三蔵×八戒の為の交響詩『ぐるりよざ』Op129

 

   第三楽章


 

「三蔵…これから何処へ向かうんですか?」
 着の身着のまま寺を出て……一番近い町で八戒は三蔵にそう尋ねた。
 何も持たぬまま、何も考えずに寺を出てしまった。
 本当なら不安な事が多いはずだけど、…不安な事なんて無かった。
 心はとても軽い。
 ……三蔵の側に居られるから。
 すべてを捨てて……必要なものはお互いだけ。
 そんな状態を、心の底ではいつも求めていた。
「何処だっていいだろ。
 別に目的があるわけでもないしな」
 目的のない旅……。
「そうですね」
 今……自分は自由だと…八戒はその幸せを噛みしめた。
「行きたい所があったら言えよ」
「はい」

 

 自由……。
 何者にも何事にも囚われず縛られず……ただ二人で居たい。
 ここが何処であっても貴方だけそこに居れば何も構わない。
 自分が求めているのは貴方だけ…。
 貴方が求めているのは自分だけ…。
 そして……。
 そして…貴方を求めているのは自分だけ…。
 そうであったら……どんなに良いことだろう。


 忘れていた訳ではない。
 でも忘れたかったのかもしれない。
 どんな所に行っても…貴方は自分だけのものにはならないのだと……。
 貴方を求めているのは……自分だけではない。
 


 ーーーーーねえ…どうして貴方は三蔵法師なんですか?

   僕は貴方が三蔵法師だから好きになったわけではありません。
   貴方が貴方であるから……だから好きなんです。
   でも……貴方は三蔵法師だから……。
   だから…決して僕だけのものにはならない……。

 

「どうした?」
 町の中、俯いたまま歩く八戒に三蔵がそう声を掛ける。
「いえ、何でもありません。
 ちょっと疲れちゃって……」
 八戒ははっとして顔を上げ、笑顔を作り三蔵に答えた。
 でもそれは嘘。
 俯いていたのは疲れていたからなんかではない。
 気になるから……。
 三蔵を見る町の人たちの視線が気になるから。
『僕の三蔵を見ないで』
 …そう言ってしまいそうになる。
 そんな事は勿論言ってはいけない。
 そんな事を言う資格だってない……。


「三蔵法師さま…どうか私たちをお救いください!」
 いつか、こんな事が起るのではないかと思ってはいたけれど…。
「…………」
 やっぱり直ぐにこうなってしまった。
 まだ荒れているこの世界では、神などに救いを求める人は多い。
「三蔵さま…」
「三蔵法師様……」
「どうか…私の子供が……」
 みんな三蔵に縋り助けを求める。
 三蔵法師に……。
 町の人たちに囲まれている三蔵は…とても遠くに感じる。
 皆が救いを求める『三蔵法師』なのだ。
 八戒は一歩下がり目を伏せた。
 こんな様子を見ていたくない。


「三蔵…僕先に宿に戻ってますね……」
 この場にいるのが辛くて…八戒はそう言うとその場を後にした。


「三蔵法師さま…か」
 一人戻った部屋で八戒はそう呟き溜息を吐いた。
 何で三蔵を好きになってしまったのだろう。
 相手が三蔵でなければこんなに苦労する事も嫌な想いをする事もなかった。
 自分だけのもので……自分だけを見つめてくれる…そんな人だったら何も苦労はしなかっただろう。
 だったら……今でも遅くはない…。
 自分だけを見てくれる、そんな人を見つければ……。
 そうすれば、もうこんな想いはしない。
「三蔵…もう僕は疲れてしまったんです」
 貴方を遠くに感じて、待ち続ける事に……。
 でも……。
「八戒、戻ってるか?」
 扉が開き三蔵が部屋に戻ってくる。
「おかえりなさい、三蔵」
 言おう…この気持ちを……。
 今想ってる事全て言ってしまおう。
 もう限界だって…。
 もう待ち続けるのは嫌だって。
 ……でも。
「先に戻るな。お前が居ないと困るだろう」
「三蔵…」
 そう言われて抱きしめられると…何も言えなくなる。
 この暖かさから離れられない。
 どんなに辛い想いで待っていても、自分の元に戻ってきてくれれば…こうして暖かさをくれる事を知っているから。
 …だから離れられない。
 そして、自分の中で押えている気持ちだけが、少しずつ溜まっていく。


 次の日の朝早くにこの町をでた。
 町の人に絡まれるなんてたまらないから。
 でも次の町に行った所で……同じ事の繰り返し。
 町の人は三蔵に縋り助けを求める。
 何故?何故三蔵に助けを求めるの?
 僕の三蔵なのに。
 僕の三蔵に触らないで…近寄らないでtね。
 そんな気持ちが八戒の心を埋めていく。


