三蔵×八戒の為の交響詩『ぐるりよざ』Op129

 

   第一楽章

 西を目指した旅が終わった時、三蔵は言った…。
『一緒に暮らさないか』
 その言葉は…ずっと望んでいたもの。
 だから八戒は直ぐにそれを受け入れた。
 今、自分は幸せで……何も疑う気持ちも、不安な事も無かったから。


 でもその考えは甘かったのかもしれない。
 今まであれだけ苦労して、信じられるものも、『幸せ』という存在さえ疑うような…そんな愛だって知っていたハズなのに。
 ……すっかり平和呆けをしていたのかもしれない。

 


「さすがにこのお寺は広いですねえ」
 八戒は寺の者から与えられた部屋に荷物を置きながらそう呟いた。
 その部屋は門からかなり離れており、少しの荷物だったとはいえこれだけの距離は少し疲れる。
 門から離れた……奥まった部屋。
 窓は小さなものが一つ、それも北向き。
 お世辞にも綺麗とは言えない小さな部屋。
 おそらくずっと物置に使われていたのだろう。
 溜まっているホコリとカビ臭い空気には溜息がでてしまう。
 まあ、突然といえば突然だったのだから仕方がないだろう。
 自分にそう言い聞かせ、八戒は掃除道具を探しに部屋をでた。


「八戒〜、荷物片づいた?
 手伝いに来たよ〜〜」
 ようやく荷物をほどける程の段階になった時、八戒の部屋に悟空が訊ねて来た。
「やっぱり八戒の部屋もこんな感じなんだ」
 悟空は部屋を一回り眺めると、小さく呟いた。
「………?どういう事ですか?」
 悟空の言葉に八戒はそう聞き返す。
 悟空は少し俯いてからゆっくりと口を開く。
「なんか、この部屋牢獄みたいじゃん。
 俺の部屋もそうなんだけどさ……。
 この寺広くて一杯部屋だってあるのに…俺たちが居ていいのはこんな部屋なんだよ」
 悲しそうに言う悟空に八戒は言葉を失った。
 ……そんな事、…考えて居なかった訳じゃない。
 それでもなるべく考えたくは無かった事。
「……僕は、ここに来ては行けなかったんですかね……」
 この寺の門をくぐった時からずっと心の片隅にあった不安が小さな呟きになって現れた。
 寺の人たちが自分を見る目は、どう見たって好意的には見えない。
 むしろ……。
「八戒……違うよ。八戒は三蔵に望まれてココに来たんだろ?」
 そう…三蔵が自分をここに呼んでくれた。
 一緒に暮らそうと言ってくれた。
 でも……それは三蔵だけが。
「そうですよね……元罪人の僕がここで三蔵と共に暮らそうだなんて……周りの人が許しませんよね」
「八戒…違うって……」
 身分が違い過ぎる。
 そんな事は分かっていたのに……その事実は心に重くのし掛かった。

 

 この寺で暮らし始めて数日が経った。
 でも八戒と三蔵の時間はずれていて、一緒に過ごす事はおろか、顔を会わす事も数える程だ。
 長い旅からやっと戻ってきたのだから、公務なども溜まっているのだろう。
 仕方がない事……八戒は何度もそう自分に言い聞かせた。
 それでも埋める事の出来ない心の隙間はどんどんと増えていく。
 ……旅に出ていたその時の方がずっと良かったと考える自分がいる。
 あの時はずっと一緒に居られたのだから。
 でも過去の事を想ってもどうしようもない…。
 そう思っても…そんな想いは捨てられず増えて行くばかりだ。
 仕方がない事かもしれない。
 あの頃は毎日一緒にいた……これからも、ずっと一緒に居られるものだとこの寺に来たのに……。
 同じ建物に居ても、三蔵は遠い。
 自分は近づく事の出来ない身なのだ…。
「……三蔵……」
 自分はこんな奥で、貴方の事を考える為に此処に来たのではない。
 貴方に会いたくて…貴方の側に居たくて此処に来たのに……。
「貴方に会いたい……」
 この心の隙間を埋める事が出来るのは…三蔵…貴方しか居ないのだから……。


