恋っていいものですね。
誰かと歩く。 誰かと話す。 誰かと走る。 それらの全てに視線が追い掛ける。 気が付いて視線を離しても、無意識に視線が追う。 これが何なのか、自分自身に問いかける。 答えを見出すのに時間は掛らなかった。 これが世間一般に言われる『恋』なのだと。 但し、この行動が一方通行でなかったのは幸いだった。 視線を向けていた相手も、同じように見ていたのだから。 次に視線だけでなく、行動を起こす。 自分と歩く。 自分と話す。 自分と走る。 それまでは誰かだった場所を自分と置き換えてみた。 今まで気が付かなかった表情が見えて来た。 初めて見る表情は、まるで硬い蕾がゆっくりと開くような優しさで、自然と頬が緩む。 ああ、恋とは良いものだと、初めて知った。 「…俺だって同じだよ」 「そうか」 「うん、部長は近いようで遠い存在だったから表面のほん一部しか知らなかったからね」 けれども、こうしてお付き合いを始めて、今まで見えなかった色々な面を知り得た。 一つ知るともう一つ知りたくなる。 二つ知るとまた一つ知りたくなる。 いつかは全てを知り得てしまう日がかもしれないが、その頃には一番初めに知った事を忘れているかもしれない。 そうしたら、また初めから教えてもらおう。 自分の性格だったら絶対に面倒なはずなのに、何故かそんな気持ちにならない。 『恋』とは不思議なものだ。 「リョーマ、俺はもう『部長』ではないぞ」 「わかってるけど、何か呼び慣れちゃってるから、なかなか変えられないんだよ…手塚先輩」 部長から先輩に。 学生服を着ている限り、彼等の関係は先輩と後輩の間柄。 しかも、部活動では部長と部員の関係だった。 数ヶ月間で身に沁みついた呼び名を変えるのは、なかなか大変な作業。 それなのに、私服になると、その関係は一変する。 二人は恋人関係。 学生服を着ている間は生徒。 しかし、学生服を脱ぎ捨てれば二人は恋人になり、その呼び名も変わる。 ただし、男同士という関係は、一般的な男女の恋愛とは異なる。 手を繋いで歩くなんて出来ない。 腕を組んで歩くなんて出来ない。 イチャイチャ、ベタベタなんて出来るはずもない。 頭の片隅では虚しさを感じつつも、二人きりでいられる時間は至福の時。 勉強会と称してお互いの家に行き、部屋の中で二人の時間を過ごす。 男女なら互いの家族の監視もあるが、男同士だからそういった煩わしさはない。 指に触れ、手を重ねる。 身体を寄せ、頬を近付ける。 吐息を感じながら唇を触れ合わせる。 その眼に映る自分の姿に、これが夢ではないと感動する。 その瞬間の喜びは言葉に出来ないほど。 「じゃあ、また明日」 「ああ、また明日な。寝坊するなよ」 「わかってる。先輩と一緒にいられるのに、寝てなんかいられないよ」 普段の彼が発したのなら、誰もが耳を疑う言葉。 そう思われても仕方がないほど、寝るという行為はリョーマにとって大切な行為。 テニスと睡眠がリョーマの代名詞と言っても過言ではないからだ。 それなのに、いつの間にかその二つよりも大切なものが出来てしまった。 目の前にいる人との時間。 24時間の中で何時間過ごせられるかわからないから、一分でも一秒でも大切にしたい。 手も繋げない平日の午後もあと数時間で終わり、明日から始まる短い休日を二人は恋人として過ごす。 こうして二人は 『恋』 とは良いものだと、再認識するのだった。 |