「寄らないで。僕の三蔵に寄らないでください。
 貴方達は他の三蔵法師でもいいんでしょう。
 『三蔵法師』ならだれでもいいんでしょう。
 だったら他の人にしてください。
 僕には…僕にはこの人しかいないんですから」


「八戒……」
「あ……」
 気が付いた時には全て言葉にだしてしまった後だった。
 八戒は慌てて自分の口を手で覆った。
 でも、もう遅い……。
「あ……ごめんなさい」
 八戒は小さくそう言うと、走ってその場を後にした。


「何であんな事言ってしまったんだろう」
 宿の部屋で八戒は小さく呟く。
 人々の前で晒してしまった…自分の醜い心。
 あんな事、言ってはいけないのに。


「八戒……」
「なんで…なんで三蔵は……三蔵法師になんてなったんですか。
 だから……だから……」
 八戒の頬を静かに涙が伝っていく。
「八戒、落ち着け…」
 三蔵は八戒を後ろからそっと抱きしめる。
 八戒の体が微かに震えているのが三蔵の体に伝わる。
「三蔵が、三蔵法師でなければこんな事は無かったんです。
 こんな風に悩む事もなかったんです。
 三蔵が……三蔵が……」

「そうか。……分かった」

 三蔵はひと言そう言い立ち上がった。
「……三蔵」
 今まで自分の背中に伝わっていた熱が感じられない。
 それと同時に自分の中で血が引いていくのが分かった。
 自分は今何を言っていたのだ……。
 感情にまかせてとんでもない事を言ってしまったのでは…。
 三蔵のせいではないのに……完全な八つ当たりだ。
「あ…あの……三蔵……」
 自分の言った事を思い出し、青ざめる。
 あれではまるで別れ話をしているようではないか。
 三蔵の言った『分かった』というのは、自分と別れるという事なのではないか。
 八戒の心に次々に不安が押し寄せる。


 でも三蔵は何も言わなかった。
 無言で経文を外すと、ポケットからライターを取り出す。
「三蔵、何をするんですか」
 ライターで付けられた火は、経文の端を焦がす。
 やがて火自体が移り、経文を燃やし始めた。
「やめて下さい!」
 八戒は慌てて三蔵の手から経文を奪い、素手で火を消す。
 その熱で手は痛んだが、そんな事は気にならなかった。
 ただ経文についた火を消さなくては…、その時はそれしか考えられなかった。

 

「なんでこんな事をするんですか」
 少し焦げてしまった経文を手に八戒は三蔵にそう尋ねる。
 これがどれだけ重要なものか、三蔵が知らないハズはない。
 それなのに、どうしてこんな事を……。
「俺が『三蔵法師』だから、こんなモノがあるからお前は苦しんでいるのだろう」
 三蔵の手が優しく、八戒の涙を拭き取る。
「お前が苦しむのなら、俺は『三蔵』なんていらない」
 真っ直ぐに返される言葉…。
 その言葉に自分が恥ずかしくなる。
「三蔵…」
 三蔵はいつだって自分の事を真っ直ぐに見ていてくれた。
 それなのに自分は……。
「ごめんなさい、三蔵。
 僕、我が侭ばかり言って……。
 自分の事ばかりで、三蔵の事考えずに……。
 ……酷いですよね」
 自分の事を棚に上げて、人のことだけ怒って。
 三蔵は自分の事を考えていてくれたのに、下らないヤキモチで……。
 なんて馬鹿なのだろう……。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 何度も何度も謝罪の言葉を重ねる。
 何度言っても足りなくて……。
「……気にするな。
 俺はお前に我が侭を言われるのは好きだがな」
 三蔵はそっと八戒を抱きしめる。
 三蔵に抱きしめられると、それだけで気持ちが穏やかになっていく。
 離れていると、あんなにも不安だったのに。
 今は何がそんなに不安だったのか分からないぐらいに満たされている。
 ただ抱きしめられているだけなのに、それだけでもう……何も怖くない。
「三蔵…。三蔵、僕の事甘やかしすぎですよ」
 八戒はそう言って小さく笑う。
 でも…ずっとこの腕の中で甘えていたい…。

 

「三蔵、これからどうします?
 やっぱりお寺に戻った方が良いですかね」
 まだ、寺をでて数日しか経っていないが、何も言わずに出てきてしまったのだから、寺ではそれなりに騒ぎになっているだろう。
「面倒臭いな。
 まあこの際、もう少し旅をしてから戻るか」
「良いんですか?」
 八戒は笑ってそう言うが、もう二人の足は寺へ戻る道とは反対方向を向いている。
 勿論手はしっかりと繋がれたまま…。
「旅先で適当なヤツでも捕まえて『三蔵』を押しつけるか」
「ははっ、それいいですね。
 そうしたら、三蔵は僕だけの『三蔵法師』ですね」


 ーーーーーずっと僕だけの……

 

 

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