潮煙 Op138



 八戒は手に持った携帯電話を見つめる。
 もう…悟浄を自分を繋ぐものはこれだけになってしまった。



 一ヶ月ほど前、ちょっとした喧嘩から悟浄は出ていってしまった。
 それは何が原因だったか、今では思い出せない。
 そんな些細な事だったハズだ…。
 でも悟浄はそれから戻ってこない。
「あ、メール……」
 手元の携帯が小さく震え、一件のメールを受信する。
 それは悟浄からのモノ。
 でも送信先が悟浄のアドレスであるというだけで、悟浄の署名もなにもない。
 そして書かれている内容は業務的な事。
 それだけしか……もう悟浄と自分を繋ぐものはない……。



 悟浄が家を出てから数日後に、八戒の元に悟浄からの一件のメールがきた。
 それは、ただ仕事の内容が書かれただけのメール。
 しかもその仕事とは……売春関係。
 もう悟浄はこういう物から手を引いたとばかり思っていた。
 八戒が勤めさせられていた、あの『ノーパン飲茶』もあのあと直ぐに手入れが入り、営業停止処分を受けた。
 それから悟浄からそういう話はまったく聞かず、ただ平和な時が過ぎていったから、悟浄はもうこんな仕事は辞めたと思っていた。
 でも違ったのだろうか。
 メールに書かれているのは、以前と同じ職種にしか思えない。
 このメールに書かれている仕事をやれと、そういう事なのだろうか。
 戸惑いの中に不安が生まれる。
 それは以前感じていた不安……。
 この仕事を断れば……もう悟浄は戻ってこない、そう思えてくる。
 ……悟浄は自分の事を愛してくれていたのではないのか。
 何も……変わっていないのか……。
 そんな疑問も、今では確かめる術はない。
 今自分に与えられた選択肢は、その仕事を受けるか受けないかの二つ……。
 受けなければ、もう悟浄には会えないかもしれない……。
 八戒は少し考え、悟浄にメールを返した。



 それからずっと、悟浄から入って来るのはその仕事の内容だけ……。
 新しく与えられた仕事、それは『出張イメクラヘルス』だった。
 八戒は悟浄からその内容のメールを受けると、八戒は一軒の事務所に向かう。
 それは外から見れば、ただの事務所のようにしか見えない。
 だが、中は無人……。
 八戒はそこに用意された衣装などの入った鞄を持ち、指定された家へと向かう。


『こんにちは、桃源通販です』
 普通のサラリーマンの様な格好でその家のインターホンを押す。
 そこまでは本当に……普通のセールスマンの様に……。
 でもこの扉が開かれたら……またいつもの様に痴態を演じなくてはならないのだ。
 そう思うと溜息が出てくる。
 それでも、笑顔を作り扉あ開けられるのを待つ…。

『待ってたよ』 
 そう言って扉が開かれる。
 八戒は軽く会釈をしてからその家に上がり、そして指定された服に着替える。
 今日の指定は『某有名私立男子校の制服』。
 客との関係は『生徒と先生』の設定だ。
『さあ、始めようか』
『はい、先生』
 その分、今の仕事の方が前よりは気が楽だ。
 その設定で、役に入り込んで演技してしまえばよいのだから。
 『猪八戒』という自分を捨てて、与えられた『生徒』という役柄を演じる。
 それだけの事……。
『僕は君の事が好きな何だ』
『あ…先生……駄目です……』
 自分が自分で無いように思える。
 服を脱がす男の手が遠い様に思えるぐらい。
 ただの……三文芝居だ……。
『あ……あぁ…せ…せんせぇ……』
 自分を捨ててしまえばいい……。



       ねえ、悟浄……いつになったら貴        方は僕を許してくれますか?
       いつになったら……帰ってきてく        れますか。


 ただそれだけを望んで……望み続けて……。




 あとは、本当にただ待つしかない。
 メールはいつ入るかわからない。
 その仕事の指定がいつかも分からない……。
 店に勤めて居たときは、時間が決められていたが今は不定期だ。
 立て続けにメールが入る時もあれば、何日も連絡が無いときもある。
 そんな時は、身体的には楽だけれども、心は不安で仕方がない。
 悟浄に捨てられてしまったのではないか……。
 もう悟浄は自分など必要としていないのではないか……と。
 道具でもいい。
 だから捨てないで欲しいと、心はそれでいっぱいなのだ。
 だから、今はただ黙って仕事をこなしていく。
 いつか悟浄が自分を許してくれて、戻ってきてくれる……その日まで……。