「八戒」
 そう自分に掛けられた声に八戒は耳を疑った。
 幻聴だと、そう思った。
 だって三蔵は……。
 それでももしかしてと振り返る。
 そこには紛れもなく三蔵の姿が……。
「三蔵……どうしたんですか?
 今日は、お仕事で戻られないって……」
 早く三蔵に触れたいと言う気持ちを必死に押えて八戒はそう言う。
 この自分の目の前にいる三蔵は…本物…?
 触れたら消えてしまう幻ではないのだろうか。
 でも…それでも……。
「早めに終わったからな、泊らずに戻ってきた。
 …お前が泣いてるかと思ってな」
「もう、泣いてなんか……」
 小さく笑う三蔵に、八戒はそう言おうとした。
 でも…途中で言葉を遮るように、涙がこぼれた。
 どうしてだろう…。
 何故、こんなにも涙がでるのだろう。
「何も泣くことないだろう。
 そんなに俺に会いたかったのか?」
「違……いえ……、会いたかったです。
 三蔵、会いたかったに決まってるじゃないですか」
 素直に言葉に表してしまえば、その気持ちは止める事が出来なくなり、次から次へとあふれ出す。
「分かった。分かったからもう泣くな」
 優しく触れた三蔵の手はとても暖かくて……。
 三蔵が触れた所から、その暖かさが体中に広がっていく。
 心の隙間が埋められて行くのが分かる。
 じんわりと乾いた心に吸い込まれて行くみたいで、涙は次々溢れ出てきてしまう。
 泣くなと言われても、八戒は涙を止める事が出来なかった。

 


「落ち着いたか?」
「はい……すいません。みっともない所見せてしまって」
 三蔵にずっと抱きしめられて、体温を感じているうちに随分と落ち着いてきた。
 それと同時に恥ずかしさがこみ上げてくる。
 八戒は三蔵の顔をまともに見ることが出来ず、隠れるように三蔵の胸元に顔を埋めた。
「お前は本当に可愛いヤツだな」
「三蔵っ…」
「泣いてばかりいるからか?
 お前の涙は随分甘いなあ」
 からかうように言う三蔵に八戒は思わず顔を上げる。
 三蔵はすかさず顔を上げた八戒の顎を掴むと、少し涙に濡れた唇にそっと口づける。
 あまりに自然に唇を奪われてしまったため、八戒は少し経ってから何が起きたのかを把握し顔を紅く染める。
「三蔵!……もう…」
 真っ赤な顔のまま三蔵を軽く睨むが、少しも動じない三蔵に八戒は小さく溜息を吐いた。
 いつもいつも三蔵には簡単にからかわれてしまっている気がする…。
 でも、それでいつも心が少し軽くなる。
 それが…三蔵の優しさなのだろう……。


「三蔵、僕はここに居てもいいですか?」
 そっと小さく、不安を乾いた唇にのせて飛ばす。
 『ここに居ていい』という返事を望んで。
 三蔵の言葉でもう一度確認させてほしかったから。
 じっと見つめる八戒の翠の瞳を三蔵は右手でそっと伏せる。
 そして再び八戒の唇に自分のそれを重ねる。
 先ほどのような軽い口づけではない……。
 お互いが溶け合う程の深い口づけ。
 何度もそれを交わした。
 すっかり乾いてしまった唇を、今度は涙ではなくお互いの唾液と吐息で濡らす……。
「当たり前だ。お前の居る場所は俺の所だと決まっているだろう」
「……ありがとうございます…三蔵…」
 その言葉に八戒は安堵笑みを漏らし、そっと再び三蔵の胸に顔を埋めた……。

 

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