僕には君がいる
温暖化の傾向か、最近の冬はあまり寒くないが、それでも気温が下がれば寒く感じるわけで、早朝に吐く息は白い。 夜になれば屋外は煌びやかなイルミネーションで輝き、人々はしばし歩みを止めて、そのファンタジックな光に視線は注がれる。 「…人が多いね」 「連休だからな」 冬休みに突入したばかりの3連休は、仕事に追われる社会人にもクリスマス気分にさせ、イベントが行われる各地に大勢の人が集まる。 浮き足立つ足取りで公共交通機関に向かう人々の波を掻き分け、手塚とリョーマはその波に逆らって歩く。 「おばさんがケーキ焼いてくれたんだよね」 「ああ、昨日から張り切っていた」 「楽しみ」 ふわふわのファーが付いたフード付きの白いコートに身を包んでいるリョーマは、小さな紙袋を片手に持ち、もう片方の手を手塚と繋いでいる。 「両親も祖父もお前と過ごすイヴを楽しみにしているぞ」 「ホント?」 ブラウンのコートと黒いマフラーで防寒している手塚は、大きな紙袋を片手に、もう片方の手をリョーマと繋いでいる。 誰もが浮かれているから男同士で手を繋いでいたとしても、気が付かないどころか気にも留めない。 誰もが自分の事と、彼女、彼氏、家族の事で一杯。 「チキンも焼くと言っていたぞ」 「すごいね。でも、そんなに食べられるの?」 「リョーマが来るからこそケーキもチキンも焼くんだぞ。だから今更キャンセルは出来ないからな」 「もちろん、キャンセルなんてしないよ」 リョーマの誕生日であるクリスマスイブは、毎年のように家族でささやかなパーティーをしていたが、今年は母親の倫子が手に入れたホテルのディナーを夫婦水入らずで楽しむようで、従姉妹の菜々子も大学の仲間とクリスマスパーティーするのだと、昨日から家を出ている。 両親からは『自宅待機』と言われたが、1人と1匹で留守番はつまらない。 と、リョーマが手塚の家で愚痴を零したから、それを聞きつけてしまった彩菜から「イヴは是非、泊まりで来てね」と言われ、好意に甘えてこうして手塚の自宅に向かっていた。 先に荷物を置いてから、2人はこうして街中に出掛けていた。 人ごみが苦手なのに、わざわざ出かけた理由は、リョーマからの提案で『おじさんとおばさんとおじいさんにクリスマスプレゼントを買おう』で、電車に乗って有名百貨店まで足を伸ばしていたのだ。 「喜んでくれるいいな」 リョーマの手が持っている小さな紙袋は彩菜用のプレゼント。 「喜ぶに決まっているさ」 手塚の持っている大きな紙袋は父親の国晴と祖父の国一用のプレゼント。 2人は顔を見合わせて、小さく笑った。 「…あれ?家の前に誰かいるよ」 駅近くのカフェに立ち寄ってから帰ると辺りが薄暗くなってきた。 完全に暗くなる前に自宅付近までやってくると、家の前に数人が立っているのが見えた。 何をしているのか眺めていると、どうやら家のチャイムを押そうか悩んでいるようで、遠くから見れば怪しい光景だった。 「あれは…」 足を止めて様子を伺っていると、手塚は思い当たる節があるようで、確かめるようにじっと見つめる。 「国光も知り合い?」 「俺のクラスの女子だ」 クラスメイトと聞いて、リョーマは繋いでいた手を離す。 2人の関係を知られて困るわけではないが、それでも変な尾びれが付いて、手塚に嫌な思いをさせるのだけは避けたい。 「…何の用かな」 「ここにいても始まらないからな。行こう」 「…うん」 何だか嫌な予感がするが、ここにいても解決はしない。 手塚はリョーマのポンと背を押して、歩き出した。 「…ねぇ、ほら、あっち」 「あっ、手塚君」 「な〜んだ、出掛けてたんだ」 家の前にいたのは3人。 