い本堂に悟能の白い体が浮き上がる。
「何をするんですか?」
 目の前で墨と硯を用意する三蔵に悟能は恐る恐る口を開く。
「見て分からんのか?」
「……分かりません」
 そう言う悟能を馬鹿にするように三蔵は鼻先で笑う。
「ありがたく思え、俺が直々にタントラを施してやるんだからな」
 タントラ……聞き覚えのない言葉に悟能は不安げに見る。
 でもそれがどういう事なのかは直ぐに知らされる。
 その体に……。


「もっと足を開け」
 墨の付いた筆先が肌の上を滑る。
 手や足…胸……さらには際どい足の付け根にまで書き込まれるタントラ……。
 その筆の感触を感じないようにと努力すれば努力するほど、筆の感触は鮮明に感じ取れてしまう。
「あ……」
 我慢仕切れずに悟能は小さく声を漏らす。
 それは吐息に紛れる程小さなものだっったが三蔵は聞き逃さなかった。
「感じたのか?」
 嘲るような口調に悟能は顔を赤く染める。
「い…いえ……」
 口でそう否定しても体は事実を映し出す。
 小さな胸の突起は完全に固くなり、中心ですらすでに形を変え始めていた。
 ただ体に墨でタントラを書かれているだけなのに……と悟能は必死でその快楽を押さえ込もうとする。
 それでも三蔵の筆先はそんな悟能の心を読みとっているかのように、確実に快楽を引き出していく。
「お前の体は卑しいなあ」
 三蔵の言葉に悟能は唇を噛みしめる。
 どうしてここまで言われなくてはならないのだ。
 こんなに見下されて……。
 こんなのは修業でもなんでもない。

「お前の様なヤツは体の中から洗浄しないと駄目かもしれんな。
 おい……」
 三蔵が短く声を掛けると数名の僧侶が本堂へと足を踏み入れる。
「な……」
 悟能は慌てて自分の体を隠す。
 しかし布も何もなく、全裸の自分は隠しきれない。
 僧侶達の視線は悟能に鋭く突き刺さる。
「お前らコイツを『洗浄』してやれ」
 恥ずかしさに目を伏せた悟能の耳に三蔵の言葉が届く。
 …何を……?
 洗浄……体の中から……。
「や……いや……」
 三蔵の言わんとする事を感じ悟能は本堂から逃げようとする。
 それでもすぐにその体は冷たい床に引き倒された。



「いや……やぁ……」
 本堂に悟能のかすれた声が響く。
 その体を代わる代わる僧侶達が犯す。
 『洗浄』という名のもとに。
「あぁ……」
 もうどれだけ繰り返されたのか分からない……。
 体に『聖水』という名の僧侶達の精液が浴びせられる。
 顔に…口内に…胸に……体の中に……。
「やめて…ください……」
 何度泣いて頼んでもそれが止められる事はない。
 僧侶達は『洗浄』…『制裁』という名を使い……このまさに強姦としか言えない行動を嬉々として行う。
 ……さも正しい事をするように。

 こんなのは修業でも洗浄でもない…。
 ただの拷問だ。
 悟能は消えゆく意識の中でそう呟いた。




「随分と生きた目をするようになったな」
 三蔵は悟能の顎を掴みその瞳をのぞき込む。
「はい……お陰様で……」
 悟能は震える声でそう応えた。
 あれからも修業と称した事は色々行われた。
 火のついた線香を肌に押し付けられたり……冷水を掛けられたり。
 荒縄で縛り本堂に吊されたり…、三蔵のモノを奉仕させられたりと。
 思い出すだけでも恐ろしい。
 死ぬことだって怖くは無かったのに、今では生きているのも恐ろしい。
「辛い事だけじゃないだろう?」
 三蔵は意味ありげにそう言い笑う。
 悟能はその言葉に俯き、唇を噛みしめる。
 確かに、それらの事で感じるのは痛みや恐怖だけでは無かった。
「お前の体を調教するのは簡単だったぞ。
 元が淫乱だからか?」
「……………」
 そう、自分はその痛みの中にいつの間にか……快楽を感じ取るようになっていた。
 無理矢理そうさせられたとも言える。
 でももう否定は出来ない……。
「さあ、いつもの様にお願いしてみろ」
 手の中の根性棒を嬲りながら三蔵は言う。
 三蔵の冷たい言葉に悟能は震える唇を開いた。
「そ…その根性棒で罪深い僕を……僕のいやらしい体をぶってください……」








