青少年のための管弦楽入門  第一話  Op139ー1


 桜の花びらの散る中、三年にあがったばかりの猪八戒は掲示板の前で愕然としていた。

 ここは長安音楽大学、四年制の私立大学だ。
 八戒はこの大学の器楽学科ピアノ専攻の新三年生である。
 四月の新学期まっただ中の大学掲示板では、ガイダンスの予定などが所狭しと並べられていた。
「なんで……」
 その端に『実技担当変更』と書かれた小さな紙が貼られている。
 その名の通り、実技レッスンの担当教員の変更を知らせる紙である。
 この学校では基本的に一年から四年まで実技担当が変わる事はない。
 しかし一部では例外もある。
 それは担当教員が定年などで辞める時。
 そしてもう一つ、諸事情によりどうしても変更して欲しいと生徒側から届け出があり受理された時である。
 八戒はそのどちらにも覚えがなかった。
「どういう事なんでしょう……」
 ワケが分からず、ただ呆然と呟くしかない…。
 しかも、その変更になる教員が問題である。
 『清一色』技術・音楽性・指導力には問題はない。
 しかし彼がホモで、レッスン中にセクハラ行為が行われているという噂を知らないのは一年生のそれも四月の間ぐらいだろう。
 それぐらいに有名な話なのだ…。
「これってやっぱり……」
 その続きとなる言葉は口内で消え、溜息へと変えられていった。


「………んー………」
 この今の気持ちを誰かに…と、親友の沙悟浄の元にかける。
 悟浄は同じ新三年生、器楽学科弦楽専修。専攻楽器はチェロだ。
 彼もこの大学の学生なのだから、今日はガイダンスと予定等の発表で学校に来ているハズなのだが……。
 電話はむなしくコール音を繰り返すだけである。
「まさか、まだ寝ているんじゃないでしょうね……」
 悟浄は同じ学生アパート、それも隣の部屋に住んでいる。
 昨夜は遅くまで誰かと騒いでいる気配があった。
 ということは、まだ寝ている確率は……高い。
 こんなことなら出かけに起こしてくればよかった、と八戒は溜息を吐く。
 やがて電話は受け入れられる事なく留守電へと切り替わる。
「……八戒です。いい加減起きてください。
 練習室にいます。学校についたら連絡して下さいね」
 それだけ言うと電話を切り、ケータイをポケットに戻した。
 悟浄がこの電話に気づくのはいつになるやら……。


 大学にはいくつか練習室がある。
 空き時間に練習する時や、伴奏あわせをする時などに使用されるものだ。
 一回の使用は一時間で、それ以降はまた借り直しになる。
 部屋には限りがあるため、試験前にはかなりの待ち時間となる。
 しかし今日は多くの鍵が残されていた。
 八戒はその一つをとり、用紙に学生番号と時間を書き込む。
 こんなにも余っていれば選びたい放題だ。
 いつもなら一時間近く待たされるのに……。
 八戒はそう思い小さく笑う。
 まあ、こんなガイダンスの日から部屋を借りて練習する者などあまりいないだろうが……。
 新入生は部屋の借り方もまだ知らないかもしれない。
 在校生は、久しぶりの友人と語らっていたりするだろう。

「……さて」
 八戒は小さく息を吐き、ピアノの蓋を開ける。
 八戒自信も、今日は学校で練習するつもりではなかったので楽譜など持ってきてはいない。
 とりあえず指慣らしにスケール(音階)など弾いてみる。
「…………………」
 小さい頃から何度も繰り返してきたスケール。
 いわば運動前の準備体操、ストレッチだというのに……。
「めっためたですね」
 八戒は一人そう呟き苦笑する。
 思ったよりも動揺している。
 まさか”あの”先生の門下に入る事になるとは……。
 大きく溜息を吐く。
 そしてピアノの蓋を閉じた。
 気が重い……。
 その気の重さが指にまで伝わって、指が重く思うように動かない。
 こんな状態えは練習なんて出来ない。
 ……元々悟浄が来るまでの暇つぶしなのだ。
 悟浄がくるまで……暇だなあ……。
 そう思った時その音が耳に入った。
 ……隣の練習室……?
 練習室はボロいので、一応防音してあるとはいえ隣の音は結構聞こえてくる。
 それ事態は何も珍しい事はない。
 気になったのは『その音』だ。
 ヴァイオリン……。
 これはサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲三番。
 ヴァイオリン曲の中では八戒が一番好きな曲だった。
 ヴァイオリンらしく、力強く…そして美しい……。
 これはそれを完璧に表している。
「……誰?」
 この学校にそんな音を持った人など居ただろうか。
 悟浄の伴奏で弦楽の試験に顔を出す。
 この学校のヴァイオリンの人の演奏はほとんど聴いている。
 でもこんな音の人は、居なかった。
 新入生……?いや……。
 前にも一度だけ聴いた……同じように練習室から聞こえてきた。
「あ……」
 音が止まり、やがて隣の練習室の扉が開く音が響く。
 八戒はそっと扉を開け、その人を確認する。
「……………」
 男性だった、金色の髪をした……。
「あっ……」
 突然その人が振り返る。
 八戒は慌てて扉を閉めた。
 心臓が高鳴っている……。
 覗いていたのに気づかれただろうか……。
「……ふう……」
 八戒は心を落ち着けるために大きく深呼吸をする。
 一瞬だったけど、その顔は目に焼き付いていた。
 金色の髪、紫色の瞳……意志の強そうな…綺麗な人だった。
 まるでヴァイオリンの音のような……。
「綺麗な人……誰だろう……」
 八戒は小さくそうつぶやく……。


 色々な想いを胸に……新しい一年が始まる……





はい、音大モノです。二年越しの作品になってしまいました。
これ、確か設定はこのサイトを立ち上げたころにUpしたんですよね。
でも途中書きで春が終わってしまって、夏や秋にこんな話Upできないから来年…とか思ったらそれも失敗したり……。
なわけで、この二周年の機会に4月中にがんばってUpしました。
ああ、これでこのシリーズが始められる。

さて、一応三蔵×八戒メインな学園ストーリーですが、基本は音大ギャグです。
たまにシリアスやラブを入れたいとは思ってますが……。
音大日常ギャグが書きたくて始めたシリーズなので(のわりに始まらなかったけど。まあ、ちょうど世の中で『のだめ』とかはやって美的感覚だけではない音大ってのもはやり気味だしちょうどいいかー←イイワケ)
このままでは三蔵サマの出番すら危ない……。
でもまあ、よろしければ今後もおつきあい下さい。



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