髪を綺麗にセットし、顔は校内で見た事の無いような化粧をしているから、擦れ違っただけではクラスメイトだと気付かず通り過ぎるに違いない。 「何の用だ?」 「えっと、これからクリスマスパーティーをするから、良かったら手塚君も来ない?」 「他にも男子来るから」 「そうそう、家族で過ごすなんてつまんないよ」 それぞれが矢継ぎ早に喋るが、手塚は黙って話し終わるまで聞いていた。 手塚の後ろに隠れるように立っていたリョーマは、どことなく居心地悪そうにしていた。 (この人達、国光が好きなんだ…) こんな時間に誘われたら、真面目な手塚だから無下に断りはしないだろうと踏んでいるのか、3人は手塚の予定なんてまるっきり無視して誘い続ける。 リョーマは手塚がどうするのか、ドキドキしながら聞き続けている。 最悪はこのまま連れて行かれる事だ。 「ね、手塚君。行きましょう」 「誘いに来てもらって悪いが、断る」 そろそろいいかと、手塚は3人に向かってきっぱりと断りの言葉を口にした。 「何で?ねぇ、何で?」 「ちょっと、私達で誘えば断らないって言っていたじゃない」 「私に言わないでよ」 手塚が断らないと決め付けていた3人は、ちょっとしたパニックになっている。 「すまないが、家の前で騒がれると迷惑なので帰ってくれないか」 慌てふためくクラスメイトの様子を見ながら、手塚は毅然とした態度を取る。 静かな住宅街で、こんなふうに喋られると隣近所から「何事か」と様子を見に来るかもしれない。 家族に迷惑を掛ける前に、クラスメイトには悪いが、ここから立ち去ってもらおうと、手塚は少しきつめに言ってみた。 「あ、ごめんなさい」 「…中学最後のイヴだから、手塚君にも参加して欲しくて」 「それで私達…」 最後の手段だと、少し目を潤ませる。 女の武器を使うが、手塚には効果はない。 「俺にも大切な予定がある」 ちらりと背後にいるリョーマに視線を移せば、『他にも人がいたのだ』と、今頃気付いたのか、3人も身体をずらして手塚の背後を見る。 「あ、もしかして…彼女?」 「そうだったんだ…」 「それならそうだって言ってくれれば良かったのに」 顔を背けていたから、3人からはリョーマの顔は見えなかったようだ。 ただ、着ていたコートが女物と見紛う物だったので、『女の子』だと勘違いしていた。 「わかってもらえたのなら帰ってくれないか」 「あ、じゃあ、また来年ね」 「メリークリスマス、手塚君」 「彼女もゴメンね」 そそくさと急ぎ足で家の前から立ち去る3人の後姿を眺め、手塚は溜息を吐いてから振り返った。 「…俺、彼女だって」 怒っていると思っていたリョーマはくすくす笑っていた。 「そのようだな」 「国光って本当にモテモテだね」 「俺はお前に好かれていればそれでいい」 どんなに姿形美しくても、どんなに才色兼備でも、リョーマ以外は目に入らないほど、心の底から惚れている。 そう告げれば、リョーマは照れ臭そうに笑みを浮かべていた。 「少し冷えてきたな、家に入ろう」 「ん、そうだね」 離していた手はこの気温で冷たくなっていたが心の中にはほわりとした温かいものに包まれていた。 家に入ればチキンの良い匂いが漂っていて、リョーマのお腹はグーと反応した。 「腹が減ったか?」 「ま、昼ごはんがハンバーガー1つだけだったからね」 「もう少し、待っていてくれ」 プレゼントを階段に隠し、手塚はリョーマをリビングに連れて行く。 まずは戻った事を伝えなければ、リョーマの望む食事は始まらないのだから。 リョーマはソファーに座らせて、キッチンには手塚だけが入る。 「ただいま戻りました」 「あら、早かったのね。夕飯は何時がいい?」 