「今日からお前は『猪悟能』ではなく『猪八戒』と名乗れ。
 もう罪人のお前は何処にもいない。自由にするがいい。
 まあ、ある程度の監視はつくが仕方がないだろう」
 突然の事に八戒は何も言えなかった。
 自由……自分が……?
 昨日まで修行と呼べるかも分からない酷い仕打ちを受けて、今日だってここに来るまではいつもと同じ辛い苦痛に満ちた一日が待っていると思っていた。
 それが一夜明けただけで『自由』という言葉が三蔵の口から出るなんて……。
 これは夢なのだろうか……。
「どうした、ここから出れる事が嬉しくないのか?」
「…い…いえ、あまりの突然の事に……」
 八戒は動揺が隠せないままそう言う。
「行く当てが無いのなら悟浄の所でも尋ねてやったらどうだ?
 お前の事を心配していたぞ」
「はい…そうします……」
 八戒はそう言い一礼すると部屋を出た。


 思いがけない程あっさりと寺を抜ける事が出来た。
 誰かが追ってくる様子もつけてくる様子もない。
 どうして……急にこんな風に……。 
 八戒は歩きながら考える。
 三蔵の言葉を。
 三蔵の態度を……。

 あの時の三蔵はいつもとは違った穏やかな態度、優しい表情だった。
 でも……あの最後の笑い方は、何かを企てている…そんな風に思えた。
 自分を悟浄の元に向かわせてどうするつもりなんだ。
 まさか、悟浄も三蔵とグルなのだろうか……。





 悟浄に会ってそんな考えはすぐにとんだ。
 悟浄は優しい。
 見ず知らずの死にかけた自分を拾って、何も訊かずに置いてくれた時にも思った……。
 悟浄と居ると心が落ち着く。
 何かそんな空気を持っていた。

「悟浄、コーヒーと紅茶どっちがいいですか?」
 自然で穏やか……。
「ん、コーヒー」
「はーい、すぐ入れますね」
 ここでこうして生活していると、あの寺での事を忘れられる。
 このままあの事を忘れて普通の生活に戻れるような気になってくる。
「はい、悟浄」
 コーヒーを置くと、悟浄はそれを取って一口飲む。
「あれ、豆変えた?」
「ええ、どうですか?」
 こうして悟浄の為にコーヒーを入れたりご飯をつくったり掃除したり……。
「結構イケル」
「それは良かったです」
 そんな生活が……幸せだった。




「三蔵が?」
 でもその一ヶ月後には、三蔵から寺に来るようにとの呼び出しがかかる。
 もう夢の時間はおしまい……?
「ん、で二人で来いってさ」
「……行かなくては駄目ですよね」
 再びあの場所に行くことを考えると…それだけで息が詰まりそうだった。
 ……あそこには戻りたくない。
「お前の義眼の事とか聞きてぇみたいだしな。
 ……どうかしたのか?」
 真っ青になって俯く八戒に悟浄が声を掛ける。
 八戒は俯いたまま首を横に振る。
「いえ、なんでもありません」
 ……そう、別に自分を呼び出した理由があれだとは限らない。
 たとえそれであっても……今の自分は、もう前の自分ではない。
 いつまでも三蔵の言いなりには……。



 でも三蔵が自分を呼んだ理由は……思った通りだった。
 寺に着いてすぐに悟浄と離された。
 その時から覚悟はしていた……そして決心も。
 決して三蔵には屈しないと……。