「あ、メール……。
 一時間後……ですか……」
 八戒はメールを読み、壁に掛けてある時計を見てそう呟く。
 指定された時間まではもう一時間しかない。
 すぐに用意して出かけなければ……。
 時間に遅れたりしたら……そんな事は直ぐに悟浄の耳に入るだろう。
 そんな事をしたらどうなるか分からない……。
 八戒が直ぐに『了解しました』とメールを返信する。
 メールをうけたら五分以内に返信する、それも義務づけられた事だった。
 その為か、八戒はいつでも手元に携帯を置いて置くようになっていた。
 メールが入った事に気が付かなかったなどという事がないように…tね。
 メールを中心とした生活だ。




「あ、ここですね……」
 いつもの様に、指定された荷物を持ち指定された場所へ向かう。
 指定されたマンションの一室。
 その場所は初めての所だった。
 最近では指名の多い八戒の仕事を悟浄が選りすぐってスケジュールを組んでいる。
 そのため、行き先は取引的にも有力になる相手ばかりで、同じ相手の元に通う事が多かった。
 だが、今日指定された場所は今まで来た事の無い所だ。
 新規の客など珍しい……。
 それとも、他の人の専属から流れてきたのだろうか……。
 そんな事を考えながら、インターホンを押す。
 機械的なチャイム音が鳴る間に八戒はゆっくりと息を吐き、大きく息を吸い込む。
「すいません、桃源通販です」
「鍵は掛かっていない、入ってこい」
 インターホン越しにそう男の言葉が返ってくる。
「こんばんは、桃源通販です…」
 扉を開け、部屋の奥に居るだろう客に向かって、八戒はもう一度そうお決まりの合い言葉の様な言葉を言う。
 それでも返事は返ってこない。
 不思議に思いながらも、そういう趣向のきゃくなのだろうかと、八戒は扉に鍵をかけ靴を脱ぎ奥へと入っていく。
「失礼致します……」
 最上階の眺めを一望出来るリビングに人の気配を見つけ八戒はそこへ向かう。
 その客は八戒に背を向けた形で椅子に深く腰掛けていた。
 その椅子は背もたれが大きく、今客の姿は確認できない。
「ご指名ありがとうございます、八戒です。
 なんでもお客様のご希望通りにいたします。
 よろしくお願いしますね」
 そこまで言い終わるかどうかのうちに、男の座った椅子が八戒の方へと回転する。
 その瞬間八戒は驚き思わずその場にへたり込んだ。
 ……まばゆい…金髪……。
 見間違うはずもない、三蔵法師の姿がそこにあった。
「何をやっているんだ、お前は……」
 三蔵はゆっくりと立ち上がると、床に座り込んだ八戒を見下ろす。
「三蔵……」
 何故三蔵がここにいるのか分からず八戒は立ち上がる事も出来ずに呆然とする。
 
 勿論三蔵が此処にいるのは偶然ではない。
 
 桃源郷の風紀が乱れているのを懸念した三蔵法師が、売春禁止条例を施行しようとしているという噂が夜の街に流れていた。
 ノーパン飲茶での一件は、そんな三蔵を引き込んでしまおうという悟浄達の策略もあったのだ。
 しかし、三蔵の力は悟浄程度のチンピラにどうできる物でもなく、ノーパン飲茶は査察をうけ取り潰しの第一号になっていた。
 そこで悟浄は今度は店舗を持たない形の出張ヘルスで条例を逃れようとしていたのだ。
 
 しかしその情報も直ぐに三蔵の元に入った。
 八戒が働かされていると知った時は少し自分の耳を疑ったが……。
 前回のあの出来事で言っていた悟浄の言葉はやはり演技だったのか。
 自分を愛し、慕う者を此処まで利用するとは……。 
 そして、今回この事業の査察をかねて、客を装い八戒を呼び出した…。
 本当に八戒が来るとは思っていなかったが……。


「三蔵……」
 少しずつ近寄る三蔵に八戒は座り込んだまま後ろに下がる。
 今捕まったら、悟浄にも迷惑が掛かる。
 考えられる事はそれだけだった。
 八戒は慌てて立ち上がり逃げようとする。
 しかしすぐに腕を捕まれ引き寄せられる。
「ったく。またこんなに痩せやがって……」
 三蔵は八戒の背後から両肩に手をおき、そう言う。
「とりあえず、今夜は俺が買ってやったからゆっくり休め」
 いつもの吐き捨てる様な口調……。
 それでもどことなく優しく……。
「三蔵…」
 ずっと張りつめていた心に優しさが染みる。
 こんなに優しくされたのなんて一体どれぐらいだろう。
 その暖かな空気に思わず涙がこぼれた。
「三蔵…僕……」
「いいから、もう休め…」
 八戒の涙に濡れた瞳を塞がせるように手で被う。
「ありがとうございます……」