「リョーマはいつでも良いそうです」 「おじい様もお父さんも家にいるから、もう少ししたら始めましょうね」 テーブルの上には家族だけなら絶対に出て来ないようなメニューが並んでいる。 「…母さん、張り切るのは良いのですが、これは多いのでは?」 食べきれないほどの品数と量。 残ったら明日の朝食になるだけだ。 「リョーマ君が来てくれているのだから、これくらい出さなきゃいけないでしょう?もっと作りたかったけど諦めたのよ」 息子の呆れ顔に対し、彩菜はにっこりと笑って、リョーマのおもてなしにはこの品数と量では足りないと思っていたくらいだった。 「…そうですか」 見た目に反して大食いなリョーマなら喜ぶだろう。 それに今日は誕生日だからと、手塚はそれ以上は言えなかった。 「わっ、チキン香ばしくって美味しい」 「本当?ありがとう」 食事が始まれば手塚の心配なんて余所に、リョーマはその細い身体に次々と収めていく。 国晴と国一は折角だからと、この為に買っておいた高級シャンパンを飲みながら、ゆっくりと食べていた。 「和食も好きだけど、おばさんの作るものは何でも美味しいです」 「作った甲斐があったわね」 うふふ、と嬉しそうに微笑む彩菜は、リョーマが食べつくして空になった皿を片付けながら、次の皿を用意する。 「まだまだあるけど、ケーキが入るだけのお腹にしておいてね」 「はい」 こんなに美味しいご飯の後に、これまた美味しいケーキが待っている。 想像するだけでお腹が空いてしまうのか、リョーマの勢いは止まらなかった。 ほとんどの皿が空になる頃、テーブル上に生クリームとイチゴで飾られたケーキが運ばれてきた。 「リョーマ君、お誕生日おめでとう」 彩菜が最後にチョコレートで出来たプレートを飾れば、そこにはリョーマの生誕を祝う言葉が書かれていた。 「え?俺の誕生日?」 驚いて彩菜の顔を見つめてしまう。 「そうよ。今日はリョーマ君のお誕生日でしょう」 「でも、イブだし…」 日本ではクリスチャンでなくても、クリスマスを大きなイベント事として考えているから、前日であるイヴは大盛り上がりをするのを聞いていた。 「クリスマスイブなんて関係ないわ。今日はリョーマ君の為に作ったのよ」 「そうじゃぞ。リョーマ君…これはわしからだ」 「お父さん、早いですよ。しょうがない…これは僕から」 どうやら、予め決めていたのにフライングをしてしまったようで、国一は国晴に注意されてしまい、頭をポリポリと掻いて照れた顔をしていた。 「それなら、私からもね。はい、お誕生日おめでとう」 思いがけないプレゼントを渡されたリョーマは、驚いた顔をしてそれぞれの顔を見てから、どうしたら良いのかを訊ねるように手塚を見れば、貰っておけと言わんばかりに頷くだけだった。 「あ、あの…ありがとうございます。あっ、そうだ」 自分もプレゼントを用意してあるのだと、隠しておいた階段に行こうとしたが、その前に手塚が持って来てくれていた。 「あら、国光は2つも用意したの?」 「いえ、これは俺とリョーマからのプレゼントです」 紙袋を開き、中身を取り出してリョーマに渡した。 「これ、おじいさんに」 大きな長方形の箱には深い緑色の包み紙とゴールドのリボンが掛けられている。 「わしにか?ありがとうな」 「これは、おじさんに」 「僕も貰えるのかい?ありがとう」 両手ほどの正方形の箱には藍色の包み紙とシルバーのリボン。 「これは…おばさんに」 「まぁ、ありがとう」 小さな正方形の箱は黒い包みの赤とピンクのリボン。 それぞれ異なる物が入っているのは一目瞭然だった。 「開けてもいいかしら?」 「どうぞ」 彩菜が断りを入れてから包みを開けるので、それにつられて国一と国晴も包みを開け始めた。 