「よく来たな……」
 椅子に座ったまま三蔵が言う。
 その口調はあの時と同じだった。
「まあ立ち話も何だ、座れ」
「いえ、すぐにお暇しますからこのままで結構です」
 八戒は強い口調で言う。
 三蔵に飲まれぬようにと……。
 そんな八戒を見て三蔵は嘲るように笑う。
「強がりか……。
 それはあの男の影響か?」
 あの男……それは悟浄の事を指しているのだろう。
 それはすぐに分かった。
「何の事ですか?
 要件がないのなら失礼しますけど」
 それでも八戒はワザと分からないフリをして言う。
 もう三蔵の思う通りにはさせない。
「惚ける気か……まあいい。
 そんな事をしても無駄だという事を教えてやろう、悟能」
 三蔵は八戒を過去の名で呼ぶ。
 そして袂から根性棒を取り出した。
 それはあの時散々八戒の体をいたぶった……。
 三蔵は笑いながらそれを八戒の体目掛けて振り下ろす。
「……………っ」
 しばらく感じていなかった痛みが全身に電流のように流れる。
「お前の本質を見せてやるよ」
 三蔵が冷たく言う。
「何を……」
 八戒はその言葉意味が分からなかった。
 自分の本質……?
「…あ……っん…」
 でもすぐにそれが何なのか己の身を持って知ることになる。
 痛みが退いた後に押し寄せる……快楽。
 それは今まで感じた事が無いほどの……。
 気を抜けば意識を手放してしまいそうだった。
「何……?」
 覚えの無い感覚に八戒は呟く。
「それがお前の本質だ。
 痛みによって快楽を感じる……お前はそんな男なんだよ」
「そんな……?」
 三蔵の言葉がまだ信じられない八戒に根性棒は次から次へと振り落とされる。
 それは八戒の体に苦痛を与えるハズなのに……。
「あ……あぁ……」
 ……今…自分の体は快楽を感じ取っている。
 八戒は信じられない感覚を受け入れざるを得なかった……。


「八戒、どうかしたのか?」
 帰り道、ずっと黙っている八戒に悟浄は声を掛ける。
「いえ……何でもないです」
 八戒はそれ以上何も言えなかった。






 それからも三蔵からの呼び出しは頻繁に行われた。
 義眼の調子を見るだとか、仕事を手伝って欲しいとか……。
 呼び出す理由は様々だった。
 でも行われる事は一つ。

「や…やめてください……三蔵……さまっ」
 口では拒絶しても体は受け入れる。
 その痛みを快楽として……。
「何を言っているんんだ。しっかりと感じているじゃないか、悟能」
 三蔵が『悟能』と呼ぶ度に戻ってくる。
 ……あの感覚が……。
 痛みを快楽として受け入れる自分が……。


「おかえり、八戒」
 でも悟浄がそう言って暖かく向かえてくれるその度に、自分は元に戻る。
 ここにいれば……ただの『猪八戒』になれる。
「ただいまかえりました、悟浄。
 遅くなってすいません、すぐに夕飯の支度しますね」
 ここにいれば……。




 飼い慣らされた快楽への心……そして穏やかな平和に挟まれた生活が続いた。
 それでもだんだんとマゾの心が自分の中を占める、そんな気がする。
 そんな時だった。

「俺さ、ずっと八戒が好きだった…」
 突然の悟浄からの告白……。
 八戒は信じられないといった表情で悟浄を見た。
 勿論…八戒の中の悟浄への想いも、もう愛と呼ぶのに相応しい程のものになっていた。
「本当ですか……悟浄…」
 もう愛とは無縁だと思っていたのに……。
 とても嬉しかった。
 自分の中に暖かい気持ちが広がる。
 偽りではない本当の幸せが……今訪れたのだ。
「僕も貴方を愛しています」
「八戒……」

 甘い口づけ……。
 愛をもって抱かれたのは初めてだった。
 力ずくで与えられるものではない、本当に心も体も一つに……。
 その時は確実に幸せを感じ取っていた。
 これで自分の…マゾ的な心は消える……そう思っていた。


 でも……違った。




 その心は尚も広がる。
 三蔵に呼び出される事が今では救いになっているぐらいに。
 三蔵から与えられる苦痛が……自分の心を落ち着ける。
 ……どうしてこうなってしまったのだろう。
 今はもう苦痛無しには快楽を感じ取れないぐらいに。
 だから悟浄とのSexでは……満たされていたハズなのに……今ではどこか満たされない。
 それが少しずつ、はっきりと際だってくる。



「どういうつもりなんだよ、八戒!」
 それが完全に目を覚ますのは……悟浄から与えられた痛み。
 三蔵に抱かれている事を知った悟浄は怒り、八戒を殴りつける。
「お前は抱いて貰えればそれでいいのか。
 この売女が!」
 床に崩れる八戒に悟浄は更に罵倒を浴びせかける。
「……………」
 八戒は悟浄に打たれた頬を押えたまま俯き、何も言わない。
「………わりぃ…」
 何も言わずに殴りつけてしまった事を後悔し悟浄は小さく呟くと、それ以上は何も言わず静かに部屋を出た。
 八戒を傷つけてしまった……悟浄はそう後悔する。