 その晩、八戒は久しぶりにゆっくりと休む事が出来た。
 夢も見ない程の深い眠り。
 こんなにも落ち着く事が出来たのは……どれだけぶりなのだろう……。




「まだ悟浄に利用されているのか?」
 そんな心地良かった時間も、目覚めと共に失われる。
 優しくさせたことで、自分を見失いかけていたが…三蔵は悟浄の敵なのだ。
 悟浄の敵であるというのなら自分の敵でもある。
「いえ、悟浄は関係ありません。
 これは僕が勝手にやっているだけです」
 とっさに八戒はそう言う。
 悟浄は関係ないのだと、三蔵にそう思わせなければ……。
「お前が勝手にか?
 何の為に?」
「……男の人が好きだからですよ……。
 ノーパン飲茶の一件で僕の体に快楽が染みこまされてしまいましてね。
 だから体が疼くんです……男を求めて……快楽を求めて……。
 だからやっているんです。
 悟浄は関係ありません」
 八戒は必死にそう男好きの男娼を演じる。
「そうか……」
 だが、どう見ても悟浄をかばっているとしか思えない様子に三蔵は小さく笑う。
「どっちにしろ、取り調べをしなくてはならん」
 売春禁止条例の事は知っているんだろう?」
「……はい」
取り調べの言葉に少し躊躇うものの、八戒はゆっくりと頷く。
「お前が勝手に楽しんでやっているというのだな」
「はい」
「それが本当かどうか、証明してみろ」
 証明……それは……。
「いつも客にしているようにやってみろ」
 三蔵は冷たくそう言い放つ。
 ここで逃げる訳にもいかない……。
「分かりました。
 ……では本日のシチュエーションを設定してください」
 八戒はいつもの客に対しての笑顔を作りそう言う。
 仕事の自分を作れば……役柄に入ってしまえば、ただそれ通りに演じてしまえばいいのだから。
「そうだなあ、この状況はどうだ?」
「え……?」
「お前は売春婦で俺は客を装った捜査官だ。
 勿論知り合いのな……」
 三蔵の言葉に八戒は戸惑う。
 まさかそんな設定をしてくるとは思わなかった。
「できないのか?」
「出来ます」
 八戒は強くそう言う。
 例えそんな設定であっても、『演じて』しまえばいいのだ。
 自分とは関係ない……そう言う設定だと思えばいい……。



「あ……やぁ……」
「随分初々しい売春婦だな」
 自分を隠しきれない八戒に、三蔵は小さく笑う。
「そんな……」
 違う…そう言いたかった。
 自分を隠す事ぐらい出来るはずだったのに。
 今、自分は三蔵の目の前ですべてをあらけ出されているようだ。
「今まで何人ぐらいの男を相手にしてきたんだ?」
「……ん…やぁ……」
 守るもののない素の状態では、三蔵に翻弄されっぱなしになってしまう。
「訊いてるだろ。
 これは取り調べなんだぞ」
 そう言い、三蔵は限界に近い八戒の中心の根本を強く押さえ込む。
 解放を押さえ込まれ、八戒は苦しそうに顔をゆがませる。
「あ……覚えて……いません……」
 苦しそうに息を吐きながら必死にそれだけを言う。
「覚えてないぐらい沢山の男とヤッたのか。
 淫乱だな」
「ち……」
 違うと言いそうになり、八戒は必死に残りの言葉を飲み込む。
 今、自分は淫乱な男好きを演じているのだと、必死に言い聞かせる。
「好きです…淫乱な男好きなんです…」
「そうか」
「……ぐっ……」
 急に突き立てられた三蔵のモノに八戒は来る刺激に息を吐く。
「お前はコレが好きなんだろ?」
 三蔵はそう笑いながら一気に体を押し進めた。
「はい……好きです……あ…熱い…」
「好きならもっと自分で腰を振ったらどうなんだ?」
 三蔵はなおも言葉で八戒を責め立てていく。
「あ……あぁぁん…ふぁ……も…あ…あぁぁぁぁ」





 ぐったりと気絶したままの八戒の体にシーツを掛けると、三蔵はテーブルに置いた携帯をみる。
 昨夜八戒が寝たあと音を消しておいた彼の携帯だ。
 画面を見ると『新着メール15件』の表示。
 三蔵は無言のまま、その受信メールを見る。
 内容は悟浄からの仕事内容。
 八戒からの返信が無いからか、同じ内容のメールが何度も再送されていた。
 今こんなことになっているとは、悟浄は何も知らないだろう。
 三蔵は小さく笑うと携帯の電源を切った。

 八戒が悟浄に言われて仕事をしていたという事はこのメールで確証された。
 勿論八戒のいう『自分の趣味で』などと言う言葉などは初めから信じてなどいなかったが……。
 何が八戒をそこまでさせるのかは分からない……。
 だが……


「馬鹿なヤツだよな……。
 あんな男の何処がいいんだ……」



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