「おお、これは温かそうな半纏だのう」 「こういう帽子が欲しかったんだ」 「まぁ、素敵なブローチ。ありがとうね、国光、リョーマ君」 本当に嬉しかったようで、国一は半纏を羽織って国晴と酒を飲み続けていた。 こうして、手塚家は珍しくクリスマスモードで時を過ごしていた。 「珍しかったね」 「父と祖父があれだけ酔っている姿を見るのは久しぶりだ。それだけ嬉しかったのだろうな」 元旦なら酒を飲んでおせち料理を食べる姿を目にしているが、歩けなくなるまでベロンベロンに酔うまで飲むような事はなかった。 酔っ払った国一と国晴を2人がかりで部屋に運んだ後、ようやく手塚とリョーマは2人だけの時間を過ごす事になった。 「おばさんもちょっと酔ってたよね」 「ああ、母が家で飲む方のが珍しかったな」 頬が赤くなる程度しか飲まなかったので、後片付けをしてのんびりテレビを見てから寝ると言っていた。 「折角なのだから、あとは2人で過ごしなさい」との言葉は母なりの優しさだったが、リョーマは顔を赤くするばかりだった。 「…国光、これ…俺からのクリスマスプレゼント」 喋っている間に、バッグから何かを取り出したリョーマは、ほんのりと頬を赤くしながら手塚にプレゼントを差し出した。 10センチほどの箱は綺麗なブルーの包み紙と金銀のリボンに飾られている。 「ありがとう。では、これは俺から」 受け取るとリョーマがベッドに腰掛けるので、今度は手塚が立ち上がり引き出しに隠しておいた包みを取り出してリョーマに渡した。 「2つもあるけど、もしかして…」 「こちらはクリスマスで、こちらは誕生日のプレゼントだ。クリスマスと誕生日を1つにされるのは嫌だろう?」 「ありがとう、国光って俺の気持ちが良くわかるよね」 「伊達や酔狂でお前と付き合っているわけではないからな」 手塚は貰ったプレゼントはそのまま机の上に置いてしまった。 「見ないの?」 「後の楽しみにさせてもらう。お前こそ見ないのか」 「じゃ、俺も後のお楽しみにする。で、後って?」 「まずは、1つ大人になったお前を味わいたいのだが」 顔を間近にしてから、手塚はすっと口元を耳に近付けて囁きかける。 リョーマの好きなテノール。 この声で迫られたら断る事なんて出来やしない。 「…俺で良かったら」 「お前でなければ駄目なんだ」 心を揺さぶるほどの感情。 誰かの為に何かをしたいと思う気持ち。 今まで欠けていたものが越前リョーマという存在のお陰で手塚国光の中に芽生え、育ち始め、今では立派な花を咲かせている。 リョーマが傍にいる限り枯れる事のない花。 キスを受けながら服を脱がされ、この世に誕生した時と同じ姿になる。 「…国光、大好きだよ」 一回りも大きな腕に抱かれ、リョーマは夢心地で愛の言葉を囁く。 「俺も、お前だけが好きだ…」 昂ぶる灼熱の塊に最奥を疲れながら、この世に誕生した事を今まで生きていた中で一番感謝していた。 気を失うように眠りについてしまったリョーマを優しく見つめる手塚は、リョーマから貰ったプレゼントの中身を確かめていた。 中に入っていたのは有名なブランド名が書かれた携帯ストラップ。 「俺にはお前がいるから、他には何もいらないのだがな」 それでも自分の為にこうしてプレゼントを選んでくれた事が嬉しくて、手塚はリョーマを抱いて眠りについていた。 床の上には皆から貰ったプレゼントがそのまま置かれていたが、一番上に手塚から貰ったプレゼントが鎮座していた。 誰もが赤い糸で繋がれた運命の人と出逢う時がくる。 時には絡まってしまい、別の人の糸と繋がってしまう時もあったり、糸が切れてしまう事もあるが、多くの人は運命の人と出逢い、愛し合うだろう。 手塚とリョーマは赤い糸で繋がれた運命の相手。 |