 でも実際は違っていた。
 八戒が堪えていたのは苦痛ではなく……快楽……。
 悟浄に打たれた瞬間八戒の体に、感じた事がない程の快楽が湧き出た。
 それはどんな性交よりも強い快楽。
 悟浄から浴びせられた罵倒の言葉はどんな愛の囁きよりも心をわき上がらせる。
 自分が求めていたのはこれだったのだ。
 そんな事で快楽を感じてしまう自分の体を恥じる事すら感じなくなる程の甘い誘惑だった。


「八戒…昨日は悪かった」
 明朝、食事の支度をする八戒の背に悟浄はそっと謝罪の言葉をかける。
 理由も聞かずに自分の言いたい事だけを言ってしまった事を恥じて。
「……………」
 振り向いた八戒の顔は冷たかった。
 怒っているのかと悟浄が思う程に……。
 でもそうではない……。
 もう悟浄の優しい言葉には何も感じなかった。
 自分が今欲しているのは、悟浄からの罵倒。
 ……卑しいものを見るように見下して欲しい。
 『売女』でも『淫乱』でも……酷い言葉をかけて欲しい。
 怒りのままに自分の体を痛めつけてほしい。
 ……それだけなのに。
「何でもいいから言ってくれよ。
 俺お前の力になりたいんだ。
 三蔵から酷い事されたんだろ?俺に何か出来る事ねぇか?」
 悟浄は知っていたのだ……三蔵から与えられているのが愛ではなく暴力に近いものだった事を。
 ……まあ、体に残る痣や火傷の跡を見れば一目瞭然だろう。
 それでも悟浄はずっと気が付かないフリをしていたのだろうか。
 何か事情があるのだろうと考え……。
 自分の口から理由を言うのを待っていた?
 ……本当に優しい人……。
 でも今欲しいのは優しさじゃない。
 今ここで自分の性癖の事をいったら悟浄は軽蔑するだろうか。
 自分を罵り、嘲り……突き放してくれるだろうか。
 それを想像するだけで、体に熱が上がってくる。
 愛する人に本気で嫌われたい。
 そう思う程……自分はそこまで落ちてしまった。
 もうそれは止められない。
「悟浄それは違いますよ。
 三蔵から酷い事をされてはいますけど…それは僕が望んだものですから」
 八戒は笑顔で悟浄にそう告げる。
「望んだって……どうして?」
 悟浄は信じられないといった顔で八戒を見る。
 何故八戒が自ら苦痛を望むのか……と。
「僕はマゾなんですよ。
 もう痛みでしか快楽を感じられないんです。
 貴方の愛も僕には無意味でしかないんですよ」
 八戒は最後の希望を持って悟浄を見る。
 悟浄が自分の求めている返事をくれる事を祈って。


「分かった、じゃあ俺は八戒の為にサドになる」





 最後の賭は負けだった。
 悟浄は自分を嫌ってはくれなかった。
 嫌って、軽蔑して欲しかったのに。
 彼の愛は……今では重く苦しいだけ。


「あ……あぁ……」
 悟浄の持った皮の鞭が八戒の肌に振り下ろされる。
 八戒の白い肌は鞭によって赤く染められる。
 ……でも足りない。
 予想通り、悟浄から与えられる痛みは生ぬるいものだった。
 悟浄の性格では本気でやる事など出来ないとは分かっていたけれど……。
「八戒…気持ちいいか?」
「……………」
 愛情が見え隠れする。
 愛しているから必死に与えようとする苦痛なんて……萎えてしまう。
 心は何も動かない。
 ……つまらない。
「……八戒…?」
 あそこで悟浄が自分の事を嫌ってくれれば、そうすればここから出る事も無かったのに。

 ──── 貴方の前から消えなくても良かったのに。

 でもそのまま我慢する事も出来なかった。
 いつの間にか愛は自分にとっての苦痛でしかなくなったから。
 苦痛を愛と感じとるように……。
 そこまで自分は壊れてしまったから。




 だから家を出た。
 悟浄の元を離れ……再びあの人の所へ行くために。
 あの人なら、自分を本気で憎み…嘲り…罵倒してくれる。
 自分の求めている本当の苦痛を与えてくれるから……。

 どこから道を間違えてしまったかは分からない。
 でも…もう元の道には戻れない。


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